第43話 : 過ぎ去りし十二ヶ月
1ヶ月目
王宮、そして離宮の時間は、穏やかにして確かなリズムを刻みながら流れていた。
セラフィナ王女は変わらずイゼキエル皇子と共に剣の修行に打ち込み、その腕前は急速な上達を見せ、特定の型においては皇子の専属指導役とも渡り合えるほどになっていた。
一方、リゼロットは驚くべき速さで王宮の環境に適応していた。
上流階級の社交界で頭角を現し始めた彼女は、その可憐な立ち振る舞いと冴え渡る機転で、周囲からの賛辞をほしいままにしていた。
エリスはリゼロットの側近としての職務を静かに、そして完璧にこなしていた。
不審な素振りを一切見せない彼女の忠誠心を疑う者は、誰一人としていなかった。
世界のもう一方では、レーナとアイリンが拠点へと戻り、ステシアとの遭遇についてミライへ詳細な報告を行っていた。
2ヶ月目
皇帝陛下が離宮へとお立ち寄りになる頻度が、少しずつ増えていった。
毎週というわけではないものの、セラフィナにとって「日常の中に父がいる」という感覚を育むには十分な頻度であった。
「お父様、またお見えになったのですか……?」
ある日、セラフィナが薄く微笑みを浮かべながらヘレンに尋ねた。
「ええ……陛下はこちらでお過ごしになる時間を、随分とお気に召しているご様子でございますよ」
お召し上がりやご滞在に大層な儀式などは伴わない。
時にはセラフィナが読んだ本の話に静かに耳を傾け、時には二人で庭園を静かに散策する――ただそれだけの、穏やかな時間だった。
3ヶ月目
セネスティアは高位魔法の統制において、より精密な扱いを身につけつつあった。
家庭教師であるマエスターも、その飛躍的な成長ぶりに感嘆の声を漏らすほどだった。
「素晴らしい上達ぶりにございます、殿下……」
授業を終えたマエスターは言った。
「ですが、どうかご無理だけはなさらないでくださいね。限界を超えてお体をお苛めになりませんよう」
「分かっています……」
セネスティアは眩しい笑顔で答えた。
「昔のような無茶は、もう絶対にいたしませんから」
同じ頃、リゼロットとイゼキエルもまた、共に過ごす時間を増やしていた。
美術展への鑑賞、王立庭園の散策、あるいは静かな部屋で並んで読書に興じるなど、二人の距離は確実に縮まっていた。
4ヶ月目
ドークとピタは、互いの未来に向けた準備を密かに進めていた。
公に二人の関係を発表したわけではないものの、離宮の者たちは皆、二人の間に流れる甘く穏やかな空気の変化を感じ取っていた。
「いつになったらお嬢様に打ち明けるつもりなの?」
ヘレンが可笑しそうにからかった。
「いずれ……折を見て報告するさ」
ドークは照れくさそうに頭をかいた。
「ただ、まだしかるべき時期ではないというだけだ」
セラフィナもまた、その微笑ましい変化に気づいていたが、あえて何も言わず、二人の大切な時間をそっと見守ることにしていた。
5ヶ月目
エヴィリンとオードリアナが、リゼロットの移住後初めて王宮へと姿を見せた。
「随分と幸せそうだし、晴れやかな顔をしているじゃない」
ティーテーブルを囲みながら、エヴィリンが声をかける。
「ええ……」
リゼロットは笑みを返した。
「すべて順調にいっておりますわ」
オードリアナはリゼロットのあてがわれた館を見渡し、感じ入ったように呟いた。
「予想していた以上に、絢爛豪華なお住まいですこと」
二人の姉は知る由もなかった。
その幸福そうな笑顔と完璧な立ち振る舞いの裏で、緻密な計算と策略、そして静かなチェスの手筋が絶え間なく進められているということを。
6ヶ月目
レーナとアイリンは、ミライから新たな重要任務を言い渡された。
東方の地にて怪しい動きを見せる『セレンティカ教団』の実態を探るべく、長期の旅に出ることになったのだ。
「今回の任務……どれほど危険なのですか?」
荷造りをしながら、レーナが尋ねる。
「まあ、相応の危険はつきものだけどねぇ……」
アイリンは言った。
「修羅場なら今まで幾度となく潜り抜けてきたわ。心配することなんて何もないわよ」
二人は再び共に旅立った。広大な世界に自らの足跡をかすかに残しながら。
エンデリアン帝国で渦巻く複雑な運命の糸を、二人が知る由もないままに。
7ヶ月目
セラフィナのもとへ、公式な式典への招待状が届く機会が増えていった。
かつてのような皇室内部の身内の集いにとどまらず、重臣たちが一堂に会する大規模な式典へと足を踏み入れることになったのだ。
「少し緊張なさっていますか?」
式典への出席を前に、セネスティア王女が尋ねる。
「ええ、少し……」
セラフィナは素直に認めた。
「これほど多くの視線に晒されることには、まだ慣れなくて」
「心配いりませんわ……私がずっとお側に付き添っておりますから」
周囲からの好奇と関心の視線に息苦しさを覚えつつも、セラフィナは見事にその式典を乗り切ってみせた。
8ヶ月目
リゼロットは王宮内の様々な式典や執務の補佐において、目覚ましい手腕を発揮し始めていた。
皇帝陛下もまた、彼女の類稀なる組織管理能力と計画性に目を留めるようになる。
「リゼロット嬢の事務処理および差配能力は、実に卓越したものでございます」
侍従長が皇帝陛下へ報告を上げた。
「……分かった」
皇帝陛下は短く頷き、特に深い感想を口にすることはなかったものの、彼女へ下す小規模な公務の割り当てを増やしていった。
エリスは主人の着実な躍進を誇らしく思っていた。
その一歩一歩が、どれほど完璧に計算し尽くされたものであるかも知らずに。
9ヶ月目
ついにドークは、ピタとの関係についてセラフィナへ正式に報告することを決意した。
「実は……ピタと私めのことでございます、殿下」
どこか緊張を孕んだ声で、彼は言った。
「……二人で、祝言を挙げる決意をいたしました」
セラフィナは跳び上がらんばかりに喜びを露わにした。
「本当ですか!? おめでたいことですわ! なぜ今まで黙っていらっしゃいましたの?」
「いや……その、恥ずかしくございまして」
ドークは照れくさそうに笑った。
隣で俯くピタの頬は真っ赤に染まっていたが、その口元には溢れんばかりの幸福な笑みが浮かんでいた。
ヘレンは離れた場所から、温かな眼差しでその光景を見守っていた。
10ヶ月目
イゼキエルはリゼロットへ正式に求婚した。
王宮にて、華やかでありながらも品格を保った婚約式が執り行われた。
「おめでとうございます……!」
セネスティアはリゼロットを強く抱きしめ、心からの祝福を贈った。
「ついに、夢が叶いましたわね!」
「ありがとうございます……」
リゼロットは微笑みを返した。
その美しい瞳には感極まった涙が浮かんでいたが、それは心の底からの歓喜に見えるほど、完璧に作り込まれたものだった。
セラフィナは複雑な感情を胸に秘めながら式に参列していた。
兄の幸せを心から祝福しつつも、リゼロットに対して抱く微かな胸騒ぎだけは、どうしても消し去ることができなかった。
皇帝陛下とモーヴェンはその様子を満足げに見守り、カリステールもまた息子を誇らしく思っていた。
……その胸の奥に、未だ拭いきれぬ疑問を抱えたまま。
11ヶ月目
婚約式を経て、リゼロットの王宮内における影響力は決定的なものとなった。
家臣や従者たちは、彼女を皇族に准ずる存在として恭しく扱うようになっていた。
エリスは正式に、リゼロット専属の侍女長へと昇格を果たした。
「私のような者に、もったいないほどの身に余る光栄にございます……」
感極まった様子で礼を述べるエリスに、リゼロットは温かな笑みを向けた。
「貴女には、それを受け取る資格がありますわ」
――だが、現実は違った。
リゼロットはただ、自らの手足として裏の機策を滞りなく動かせるだけの権限と立場を、エリスに与えたに過ぎなかったのだ。
その月の夜。
離宮の自室にて、セラフィナは壁に掛けられたカレンダーを見つめていた。
自身とセネスティアの十四歳の誕生日へのカウントダウン。
(もうすぐ、なのですね……)
セラフィナは日記を開き、この一年間の出来事を振り返りながらペンを走らせた。
『今年は本当にたくさんのことがありました。お父様が頻繁にお見えになるようになり、ドークとピタが結婚することになり、そしてイゼキエルお兄様がリゼロット様と婚約された……』
ペンを置き、窓の外に広がる闇を見つめる。
(けれど……どうして私の胸には、拭い去れないしこりが残っているのでしょうか)
12ヶ月目 ―― 年末
厳しい凍てつきを伴って、冬が再び巡ってきた。
しかし今の離宮は、かつてのような凍える寒さとは無縁だった。
皇帝陛下が頻繁にお越しになるようになって以降、外壁の修繕と温風魔法陣の設置が完璧に施されていたからだ。
温もりに満ちた部屋で、セラフィナは舞い落ちる粉雪を眺めていた。
「今年の冬は……昔と違って、暖かく感じられますね」
食事の準備をするヘレンへ、セラフィナが声をかける。
「ええ……」
ヘレンは優しく微笑んだ。
「陛下がどれほど殿下をお心にかけていらっしゃるか、よく分かりますわ」
誕生祭の準備
セラフィナとセネスティアの生誕の日が近づくにつれ、皇帝陛下の御意向により、例年を遥かに凌ぐ盛大な誕生祭の準備が進められていた。
二人揃って王宮で公式な生誕祝賀を受けるのは、これが初めてのことだった。
「今年は特別な年になりますわ!」
離宮を訪れたセネスティアが、興奮冷めやらぬ様子で語りかける。
「お父様が、私たち二人のために盛大なパーティーを開いてくださるのですもの!」
「本当ですか……?」
セラフィナは驚きと嬉しさが入り混じった声を漏らした。
「ええ! カリステール様やお母様はもちろん、イゼキエルお兄様やリゼロット様……皆さまをお招きする手はずになっていますわ!」
消えぬ違和感
誕生祭への期待と歓喜に包まれる城内で、セラフィナの胸に渦巻くリゼロットへの不審感だけは、この一年間ついに消え去ることはなかった。
自分自身に何度も言い聞かせようとした。
ただの考えすぎなのかもしれない。あるいは、言葉にできない本能が、追いつけない何かに警鐘を鳴らしているだけなのかもしれない、と。
(……きっと、私の考えすぎですわね。皆さま、この婚約をあんなにも喜んでいらっしゃるのだから)
己の胸に燻る翳を振り払うように、セラフィナは自分に言い聞かせた。
迫り来る祝福のひとときに、身を委ねようと努めながら。
イゼキエルは双子の妹たちの誕生祭の準備と、将来の婚姻に向けた身辺の整理に追われていた。
執務室の机には、皇太子としての増大する公務の書類が山のように積み上がっている。婚約を経て、彼に課せられる責任は日に日に重みを増していた。
(来年は……今年以上に忙しくなりそうだな)
積み上がった書類を見つめながらイゼキエルは思う。
だが、その心に暗い陰りはなかった。彼の傍らにはいつも、あらゆる面で支えてくれるリゼロットがいたからだ。
皇帝陛下は、過ぎ去りしこの一年を万感の思いで振り返っていた。
セラフィナを受け入れるという決断は、己の人生において最も正しく、美しい決断であった。失われた時間をすべて埋め合わせることはできずとも、少なくとも二人の絆は、確かな歩みで修復されていた。
(セラエル……お前がこの一年を見つめていたなら、きっと心から喜び、微笑んでくれただろうか)
隠し引き出しの中に大切に保管された肖像画へ視線を落とし、皇帝は静かに思索に耽るのだった。
最後の月の始まり
十二月を迎えると、王宮内は12月31日の誕生祭に向けた華やかな熱気に包まれた。
準備の状況を確認するため、セラフィナが王宮を訪れる機会も増えていった。セネスティアの案内で、豪華絢爛に飾られつつある会場を見学する。
「本当に……綺麗ですわね」
立ち並ぶ美しい花々と光の装飾を見上げ、セラフィナが感嘆の声を漏らす。
「完成した姿をご覧になれば、もっと驚かれますわ! 今までの何倍も素晴らしいものになりますのよ」
そこへ、いつものように柔らかな微笑みをたたえたリゼロットが歩み寄ってきた。
「セラフィナ殿下、ごきげんよう。今年の生誕祭、楽しみにしておられますか?」
「ええ、とても……」
礼儀正しく答えるセラフィナ。だが、その胸の奥深くには、相変わらず正体不明の違和感が静かに潜んでいた。
エリスは侍女長として、リゼロットのために奔走していた。あらゆる細部に目を光らせ、落ち度がないよう厳しくチェックを重ねる。
「お嬢様、式典の座席の配置はいかがいたしましょうか?」
書類を確かめるリゼロットへ、エリスが尋ねた。
「最も格式高く、華やか見えるよう配慮しておくれ」
リゼロットは顔も上げずに答える。
「この式典は……私にとって極めて重要な意味を持つのだから」
エリスは疑問を差し挟むことなく頷いた。
なぜ主人が、義理の妹たちの誕生祭にこれほどまでに執着するのか、その真意を知る由もなかった。
エリスが部屋を辞した後、一人残されたリゼロットは窓の外へ視線を向けた。
眼前では、華やかな祝宴の会場が着々と作り上げられている。
(この式典こそが……皇室の新たな一員として、すべての者の前で己の存在を誇示し、揺るぎない権力の礎を築くための絶好の機会……)
完璧なる己の虚像を人々の焼き付けるため、彼女は頭の中で緻密な計画を巡らせていた。
世界の果てとも呼べる遠き地にて。
レーナとアイリンは、セレンティカ教団の痕跡を追い続けていた。
エンデリアン帝国で間もなく執り行われる歴史的な誕生祭のことなど、知る由もなく。
「もうすぐ一年が終わるわねぇ……」
夜、焚き火の明かりで暖を取りながら、アイリンが呟いた。
「そうですね……」
揺らめく炎を見つめながら、レーナが応じる。
「今年は本当に、あっという間の一年でした」
「来年はもっと厄介な年になりそうだけどね」
アイリンは小さく溜息をついた。
「私たちが掴んだ情報……相当ヤバい内容だわ」
レーナは静かに頷いた。
目の前に立ちはだかる危険な任務に思いを馳せながら。
自らの運命の糸が、近い将来エンデリアン帝国の物語と深く交錯することになるとは、この時の彼女にはまだ知る由もなかった。
誕生祭の前夜
翌日に控えた式典の準備がすべて整い、セラフィナは王宮へ移動する前の最後の夜を、離宮の自室で過ごしていた。
十二ヶ月の思い出が詰まった日記帳を開き、年の終わりを締めくくる最後のページにペンを走らせる。
『明日で、私も十四歳になります。
今年は本当にたくさんのことがありました。嬉しいことも、不安なことも……けれど全体を通してみれば、私の人生で一番素晴らしい一年でした。
お母様……私を誇りに思ってくださっていますか?』




