第26章:最強の相棒と悪だくみ
午後の柔らかな日差しが、離宮の庭園に咲き誇る草花を優しく包み込み、心地よい香りをあたりに漂わせている。セネスティアは週に一度の約束通り離宮を訪れていた。今日は本邸の厨房から特別に分けてもらった焼き菓子を小脇に抱え、ワクワクとした足取りでやってきたのだ。
「セラちゃん! 今日はね、とっても美味しいお菓子を持ってきたの!」
庭園の木陰のアーチをくぐりながら、彼女はパッと明るい声を弾ませた。
「セラちゃん?」
セラフィナはわずかに眉をひそめ、呆れと困惑が入り混じった笑みを浮かべる。
「いったい何なのよ、その呼び方は」
「さっき思いついたばかりなんだけど、なんだか可愛くてお似合いだと思って!」
セラフィナは大げさに大きな溜息をついてみせたが、その唇の端には隠しきれない柔らかい笑みが浮かんでいた。二人はいつもの特等席である木漏れ日の下のテーブルへと並んで腰掛け、すっかりお馴染みとなった穏やかな空気に身を委ねる。
セネスティアは、先日の画廊での出来事をさっそく語り始めた。その瞳はキラキラと輝き、馬車の中でのやり取りまで身振り手振りで活き活きと再現していく。
「それでね、聞いてよセラちゃん! お兄様なんて、リゼロット様の名前が出た途端、耳まで真っ赤にしちゃってさ!」
セネスティアは楽しそうにコロコロと笑う。
「すごく可愛らしくて、あんなにあたふたしたお兄様なんて見たことなかったわ!」
それを聞いたセラフィナは、そっと伸ばしかけたお菓子から手を引っ込め、ほんのわずかに動きを止めた。その周囲の空気が、ふっと静まり返る。
「それで……どうだったのよ」
彼女はできる限り平常心を装い、わざとぶっきらぼうなトーンで問いかけた。
「その……リゼロットとかいう女は」
「すごく素敵な人だったわよ! 美しくて、頭も良くて、おまけにすごく優しくて可愛いの」
セネスティアは一切の曇りなき笑顔でそう言い放つ。
セラフィナは無言でうなずいたが、その胸の奥では得体の知れない波が揺らめき、無意識のうちに綺麗な唇がぎゅっと結ばれていた。
その微細な変化をセネスティアが見逃すはずもなかった。彼女はふっとイタズラっぽく目を細めると、ニヤリと笑みを浮かべる。
「ねえ、セラちゃん……さては今、お兄様を取られた気がして嫉妬してるでしょう?」
「し、してないわよ!」
セネスティアの言葉を遮るように、セラフィナは普段よりワントーン高い声を張り上げた。
「全くそんなんじゃないわっ!」
「顔に『嫉妬中』って書いてあるわよ」
セネスティアはさらに体をグッと乗り出し、甘ったるい笑みを向ける。
「ほら見て、耳まで真っ赤じゃない」
セラフィナは慌てて自分の両手で両頬を包み込んだが、カッと熱を帯びた肌からは隠しきれない熱が発せられている。
「……た、ただ気温が高いからよ!」
「こんなに涼しい風が吹いてるのに?」
セネスティアはくすくすと可愛らしい声を上げて笑い声を立てた。
「それにしても……ブラコンなセラちゃんも、なかなかに可愛いものね」
セネスティアはさらに目を輝かせる。
「もしセラちゃんが本気でお兄様を溺愛するブラコン街道を突っ走るなら、私、特別にその舟に乗ってあげる!」
「ブラ……何よそれ?」
セネスティアの放つ聞き慣れない単語に、セラフィナは完全に面食らった顔をした。
「禁断の恋の舟よ!」
セネスティアは真剣な顔で胸を張る。
「私がその舟を漕ぎ手となり、ハイブリッドエンジンを積んで、自ら『セラ・リゼ・イゼ』ファンクラブの会長兼プレジデントに就任してあげる!」
「セラ・リゼ……なんだって!?」
セラフィナは耳まで真っ赤に染め上げ、信じられないものを見る目で声を荒げた。
「わけのわからない名前を勝手につけないでよ! っていうか、なんで私まで巻き込まれてるわけ!?」
「あら、セラちゃんってば、ツンデレな上にちゃっかり自分もその四角関係の輪に混ざりたいなんて……本当に素直じゃないんだから」
セネスティアは目を細め、クスクスと喉を鳴らす。
「ツンデレの意味すら知らないわよ、私は!」
必死に言い訳をしようとするセラフィナの声は、もはや完全にうわずっていた。
「そういうのを『ツンデレ』って言うのよ。口では否定してるのに、顔は真っ赤で今にも爆発しそうなんだから」
セラフィナは熱を持った両手で顔を覆い隠し、テーブルの上に突っ伏した。
「もうやめてよ……! お願いだからその変な話を終わりにしなさい!」
セネスティアはしばらくの間、お腹を抱えてキャッキャと楽しそうに笑い続けた。
やがて笑い声が静まると、セラフィナはゆっくりと顔を上げ、気まずそうに視線を足元へと落とした。
「……私ね」
彼女は、普段の強気な声音を少しだけ潜め、か細く呟いた。
「ただ……少し怖かっただけなの。もし、いつかお兄様の隣に別の誰かがずっと居続けるようになったら、私がいなくても平気になってしまうんじゃないかって……そう思ったら、なんだか胸の奥がキュッと締め付けられるような気がして」
セネスティアの表情から、先ほどのイタズラっぽい笑みがスーッと消え去った。彼女はセラフィナの抱える小さな孤独と不安をまっすぐに受け止めると、優しく微笑んでその小さな手をそっと包み込んだ。
「そんなこと、絶対にないわ」
セネスティアは力強く、しかし温かい声で言った。
「お兄様はいつだって、セラちゃんのことを特別大切な妹だと思っているもの。どんな人が彼の人生に現れようとも、その場所が変わることは絶対にないわよ」
セラフィナは驚いたように顔を上げ、セネスティアの真っ直ぐな瞳を見つめた。
「……本当に?」
「本当よ!」
セネスティアは力強くうなずき、彼女の手をキュッと握りしめた。
「お兄様にとってのセラちゃんは、世界にたった一人の、かけがえのない妹なんだから。安心していいのよ」
その言葉を聞いた瞬間、セラフィナの胸に渦巻いていたモヤモヤした霧が、まるで春風に溶かされるようにスーッと消えていった。彼女は、ふっと肩の力を抜き、柔らかく美しい笑みを浮かべる。
「……ありがとう、セネスティア」
「どういたしまして!」
セネスティアはパッと表情を明るくさせ、いつもの調子に戻るとニヤリと笑った。
「でも、やっぱりセラちゃんはお兄様が大好きなしおらしい妹ね!」
「だから違うって言ってるでしょーっ!」
再び賑やかな小競り合いが始まり、二人は声を合わせて笑い合った。冷えかけていた秋の夕暮れの空気が、二人を包む温かな絆によって心地よく満たされていく。
「それにしても……」
ひとしきり笑った後、セネスティアは少し真面目な顔に戻り、持ってきたお菓子の箱を開けた。
「このお菓子、本当に美味しいの。本邸の厨房から無理言ってわけてもらったんだからね」
「どれどれ……」
セラフィナは差し出された小さな焼き菓子を口に運び、目を丸くした。
「……美味しい。これ、すごく上品な甘さね」
「でしょ? セラちゃんが絶対好きだと思ったんだ!」
二人は並んでお菓子をつまみながら、他愛のないおしゃべりに花を咲かせた。いつもは堅苦しい宮殿のなかで、誰の目も気にせず、ただの年頃の少女として笑い合えるこの時間が、二人にとって何よりもかけがえのないものになっていた。
「ねえ、セラちゃん」
しばらくして、セネスティアがふと思い出したように口を開いた。
「明日も、ここに遊びに来てもいいかしら?」
「……別に、暇なら来ればいいじゃない」
ぶっきらぼうに返しつつも、セラフィナの口元には隠しきれない喜びの笑みが浮かんでいる。
「やった! じゃあ明日は、もっと面白い噂話を持ってきてあげるからね!」
「変な噂話は持ってこなくていいっ!」
やがて日暮れが近づき、宮殿の窓々にぽつりぽつりと灯りがともり始める頃、セネスティアは名残惜しそうに立ち上がった。
「それじゃあ、今日はそろそろ戻るね。また明日!」
「ええ、気をつけて帰ってちょうだい」
セネスティアが手を振りながら軽やかな足取りで庭園の出口へと向かおうとしたその時、ふと何かを思い出したように足を止め、クルリと振り返った。
夕暮れの黄金色の光が彼女の髪を照らし、その瞳には悪戯っぽい光が宿っている。
「そういえば、セラちゃん……さっきの質問の答え、まだだったわね」
「……質問って、なに?」
セラフィナが不思議そうに首を傾げたとき、セネスティアはフッと微笑み、そのまま一歩、また一歩と彼女へと歩み寄ってきた。
「『どうして私の名前を舟に入れないの』って言ってたことよ」
「えっ、ちょっ――」
セネスティアは言葉を最後まで言わせず、ふわりと腕を広げると、そのまま真っ直ぐにセラフィナの胸元へと飛び込んだ!
「わっ……!?」
突然の不意打ちに、セラフィナはバランスを崩し、その小さな体を受け止めたまま、二人揃って柔らかい芝生の上へと綺麗に倒れ込んだ。
バサッと草が揺れ、すぐ間近でセネスティアの艶やかな髪がふわりと広がる。動揺するセラフィナが何かを言うより早く、セネスティアはさらに顔を寄せ、その柔らかい頬へとチュッと軽い音を立ててキスをした。
「なっ……ななな、何するのよっ!」
セラフィナは顔を真っ赤に染め上げ、耳まで茹でダコのように熱くなりながら、ジタバタと身をよじって彼女を押し返そうとした。
「いきなりこんなことして、頭でも打ったの!?」
セネスティアは芝生の上に寝転がったまま、クスリと可愛らしく微笑み、その耳元にそっと唇を寄せた。
「だって……セネスの名前を入れるなら、こうするのが一番確実だと思ってさ」
「ばっ……馬鹿なこと言ってないで、早くどきなさいよ!」
口では散々文句を言いながらも、セラフィナの心臓は激しく高鳴り、その頬の赤みはいつまでも引くことはなかった。温かな夕風が二人を撫でる中、庭園には再び、彼女たちの弾けるような笑い声がいつまでも響き渡っていた。




