第65章 : 許されざるもの
キシリは血の味が広がるほど奥歯を強く噛み締め、傷口や魔力の奔流からあふれ出そうとする狂気じみた深紅の力を、全身全霊を傾けて深奥へと押し戻そうと必死にもがいた。体内の血液が沸騰したように激しく巡り、心臓は戦場に響く陣太鼓のように荒々しく脈打つ。汗と黒煙にまみれた胸元が大きく波打ち、引き絞られた両手がカタナの柄を握り締めて骨が白く浮き上がる。そして彼女は右足を一歩踏み出し、まるで夜空を切り裂く流星のごとく、再びアイリスめがけて猛然と突進した!
ガキイイイイイイイイッ!!
「まだあきらめないのですか?」
アイリスは無機質な、感情の一切感じられない平坦な声色で呟きながら、重みのある一撃を軽々と刀で受け止めた。その衝突音は崩壊した広場全体に轟き渡り、すさまじい衝撃波が円を描くように周囲へ広がり、辺りの瓦礫や粉塵を激しく吹き飛ばす。
「お前には……この村の誰も、もう二度と指一本触れさせない!!」
キシリは絶叫した。その声は感情の濁流に震え、全身の残された筋力を総動員して体重を浴びせかけ、相手の防御を強引に切り崩そうと押し込む。
キンッ! ――シュッ!
お互いに一瞬で距離を取り、弾き飛ばされるようにそれぞれの身体が後方へと退避した。キシリの靴底が地面を削り、深い溝を刻み込む。二人はわずか五歩ほどの距離を保ったまま、まるで互いの次の呼吸やわずかな筋肉の動きすら見逃すまいと、息の詰まるような円を描くように牽制し合った。その場の空気は凍りついたように重く、押し潰されそうになる。
アイリスの剣技は一瞬にして変幻自在の軌道を描き、斜めから鋭く、まるで目の錯覚を引き起こすような残像を残しながらキシリを追い詰め、ついに木造家屋の壁と茨の柵に囲まれた逃げ場のない死角へと追い込んだ。キシリには、自分がまさに致命的な罠の餌食になりかけていることが痛いほど分かっていた。
彼女は咄嗟に足を弾ませ、側方へ身をかわそうと跳び退こうとした。
だが――激しい戦闘の連続で極限まで酷使された肉体は、彼女自身の意志の速さにわずかに追いつけなかった!
ザシュッ……!
「ぐっ……!」
喉の奥で押し殺したような低い呻き声が漏れる。アイリスが冷徹に振るった刃先が、キシリの腰の皮膚を深く掠め、生々しい裂傷を刻み込んだ。鮮烈な赤い血が布を突き破り、彼女の太ももを伝って一筋の軌跡を描いて流れ落ちる。激痛が脳髄を突き刺したが、歯を食いしばって悲鳴を飲み込み、体制を建て直すために二歩後ろへとよろめきながら下がった。
アイリスはターゲットに一瞬の休息すら与えなかった。まるで影のようにつきまとい、突き、払い、薙ぎ払う、変幻自在の複雑なコンビネーションを途切れることなく叩き込む。キシリは持てるすべての剣術の技術を総動員して応戦し、紙一重で軌道を逸らし、超高速の回避を繰り返し、狭い隙間を縫っての反撃を試みた。金属が衝突する甲高い音が、夜の闇に途切れることなく反響する。
カンッ! カンッ! ――ガキイイイッ!!
最後の一撃が凄まじい勢いでぶつかり合い、その反動で両者は再び大きく引き離された。キシリもアイリスも、荒い息を吐き出しながら間合いを取る。アイリスは外見上の疲労や肉体的なダメージを一切顔に出さないものの、その足取りの踏み込みや放たれる気の流れの端々に、激しい消耗によって生じた微かなほころびが垣間見えていた。
キシリはわずかに生まれたその「金の隙」を逃さず、死闘の広場全体へと鋭い視線を巡らせた。地形の起伏、大きな岩、倒れた丸太、そして崩れかけた小屋の構造――次の反撃の起点となる最高のポジションを瞬時に計算する。
だがその瞬間……。
戦闘の集中を研ぎ澄ませていたキシリの視界の端に、アイリスの冷ややかな目が向けられた「ある一点」が飛び込んできた。
左手の古い木製の柵の脇、小さく身を縮こまらせて震えている、あの場所――。
アイリスの唇の端が、ゆっくりと微かに持ち上がった。そこにあったのは感情の微熱ではなく、慈悲も憎悪もない、あまりにも機械的で空虚な微笑みだった。
「――なるほど」
彼女は風の音のように小さく、しかし周囲にハッキリと聞こえる声で呟いた。
キシリはその視線の先を追って、思わずそちらへと顔を向けた。そして、全身の血液が一気に氷点下へと凍りつくような感覚に襲われる。
そこには、毎日村を駆け回って無邪気に笑っていた小さな男の子の姿があった。彼は恐怖に顔を歪め、小さな体を丸めて震えながら、その両手で自分の口を必死に押さえていた。声を押し殺し、涙で濡れた顔で、震えが止まらないまま隠れていたのだ。
「やめろっ……!!」
キシリの喉を引き裂くような絶叫が夜空に木霊した。アイリスがその場から一歩を踏み出した瞬間、彼女は理性をかなぐり捨て、全神経と残された全魔力を爆発させてその影を追って跳び起きた!
だが――この世界のどんなに激しい呼吸や時間の流れよりも、残酷な現実のほうが圧倒的に速かった。
どれほど全身全霊の力を振り絞っても、どれほど腰の傷から鮮血が噴き出そうとも、アイリスが纏う圧倒的なまでのスピードと殺意の距離は、今の彼女にとって決して超えられない絶望の壁だった。
――スッ……。
キシリの耳に届いたのは、アイリスの刀が夜の空気を軽やかに切り裂く、あまりにも無慈悲な一音だけだった。
次の瞬間、すべての動きが停止した。
キシリの突進する勢いが宙でピタリと止まり、その身体は重力に負けたように力なく地面へと崩れ落ちた。両足の膝がガクンと折れ、もう自分の体重を支えることすらできない。全身の神経が麻痺したように痺れ、視界の端がぐにゃりと歪んでいく。
彼女にできたのは、ただうつむき加減に足元の地面を見つめることだけだった。
――見たくない。目の前で何が起きたのか、見る勇気なんて、もうどこにも残っていなかった。
ただ、胸の中で激しく波打つ心臓の鼓動と、自分自身の乱れた呼吸の音だけが、この凍りついた世界に残された唯一の現実だった。
「子供たちというのは……本当に、貴重な時間を無駄にさせるだけの存在ですね」
アイリスの声が静かに落ちてきた。その口調はあまりにも穏やかで、まるで日常のたわいない天気の話を口にするかのように滑らかだった。
その一言は、見えない刃となってキシリの魂の真ん中を容赦なく切り裂き、粉々に砕いた。
それは恐怖でもなければ、絶望でもない。怒りですらなく、ましてや悲嘆ですらない――人間の言葉では決して表現できないほどの、底知れぬ「虚無」だった。
刀の柄を痛いほど強く握りしめていた両手が、激しく痙攣するように震え始めた。もうその震えは、肉体の疲労によるものではなかった。
キシリは、ゆっくりと、まるで壊れた人形のように顔を上げた……。
その瞳に宿っていたものは、先ほどまでの迷い、恐れ、そして過去の因縁に対する問いかけのすべてが綺麗に消え失せていた。
残されたのは、世界を凍りつかせかねないほどの底冷えする冷徹さと、あらゆる存在を呪い殺すような深い闇だけだった。
「お前……」
それは、喉の奥から絞り出された、か細くも底知れぬ殺意を孕んだ低い囁き声だった。その声が発せられた瞬間、周囲の温度が数秒で急降下し、大気が微細な氷の結晶へと変わっていく。
ドオオおおおおおーーーーーーッ!!!!!
ずっと心の奥底で必死に抑え込み、封じ込めようとあがいていた鮮烈な赤いオーラが、ついに決壊したダムのようにキシリの全身から爆発的に噴き出した!
深紅と漆黒が入り交じる暴力的なエネルギーの奔流が、天を衝くように怒濤の勢いで逆巻く。周囲の大地は凄まじい風圧に耐え切れず粉々に砕け散り、砂塵となって舞い上がった。キシリはもはやその暴走を制御しようとも、抑えようともしなかった。狂気と殺意に我が身を委ね、すべての理性を手放したのだ。
彼女の本来の美しい紫色の瞳は、完全に濁りきった血赤色へと染まり上げられ、闇夜の中で妖しく、痛々しく光り輝いていた!
アイリスは、その身の毛もよだつような凄まじい変貌を目の当たりにしても、怯えるどころかむしろ深い興味を惹かれたように目を細めた。その唇には、先ほどよりもさらに深く、禍々しい笑みが広がっていく。
「……これですよ、これこそが求めていたものです」
アイリスは構えていた刀を持ち直し、戦闘態勢を整えながら、恍惚とした眼差しで呟いた。その瞳は期待に熱く燃え上がっている。
「さあ……もっと私を楽しませてください。あなたの中にあるその深い絶望を、すべて私に見せてみなさい!」




