第56章 : 未来の断片――不確定な時
見渡す限りに広がる大輪の花畑。色とりどりの花びらが、吹き抜ける風に身を委ねて優しく揺れていた。
セラフィナはその花々の中で目を覚ました。肉体には昨夜の傷跡がまだ生々しく残っている。彼女は痛みをこらえながら、ゆっくりと上体を起こした。
「王宮を出られたのね……」見慣れない花畑を見回しながら、彼女は小さく呟いた。
「これで、ようやく新しい一歩を踏み出せるわ」
遥か遠く離れた王国にて。
一人の成人男性が、少女をしっかりと胸に抱きしめていた。その表情には、必死に隠そうとした痛切な悲しみが満ちている。
「大丈夫だよ……」彼は震える声を絞り出した。「どんなにみんなが君のことを忘れてしまっても、僕だけは絶対に忘れない。いつか、必ず君を迎えに行くから」
彼はそっと彼女の額に口づけをした。その直後、少女の身体はロウソクの炎が消えかけるかのように、ゆっくりと空気中に溶けるように消え去っていった。
彼女を知っていた周囲の人々の表情が、次第に混乱の色を帯びていく。それはまるで、もう二度と思い出せない誰かの記憶を探しているかのようだった。
先ほど別れのキスをした若い男の瞳でさえも、次第にぼんやりと霞んでいく。
誰も踏破したことのない禁忌の地。セラフィナが握りしめる剣から眩い光が勢いよく噴き出し、剣の本体はゆっくりと人の形——細面な顔立ちの少女へと変貌していった。
クリっとした丸い双眸には冷徹さが宿り、左目は鮮やかなオレンジ赤に輝き、もう片方の目は前髪に少しだけ覆われている。腰まで伸びた漆黒の髪は艶やかに流れ、頭にはもふもふとした白いウサギのフードをかぶり、二つの長いウサギの耳が両脇に垂れ下がっていた。
彼女は全身黒のオーバーサイズセーターに、二重に重ねられた白いセーラーカラー、黒いプリーツミニスカート、そして黒い革のローファーにハイソックスという装いだった。
すぐ近くに立っていたステシアは、その姿を見るなり堰を切ったように涙を流し、迷うことなく彼女の元へと駆け寄って抱きついた。
「マミィ……マミィ様……!」ステシアはしゃくり上げながら泣きじゃくった。「会いたかった、ずっとマミィ様に会いたかったんです。この二千年間、ずっとマミィ様が恋しかった……パパ様が、パパ様を助けてあげてください!」
セラフィナはもぬけの殻となった自室に立ち、オイルの染み込んだ床の上に、セラエルの手記、銀のブレスレット、そしてエゼキエルから贈られた小石をそっと置いた。
箱の側面でマッチを擦る。暗闇の中にパッと炎が燃え上がった。
「もう二度と会うこともありませんように……」彼女は呟いた。「もっとも、それが無理だとわかっているけれど」
音楽の王国アーセシアにて。
皺だらけの老女が、生配信の画面を通してステージで踊る少女をじっと見つめていた。その瞳には言いようのない切なさが満ちている。
彼女は傍らに立つ男へと顔を向けた。
「ごめんなさいね……」震える声で彼女は言った。「だけど、もう限界なの。王女としてのアーセシアは、寿命のほとんどを燃やし尽くして、こんな醜い老婆になってしまったわ」
彼女は苦い笑みを浮かべ、目に涙を溜めた。「ごめんなさい、私もうアイドルなんて続けられない。これ以上、眩い光を放つことなんてできないわ」
セラフィナは、鏡に映る自分自身の姿とそっくりな女性と対峙していた。
「白川みずき、ね」冷たい声で彼女は告げた。「久しぶりね。二千年間も、たった一人で孤独に過ごしていたわけ?」
みずきは何も答えず、即座に襲いかかってきた。その衝突の衝撃で床は砕け散り、大地には無数の亀裂が走る。
セラフィナは素早く身をかわしながら、心の中で思った。
(正気を失った状態なの?)
ステシアの部屋に足を踏み入れたセラフィナは、彼女が足を組んで本を読んでいるのを目撃した。しかも、足の向きがちょうど扉の方向を向いている。
セラフィナは思わず悲鳴を上げ、両手で目を覆った。
「ステシア、下のほうが……!」彼女は声を震わせた。「どうしてそんなに丸出しなのよ、下着はどうしたのよ!」
「そんなものらおたちにはないよ」ステシアは平然と答えた。「今まで一度だって持ったことないし」
「規律を正さなきゃいけない立場の子が、最低限の身なりくらい気にしてちょうだいよ!」セラフィナは怒鳴った。「あまりにもはしたないでしょ!」
「はぁ、どこが変なのさ?」ステシアは呑気に言い放つ。「らおたちのような完璧すぎる究極の生命体にとって、余計なものを布で隠す必要なんてどこにもないでしょ。それに、こっちの方が風通しが良くて快適なんだから。ほら見てよ、転移魔法を使うときだってすごく便利なんだよ?」
セラフィナは顔を真っ赤にし、指の隙間からそっと覗き見しながら叫んだ。「魔法の使い勝手となんて一切関係ないの! それは常識の問題でしょ! さっさと何か着なさいよこのバカ!」
セラフィナはヴェルフィアの剣先を、目の前に立つレナへと向けた。
「決着をつけましょう、レナ」彼女の瞳には強い決意が宿っている。「私たちの戦いはまだ終わっていないわ」
「それってちょっとずるくないですか?」レナは困ったような苦笑いを浮かべた。「まるで2対1、もしかしたら3対1に囲まれている気分ですよ」
セラフィナはかすかに微笑み、こう返した。「心配しないで。私は……他の誰でもなく、セラフィナとして決着をつけたいの」
アイリンの身体が空から急降下してきた。セラフィナとレナは、限界を超えた疲労で震える腕を伸ばし、それぞれ必死の思いで彼女をキャッチしようと手を差し伸べた。
二人の残された魔力はすでに底をついている。
「しっかり掴まって……」アイリンは青ざめた顔でか細く呟いた。「私の寿命の一部を燃やして、みんなを生き延びさせるから」
——最初の爆発音。
就寝したばかりの皇帝は、激しい爆発音と怒号に飛び起きるように目を覚ました。
慌ててバルコニーへと駆け出し、炎に包まれる離宮の姿を目の当たりにした瞬間、その顔から血の気が引いていく。
「セラフィナ——!」
皇帝は絶望的な叫び声をあげた。
セラフィナは揺れる花々の中に座り込み、昨夜の傷が残る自分の両手を見つめていた。見慣れない花畑の向こうに広がる空を仰ぎ見ながら、彼女はこれから始まる新たな始まりの気配を静かに感じ取っていた。




