第57章 : シオリ・シロ
木々の立ち並ぶ村の端。
シオリ・シロは、村のはずれに借りた小さな木造の小屋から足を踏み出した。片手には、町冶金屋で購入した中品質の普通の鉄剣、もう片方の手には少量の食料を入れた布袋が握られている。
彼女が花畑で目を覚ましてから、すでに一年の月日が流れていた。かつて傷だらけだった肉体は徐々に回復し、彼女は流れ流れてこの森のふもとの小さな村へとたどり着いていた。村の誰も彼女の過去や素性を知らない。知られているのは、ただ流れ者の女性としてやってきて、宿泊場所と引き換えに手仕事を手伝っているということだけだった。
「シオリさんっ!」
村の入口のほうから切羽詰まった声が響き渡った。一人の老人が、青ざめた顔で走ってくる。
「またスライムが現れたんだ! 今度は今までで一番でかいやつだ!」
シオリはすぐに頷き、手にした剣の柄をギュッと握り締めた。「どこですか」
「東のトウモロコシ畑だ! 村の連中が慌てて逃げ出してる!」
彼女はトウモロコシ畑に向けて走り出した。家々の間を駆け抜ける途中、住民たちが荷物を急いでまとめ、子供の手を引いて家屋へと避難する喧騒が村中に響き渡っていた。
畑に到着すると、人間の体よりもはるかに巨大な緑色のゼリー状の魔物が、ゆっくりと這い回りながら作物を踏み荒らしているのが目に入った。
(今までのより、ずっと大きいわね)
彼女は心の中で呟き、さらに強く剣を握りしめた。
シオリはそのスライムをじっと観察した。その体色は濃い緑色で、全身に茶色の斑点が無数に散らばっている。
(この色は……土属性と水属性が混ざったスライムね)
この一年間の過酷な旅のなかで培った経験則が脳裏をよぎる。スライムはその色や見た目によって得意とする魔法が異なる。こうした特徴を記憶してきたからこそ、彼女はどうにか今日まで生き延びてこられたのだ。
彼女は剣を構え、じりじりと距離を詰めていく。
スライムはすぐに彼女の気配を察知し、その鈍重そうな見た目からは信じられないほどの素早さで突っ込んできた。
シオリは素早く横に身をかわし、スライムの胴体めがけて剣を振り下ろしたが、刃はまるで水面を切るかのように何の抵抗もなく通り抜け、致命傷を与えることはできなかった。
(やっぱり、いつもの通りね)
彼女は心の中で呟き、スライムの反撃を受ける前に素早く後方へ飛び退いた。
(物理攻撃は効かない。核心を探さないと……)
シオリは片手を掲げ、わずかに残る魔力を練り上げて衝撃波を放った。
魔力を受けたスライムはわずかに身悶えしたものの、大きなダメージはなく、ただその動きがほんの一瞬鈍っただけだった。
(魔法耐性は思った通り高いわね。でも、全く効かないわけじゃない)
彼女はその反応を注意深く観察しながら、次の攻撃を巧みにかわす。
(今ここに火魔法か塩でもあれば、もっと楽に片付くのに)
彼女は頭を巡らせながら、しなやかに迫り来るゼリーの触手をかわした。この辺りの地域では塩は大変な珍品であり、戦闘用に買い溜めておけるほど安価ではない。そもそも火魔法は彼女本来の得意分野でもなかった。
周囲のトウモロコシ畑に目を凝らすと、畑の端のほうにごろごろと転がっている大きめの石が目に入った。
シオリは一気にその石の一つへと走り寄り、出せる限りの力を込めてそれを持ち上げると、正確にスライムめがけて投げつけた。
石はスライムの本体に激しく直撃した。目に見える外傷こそないものの、その不規則な巨体のバランスを大きく崩させることに成功した。
(高いレベルの物理的な衝撃なら、構造を乱すことができるみたい)
彼女はそこで重要な手がかりを掴んだ。スライムのバランスが崩れた瞬間、その体の中央にある濃い色の核心が、ほんの一瞬だけ姿を現したのだ。
(あれが、弱点ね)
彼女は再び間合いを詰め、幾度となく突き出される触手をギリギリでかわしながら、先ほどの衝撃でスライムがバランスを崩す瞬間を待ち構えた。
狙いすましたように、彼女の剣がその濃い色の核心めがけて突き入れられた。
今度は剣がただ素通りすることはなく、はっきりとした手応えのある抵抗を感じさせた。スライムがこれまでに聞いたことのない奇妙な断末魔の叫び声を上げる。
傷を負ったスライムはさらに狂暴化し、無数の触手を全方位から同時に突き出してきた。
シオリは華麗にかわし、身を翻して追撃の触手をいなしていく。激しい疲労と緊張から、彼女の額にはじっとりと汗が滲んでいた。
(もっと早く決着をつけないと、体力が先に持たなくなる)
彼女の脳裏に、先ほど石の衝撃で核心が露わになった瞬間が蘇る。もう一度同じ状況を作り出せば、勝機はある。
シオリは残されたすべての魔力をかき集め、スライムへ向けて衝撃波を放ちながら、同時に間合いを詰めた。
放たれた魔力波によってスライムの動きが一時的に鈍る。彼女はその隙を逃さず、別の大きめの石を拾い上げると、その核心めがけて直接投げつけた。
スライムは激しく体勢を崩し、これまでで最もはっきりとその濃い色の核心を露出させた。
シオリは一切の躊躇なく、持てるすべての力を込めて、その核心へと剣を突き刺した!
今度こそ、剣は核心の深くまで完全に貫通した。スライムは畑全体に響き渡るような不気味な音を立て、その巨大な体全体がドロドロの液体へと変化して地面へと溶け落ちていった。
彼女は素早く後方へ飛び退き、荒い息を整えながら、跡形もなく溶けて消えていくスライムの残骸を見つめた。
「終わった……」
彼女は小さく呟き、疲労困憊のあまりその場に力なくへたり込んだ。
ほどなくして、隠れ場所から何人もの村人たちが駆けつけてきた。一部分は荒らされてしまったものの、村を脅かしていた巨大スライムが完全に消え去ったのを見て、みな安堵の表情を浮かべる。
「シオリさん、見事だったね!」
先ほど知らせに走ってきた老人が満面の笑みで駆け寄ってきた。
「本当にありがとうよ」
もう一人の老女も手を合わせて深々と頭を下げる。
「お前さんがいなかったら、この村はもっとひどい被害を受けていただろうさ」
シオリはゆっくりと立ち上がり、服に付いた土埃を軽く払った。「どういたしまして。すべきことをしただけですから」
「今夜はうちで夕飯をごちそうしておくれよ」老人は嬉しそうに誘った。「とびきり美味い料理を作っておくからさ」
彼女はその誘いに優しい笑みを返した。「ありがとうございます」
夕陽が沈み始め、空がオレンジから淡いピンク色へと移り変わる頃、シオリは自分の小屋へと歩いて戻った。一日中の戦いで身体中が重く痛むが、この村に平穏をもたらしたという温かな充足感が胸を満たしていた。
彼女は小屋の敷居に腰を下ろし、夕暮れの空を見上げた。
「あれから、もう一年になるのね」
心の中でそう呟く。この村の誰も、シオリ・シロという名前のこの若い女性がかつて何者であったのか、どのような修羅場をくぐってきたのかを知る者はいない。
「こんな穏やかな暮らしも、悪くないわね」
彼女は自分自身に微かに微笑みかけ、夕食の準備をするために静かに小屋の中へと足を踏み入れた。




