第27章:交錯する視線
静まり返った皇帝の書斎にて、皇帝は宮廷の首長から差し出された政治的縁談の進捗報告書に目を通していた。
「このところ……イゼキエル殿下は、リゼロット様と非常に親密に、かつ頻繁に交流を重ねておられまする」
首長は恭しい口調で報告する。
「芸術祭が終わって以降も、両殿下は何度も顔を合わせられております」
皇帝は静かにうなずいただけで、その引き締まった顔立ちには特別な感情の色は微塵も浮かんでいない。
「そうか……皇太子が適齢期を迎えて妃を選ぶのは、至極当然のことであろう」
「陛下は……そのご動静について、特にご心配や懸念などは抱かれておられませぬか?」
「何を懸念する必要がある」
皇帝は淡々とした声で問い返した。
「ヴェレンコート家は有力な名門であり、家格も申し分ない。三人の娘たちもそれぞれ十分に教育を受けている。イゼキエルが誰に好意を抱き、誰と幸せを見出そうとも、物事は然るべき軌道に沿って進むに任せればよい」
首長は深く頭を下げ、それ以上の言葉を発しなかった。
皇帝は豪華な木製の机の上に報告書を置き、しばらくの間、高くそびえる窓の外へと視線を向ける……。
(婚姻などというものは、政治の仕組みにおけるただの歯車に過ぎぬ)
かつて自分がカリステルやモヴェンを人生に迎え入れざるを得なかった時と、何ら変わりはない。
皇帝はその思考をそれ以上深めようとはしなかった。彼の頭脳の中には、依然として山積する国家の重要機務があった。皇太子の婚約など数ある業務の一つにすぎず、地方の税収管理や領地統治の重要性に比べれば、大した重みを持つものではなかったのである。
*
その翌週、本邸の小広間で小規模な晩餐会が催された。季節の祝祭を祝うためのものであり、セネスティアはセラフィナをその初回のゲストとして誘い出していた。
「今夜のパーティーは、堅苦しい規律や面倒な儀礼なんて一切なしよ!」
セネスティアは事前にセラフィナへとそう耳打ちしていた。
「親しい身内だけの集まりだから、気楽にいらっしゃいな」
セラフィナは長い間迷った末に、宮廷の本邸という未知の世界への好奇心に押され、その誘いを受け入れることにした。
季節の草花で美しく飾られた小広間には、柔らかな蝋燭の灯りが磨き上げられた大理石の床に影を落としている。セラフィナはセネスティアの隣に立ち、興奮と緊張が入り混じった複雑な心持ちで室内を見回した。
「何も心配いらないわよ」
セネスティアは彼女の耳元に優しく囁く。
「ずっと私がそばに付いていてあげるから」
セラフィナは小さくうなずき、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
その時、イゼキエル殿下が一人のお洒落な少女を伴って広間へと足を踏み入れた。セラフィナがこれまで一度も目にしたことのない少女だった。淡い色の髪が丁寧に結い上げられ、彼女の優美さを引き立てる柔らかなパステルカラーのドレスを纏っている。
「セラちゃん……」
セネスティアが小さく囁いた。
「あれが……この前お話ししたリゼロット様よ」
セラフィナはまっすぐにリゼロットを見つめた。その顔立ちには、あの噂通りの温かく柔らかな笑みが浮かんでいる。
「さあ、ご挨拶に行きましょう」
セネスティアはセラフィナの腕を自分の腕に絡めると、そのままズンズンと二人を近づけた。
「リゼロット様」
セネスティアは嬉しそうに声をかける。
「ご紹介しますわね。こちらは私の大切な妹、セラフィナよ」
リゼロットは顔を向け、微塵の隙もない上品な微笑みを浮かべた。
「お目にかかれて光栄ですわ、セラフィナ様」
「こちらこそ、はじめまして」
セラフィナもヘレンから厳しく叩き込まれた作法に従い、軽く身体を折って挨拶を返した。
少しの間、お互いの挨拶が交わされた。リゼロットは終始、謙虚で上品な言葉遣いで話し、離宮での暮らしについて関心を示し、彼女の言葉一つひとつに自然な相槌を打っていた。
だが――。
セラフィナは、どうにも言葉にできない違和感を覚えていた。それは以前、離宮で兵士たちの不審な動きを観察していた時に感じたものと酷似した、かすかなざわめきだった。
(何か……どこか、噛み合わないところがあるような気がする)
それが具体的に何を意味するのか、彼女には見当もつかない。ただの自分の気のせいであり、勝手な思い込みに過ぎないのかもしれなかった。
「セラフィナ様は、普段どのような過ごし方を好まれるのですか?」
リゼロットが穏やかな笑顔で尋ねる。
「読書が好きです……あとは、少しだけ剣術の稽古もしていますわ」
「剣術の稽古も? それはとても頼もしくて素敵ですわね」
リゼロットは本当に興味深そうにそう答えた。
セラフィナは、彼女がそう言葉を紡ぐ時の瞳をそっと観察した。貴婦人らしい優しく従順な光を湛えているが、その奥底には、セラフィナがうまく捉えきれない何か複雑な感情がひっそりと潜んでいるように見えた。
(やっぱり……私の考えすぎなのかも知れない)
その直後、イゼキエルが合流してきた。彼がリゼロットに向ける視線や表情は、広間のほかの誰に向ける時とも異なり、明らかに深い安心感と寛ぎの色に満ちていた。
「二人がこうして親しくなってくれて、本当に嬉しいよ」
皇太子は穏やかに微笑んだ。
「はい殿下」リゼロットは彼に甘く優しい笑みを返す。「セラフィナ様はとても可愛らしくて、愛らしい方ですわ」
セラフィナは礼儀正しく微笑み返したが、心の底では奇妙な違和感が拭えないままだった。
やがて、高位の貴族の一人がセネスティアに話しかけ、その場から少し離れたため、セラフィナとリゼロットの二人が束の間、取り残される形となった。
「セラフィナ様……」
リゼロットの、相変わらず美しい鈴を転がすような声が響く。
「離宮でお育ちになられたとか……さぞや、いろいろとご苦労もおありだったのではございませんか?」
「……ええ、まあ、色々ありましたけれど」
セラフィナは慎重に言葉を選んで答えた。「無事にここまで過ごすことができましたので」
「お強い方でいらっしゃるのね」
リゼロットは微笑みを絶やさぬまま言った。「心から感心いたしますわ」
セラフィナは愛想笑いを浮かべながらも、胸の奥で波打つざわめきをどう処理すべきか迷っていた。
(言葉は完璧。振る舞いにも隙がない。それなのに……どうしてこの人の笑顔の裏には、あんなにも冷たい風が吹いているように感じてしまうんだろう……)
*
離宮へと戻った後、セラフィナは自室の机の前に静かに腰を下ろした。
目の前には、いつもと変わらない静けさを湛えた日記帳が置かれている。
彼女はペンを手に取ったが、すぐに書き始めることはせず、ただじっとその穂先を見つめたまま長い沈黙に浸っていた。
そして、迷うようにいくつかの言葉を紡ぎ出す。
今日、初めてリゼロット様にお目にかかった。彼女はとても優しく、上品で、親切な人だった。セネスティアもイゼキエルお兄様も、彼女のことをとても気に入っている様子だった……。それなのに、どうして私は、あの人の前でこんなにも妙な違和感を抱いてしまうのだろう。私個人の人見知りのせいなのか、それとも……。
セラフィナはペンを置き、夜の帳が下りた窓の外へと視線を向けた。
どれほど理屈で自分を納得させようとしても、心の底に引っかかったままの小さな棘は、決して消えてはくれなかった。




