第46話 : 最後の舞台の始まり
翌朝。
セラフィナは昨夜の生誕祭の余韻と疲労を微かに残したまま、いつものようにヘレンが給仕する朝食の席に着いていた。
だが早朝、王宮からの使者である騎士が、皇室の封ろうが施された一通の書簡を離宮へと届けてきた。ヘレンは少しばかり訝しげな表情を浮かべながら、その手紙をセラフィナへと手渡した。
セラフィナが封を切り、中に目を通す。読み進めるにつれて、その瞳が驚きに見開かれていった。
『セラフィナ殿下におかれましては、明後日、王宮の聖なる儀式の間にて執り行われる「血脈の力・判定の儀」へとご出席召されますよう、謹んでご案内申し上げます』
「これは……一体どういうことですの?」
彼女は小さく呟いた。
「どうなさいましたか、殿下?」
異様な気配を察したヘレンが尋ねる。
「血脈の力の判定儀式についての招待ですわ」
セラフィナは答えた。
「ですが……この儀式は本来、十八歳を迎えてから行うものではありませんか? 私は昨日、十四歳になったばかりですのに」
ヘレンもまた、微かに眉をひそめた。
「私もその儀式の詳細までは存じ上げませんが……王宮からの正式な御達しであるならば、何か相応の理由があってのことにございましょう」
セラフィナは手紙を何度も読み返した。胸の奥で、拭い去れない不安が静かに渦を巻き始める。彼女はすぐさま返信をしたためることにした。
『儀式主催の方へ
謹んでお尋ね申し上げます。しきたりによれば、「血脈の力・判定の儀」は十八歳に達した皇族が対象と認識しております。私は昨日十四歳を迎えたばかりであり、今回の通知は何らかの手違いか、あるいは特別な事情があってのことでしょうか。ご教示いただければ幸いに存じます。
敬具
セラフィナ』
だが、同日の午後に届いた返信は、彼女の困惑をさらに深めるばかりであった。
『皇帝陛下ご自身のご意向による開催であり、時期の妥当性について疑義の余地は一切ございません。予定通り儀式へのご参列の準備を進められたし』
セラフィナはその文面を何度も食い入るように見つめた。混乱と不安が重く心にのしかかっていく。
(どうして……誰もこの年齢の不自然さに疑問を抱かないの?)
彼女は胸の中で呟いた。自分の投げかけた至極当然の疑問が、完全に無視された理由が理解できない。あたかも「皇帝陛下の御意向」という言葉の前では、長年守られてきた伝統の正しさなど何の意味もなさないと言わんばかりだ。
この時のセラフィナはまだ知る由もなかった。
自分が抱いたその当然の疑問こそが、もはや王宮の誰一人として抱くことのできない「異常なこと」なのだということを。
◇
聖なる儀式の間――その四方の壁には古代の神聖な紋様が刻まれ、中央に鎮座する祭壇は柔らかな黄金色の光を絶え間なく放っていた。会場には多くの貴族や皇室の者たちが集まり、立ち会いとして列席している。
セラフィナは不安を胸に抱えたまま、祭壇の前に立っていた。周囲を見渡せば、誰もがごく当たり前のこととして静かに佇んでいる。予定より四年も早く執り行われる異例の儀式に対し、不審を抱く者は誰一人としていないようだった。
(なぜ……誰もおかしいと思わないの?)
高壇の玉座に座す皇帝陛下へと視線を向ける。その表情はいつものように冷徹で無感情であり、疑問の欠片すら伺うことはできない。
聖職者が儀式の準備を進める中、セラフィナはイゼキエルのすぐ隣に立つリゼロットの姿を目に留めた。
リゼロットがふとこちらへ視線を向ける。その唇には、いつものように可憐で柔らかな微笑みが浮かべられていた。
――だが、互いの視線が交差したほんの一瞬。セラフィナは、その微笑みの奥に隠された決定的な違和感を察知した。それは優雅な外見の裏に潜む、冷ややかな蔑みと嘲笑の笑みだった。
ほんの刹那の出来事だった。リゼロットは何事もなかったかのように視線を外し、イゼキエルへ向けて愛くるしい笑みを振りまく元の姿へと戻っていた。
(『野望の罪』……その権能は、限定された領域内において法則を創造し、干渉し、そして破壊する力を秘めているわ*)
セラフィナの反応を静かに観察しながら、リゼロットは心の中で冷ややかに思考を巡らせていた。
(いまの私の立場と能力では、通常なら自分より高位で広い影響力を持つ者を直接支配することはできない……だからこそ、これまで遠回りな手を打ち続ける必要があったのだけれど)
彼女の視線が、隣に立つイゼキエルへと移る。
(私より遥かに高位にある皇太子イゼキエル……彼に対しては『愛する女』という役割を完璧に演じきることで、立場を超えて私を最優先させ、精神を絡め取ることができた)
続いて、少し離れた場所に座るカリステールへと視線を送る。
(そしてカリステールもまた、自分の命以上にイゼキエルを愛している。だからこそ、その影響は彼女を通じてセネスティアやモーヴェンにまで波及した……)
(私に支配できないのは、エヴェリン・ラックスフォード・エンデリア・セラフィナと、エヴェリン・ラックスフォード・エンデリア・アマラトス……そして離宮の僅かな使用人たちだけ)
最後に、高壇に座す皇帝へと視線を向けた。その顔には、相変わらず感情の窺えない冷徹な仮面が張り付いている。
(ふふ……感謝しなければいけませんわね、皇帝陛下。私の企みを見抜きながらも、まったく興味を示さずにいてくださったことには)
誰にも気づかれぬよう、リゼロットの唇が小さな笑みを形作った。
(あなたは誰も愛してなどいない。あの世に行かれたセラエル様を除いてはね。愛する人を奪った殺害者……その存在を愛するべきか、あるいは憎むべきか、あなた自身も答えを出せずに苦しんでいる。そしてその苦悩を断ち切りたいと願いながらも、どうすればいいのか分からずにいる……)
彼女は再び、祭壇の前で佇むセラフィナへと視線を戻した。
(さあ……私がその機会を与えて差し上げますわ。セラフィナ、これこそがあなたの「最後の舞台」……そして、第三位の終焉の始まりです)
◇
大司教が一歩前に進み出ると、古代の祝詞が重々しく響き渡り始めた。
「セラフィナ殿下」
大司教が厳かに呼びかける。
「どうぞ、祭壇の前へお進みください」
セラフィナは再び周囲を見渡した。注がれるすべての視線には、ただ式典に対する当然の期待だけが込められており、不審や疑問を抱く者は皆無だった。
(本当に……誰も何も感じていないのね)
深い孤独感が、静かに彼女の胸を締め付けていく。この場にいる誰一人として、自分の抱く恐怖と違和感を理解してはくれないのだと悟ったからだ。
心臓の鼓動が激しく高鳴るのを感じながら、彼女は一歩一歩、ゆっくりと祭壇への階段を上っていった。
自分が足を踏み入れつつある場所が、リゼロットの言う「最後の舞台」であるとも知らずに――。




