第41話 : 落ちる影
ステシアが無に消え去った後、廃墟の全域を静寂が包み込んだ。
大気を押し潰していた圧倒的な圧迫感は徐々に薄れ、地上にはただ、熾烈を極めた光と闇の魔法の残滓が熱気となってくすぶり続けている。
レーナは手に握られた刀を見つめた。
絶え間ない激突と力の行使による疲労で、その身体は未だに細かく震えている。
汗と血が混ざり合った雫が、彼女の顎を伝ってぽたりと落ちた。
「レーナ様……ご無事ですか」
生き残った暗殺者の一人が、怯えた声を漏らしながら周囲を見回す。
無数の魔法陣の爆発によって崩壊したはずの土地は今、ステシアの謎めいた魔法によって一部が再構築されていた。
命を落とした者たちの何人かは奇跡的に息を吹き返したものの、魂ごと消滅した四つの命が戻ってくることはない。
レーナは深呼吸を一つ挟み、重く沈む身体をどうにか固い意志で支え直した。
「そっちのことは後回しでいい……まずはみんなの被害状況を確認して。動ける者は、怪我人の手助けを……お願いね」
「は、かしこまりました!」
アイリンが歩み寄ってくる。その表情には未だ緊張の色が濃く残っていた。
その深紅の瞳は、黒い次元の扉が開いていた空間を凝視している。
「本当、極限まで我がままな奴だったわね……戦ってる最中も自分の容姿だのアデンティティだの、そんなことばかり喋っちゃって……」
レーナは眉間にしわを寄せ、激しい攻撃の最中にステシアが吐き捨てた奇妙な言葉の数々を思い返した。
「勝ちに来たって雰囲気じゃなかったわ……単に自分を魅せびらかして、楽しんでただけみたいな」
「そういうタイプが一番タチが悪いんだよねぇ」
アイリンは軽く溜息をつき、身につけた衣装の埃を払う。
「恨みや野望、権力欲で動いてるわけじゃない……ただの気まぐれと、自己満足だけで動いてるんだから」
アジトへの帰路、一行を包んでいたのは重苦しい静寂だった。
暗殺者たちは、夜の帳が降りた暗闇の中を黙々と列をなして進んでいく。
拠点へと辿り着いた瞬間、安堵の息漏れがそこここから聞こえた。
しかし、胸の奥に燻る緊張感が消え去ることはない。
ホールの中で報告を待っていたミライは、泥と埃に塗れて戻ってきたレーナたちを見上げ、視線を向けた。
彼は細身で背が高く、どこか自信に満ちた笑みを絶やさない男だ。
黒い短髪は前髪がわずかに目にかかり、右側にブルー、左側にレッドの鮮やかなハイライトが挿されている。
ダークブラウンのスーツを羽織っているが、シャツを着用していないため、開けた胸元と首筋が露わになっていた。
黒縁のラウンドメガネをかけ、足元には磨き上げられた黒の革靴。
ミライの薄い空色のような銀色の瞳がレーナとアイリンの有様をひと通り捉えると、その特徴的な口元がニヤリと吊り上がり、メガネの奥で光が怪しく反射した。
「やあやあ……どうやら今回の課外活動は、随分と賑やかだったようですね」
ミライは淡々とした、けれどどこかからかうようなトーンで声をかける。
「見る影もないほど、ボロボロになって戻ってくるなんて」
レーナは一番近くにあった椅子に倒れ込むように腰を下ろし、深く溜息をついた。
「からかわないでください、ミライ様……本当に命を置いてくるところだったんですから」
彼女はこめかみを押さえながら、事の顛末を話し始めた。
ステシアの出現、壮絶な激突、十二時間に及ぶ決死の時間稼ぎ、そして相手が風のように去っていった一部始終を、ミライへ克明に伝えていく。
ミライは一言一言に耳を傾けていたが、ステシアが解放した真の領域と災厄級魔法の話に及ぶと、その顔から笑みが消え、徐々に真剣なものへと変わっていった。
「ステシア……『終焉の魔女』ですか」
ミライは小さく呟き、トントンと指先で机を叩く。
「この世界における最高峰の四つの存在……その一角が自ら動き、君たちのホームにまで乗り込んできた、か。どうやら僕たちの盤上は、化け物どもの目を引き始めてしまったようですね」
アイリンも同意するように頷いた。
「ええ……このまま放っておけば、いつか絶対に私たちの障害になるわ」
ミライはスッと立ち上がるとレーナへと近づき、宥めるようにその頭へぽんと手を置いた。
「よく頑張りましたね、レーナ。それにアイリンさんも。あの領域の化け物を相手に十二時間も時間を稼ぎ、生きて戻ってきた……それ自体が、君たちが確実に強くなっているという証明ですよ」
レーナは顔を上げ、ミライと視線を交わした。
先ほどまで瞳に宿っていた苛立ちは次第に消え、確かな光へと変わっていく。彼女はぎゅっと拳を握りしめた。
「はい……これだけじゃまだ足りないって、自分が一番よく分かってます。すべてを守り抜いて、この歪んだ世界に立ち続けるためにも……私はもっと強くならなきゃ」
「まあ、そう焦る必要はありませんよ。僕たちの影響力がステシアほどの存在を惹きつけ……自ら手を下させるまでに至ったのなら、他の勢力や残る三人だって、そう易々と動けなくなるはずです」
ミライはニヤリと笑い、メガネの奥の瞳を妖しく輝かせた。
「それよりもレーナ、あまり自分を追い込みすぎないでくださいね。これ以上限界を超えて無茶な修行を続けたら、それこそ本当にお体が悲鳴を上げちゃいますから。……アイリンさん、レーナをお願いできますか? 彼女たちの任務は、僕が代わりに片付けておきますので」
アイリンは自らの唇に手を添え、瞳を大きく見開くと、息遣いが感じられるほどの距離までミライに顔を近づけた。
「いいのかしら、ミライくん……? もし私がレーナちゃんにイタズラしちゃったり、その……『初めて』とか『初キス』を奪っちゃっても、私のせいにしちゃダメだからね?」
ミライは少しだけ目を細め、アイリンの瞳をじっと見つめ返した。
「もしアイリンさんが本当にそんな真似をするなら……僕も容赦はしませんよ。身内同士で派手な潰し合い(内乱)になりそうですね」
ミライはそのまま、不機嫌そうに座っているレーナの元へとまっすぐ歩み寄った。
躊躇することなくその細い腕を掴んで立ち上がらせると、パチンと手を翻し、眩い光の粒子を撒き散らす。
温かな金色の光が弾け、彼女の普段着は一瞬にして純白のビスチェドレス――オフショルダーのウェディングドレスへと変貌を遂げた。
ウエストには繊細な花の刺繍が施され、足元にはドレスと完璧に調和したリボン付きの白いハイヒール。
流れるような美しい金髪には純白のリボンが飾られ、その姿はまるで物語から抜け出してきた姫君のようだった。
彼女が状況を把握する暇もなく、ミライは口元に不敵で、けれど自信に満ちた笑みを浮かべると、その細い腰を強く抱き寄せた。
「サプライズです! 僕のお姫様……やっぱり、このドレスが一番お似合いですよ」
「ッ――!?」
レーナは驚愕のあまり全身を跳ねさせ、顔を真っ赤に染め上げた。
あまりの恥ずかしさに瞳を丸くし、どうしていいか分からなくなった彼女は、反射的にミライの肩へとしがみついてしまう。
「ミ、ミライ!? ミライ様、いきなり何を――っ、恥ずかしいじゃないですか……!」
次の瞬間、彼女が身構える間もなく、ミライは彼女の身体をふわりと抱え上げた。見事なまでの『お姫様抱っこ』だ。
周りにはピンクと白の花びらがひらひらと舞い散り、キラキラとした魔法の光粒子が二人の時間をより一層甘く、深く刻み込んでいく。
「レーナ・リンナは、僕のものです」
その光景を目にしたアイリンは、呆れたように息を吐きながらそっと目を閉じた。
「はぁ……もういいわ。レーナちゃんのことは、大人しく譲ってあげることにするわね」




