第29章:不要者たちの世界――勤勉の罪
夕暮れの茜色が幾重にも重なる木々の枝葉を通り抜け、乾いた地面へと長い影を落としていく。ナディアは一日中歩き続けていた。足元には次第に疲労が蓄積していたが、その歩みは少しも乱れず、あくまで静かで確実だった。
ふと、少女の美しい双眸が鋭く光る。彼女はピタリと足を止め、その場に静止した。研ぎ澄まされた五感が、三方向の茂みに潜む異様な気配を正確に捉えていたのだ。
「……出てきたらどう?」
ナディアは振り向きもしないまま、冷ややかな声で投げかけた。
「そんな下手くそな隠れ方じゃ、私の目はごまかせないよ」
闇の中から、三人の男たちがゆっくりと姿を現した。全員が純白のローブを纏い、その胸元には精巧な黄金の瞳の紋章が刺繍されている。それはナディアが嫌というほど見慣れた、セレティカ教会の聖職者を示す証だった。
「青き白竜……」
中央に立つ男が、冷徹に嘲るような声を絞り出した。
「ついに見つけたぞ」
ナディアは冷ややかに三人を見据え、その手にある武器――双剣や、聖印が刻まれた魔導杖の構えを観察した。
「よりによって、こんな世界をうろつく不要者どもに引っかかるとはね……」
彼女は面倒くさそうに呟いた。
「不要者だと!」
杖を持つ男が怒りに声を震わせながら怒鳴り声を上げた。
「お前こそが、教会が定めた神聖なる秩序に対する最大の脅威なのだ!」
「あんたたちが勝手に作った秩序だって?」
ナディアは身を低く構え、自然な動作で腰の刀の柄に手を掛けた。
「自分たちの腐った権力を守るためだけに、無実の人間を平気で切り捨てるような、胸クソ悪い秩序のこと?」
「神聖なる教えを汚す不敬な口を慎め!」
左手にいた男が待ちきれんとばかりに飛び出した。手にした短剣が、ナディアの心臓を狙って凄まじい速度で振り下ろされる。
シュンッ!
ナディアは一瞬の隙も逃さず、鞘から刀を抜き放った! 夕陽を浴びて眩く反射する銀色の刀身が、稲妻のように閃く。彼女は最小限の動きで相手の軌道をかわし、正確無比な一撃をカウンターとして放った。
ガキイッ!
金属同士が激しくぶつかり合い、乾いた衝撃音が森の木々に響き渡る。
「なっ、この速さは……!」
攻撃を阻まれた男は目を見開き、焦りながら慌てて距離を取った。
残りの二人も同時に飛びかかってきた。一人は短剣を乱暴に振り回し、もう一人は黄金の光を帯び始めた聖導杖で拘束術を発動させようとする。
ナディアは優雅な身のこなしで二方向からの攻撃を翻弄し、その細腕からは信じられないほどのスピードで刀を舞わせた。彼女の剣閃はあまりにも素早く、残像だけが宙に残る。
「この魔力、そしてこの圧力は……!」
杖を持っていた男は、刀から発せられる重く鋭い気配に気付き、恐怖で顔を青ざめさせた。
「まだ本気ですらないのにね」
ナディアは淡々とした声で言い放った。それは命のやり取りをしている現場とは思えないほど、まるで天気の話でもしているかのように冷めていた。
彼女は一歩踏み込み、杖を持つ男の懐へと一瞬で飛び込んだ。容赦なく振り下ろされた刀の切っ先が、男の魔導杖をものの見事に真っ二つに両断する。
「油断するな!」
残された二人必死に攻撃を繰り出すが、その動きはもはや戦略というより、焦りと絶望に満ちた悪あがきに近かった。
ナディアは優美に一歩退き、敵の突進をあえて引き付けてから、一瞬の隙を突いて身体をひねった。彼女の刀が流れるような軌道を描き、二人の身体をかすめ去る。
スパッ……!
三人の男たちは同時にバランスを崩し、その場に崩れ落ちた。持っていた武器は音を立ててあちこちに転がり、彼らは深い傷を負って地面でうめき声を上げる。
倒れ伏した者たちに囲まれながら、ナディアは静かに佇んでいた。呼吸の乱れすらないまま、ゆっくりと刀を鞘へと納めていく。
「教会の上の連中に伝えておきなよ……」
彼女は冷徹に言い放った。
「青き白竜は、お前たちが簡単に手を出していい相手じゃないってね」
杖をへし折られた男は、恐怖に顔を引きつらせながら這いつくばって後ずさった。「ば、化け物め……!」
「化け物、ね」
ナディアは背中を向けながら、ふっと小さく鼻で笑った。
「……まあ、あながち間違ってないかもね」
彼女はそのまま暗くなり始めた道を歩き出し、後ろを振り返ることすらしなかった。
(セレティカ教会の奴ら、最近しつこく追ってくるようになったな……本当に懲りない連中だ。私は『勤勉の罪』の力を宿している。限界まで高められた思考速度と反射神経で、この身にできる限りの最高速度で動いている。私を本気で打ち負かしたければ、同じ『大罪』クラスの力を持っていなくちゃ無理ね……例えば、宗教世界の創始者であるあの『三人の英雄』たちが持つ、『怠惰の罪』『足るを知る罪』『清浄の罪』みたいにさ)
空の明かりは完全に消え去り、漆黒の闇のなかに無数の星々が瞬き始めた。ナディアは歩みをさらに早める。すでに刀は納められているが、その手はしっかりと柄に添えられたままだった。
一日の終わりに差しかかり、彼女の小さな身体にもようやく微かな疲労の色が浮かび始めていた。それでも彼女は、足を緩めることなど微塵も考えようとはしなかった。




