第100章:絶望の底に響く声
ステシアは、ひび割れて乾いた大地に無残に横たわっていた。その肉体は凄まじい損傷を受け、わずかに動かすことすらも叶わない。視界は急速に霞んでいき、激闘の果てに立ち込める灰色の雨雲に覆われた空だけが、ぼんやりと広がっていた。
微弱な呼吸は途切れがちで、幾重もの傷口から流れ出る鮮血が、乾いた地面へとゆっくりと染み込んでいく。
「ママ……」
か細く、聞き取れないほどの声で彼女は呟いた。
「ママ様……」
そこに彼女の声を聴き届ける生き物はいない。ただ、廃墟の上を吹き抜ける風と、降り始めた冷たい雨音が虚しく響くだけだった。
「ママ、助けて……」
彼女はさらに囁き、流れる涙が顔にこびりついた血と混ざり合う。
「痛いよ……ママはどこにいるの……」
突き刺さるような痛みのなかで、長く遠い記憶が脳裏によみがえってきた。最も弱っていた日に、自分を優しく包み込んでくれた黒髪の女性の姿。
「『大丈夫よ、娘や。ママはいつもここにいるわ』」
その声は、二千年以上の時が流れた今でも記憶の中で鮮明に響き渡っていた。
「ママ……」
震える声で彼女は再び呟く。
「どうして、らおが一番ママを必要としているときに……ママはここにいてくれないの……」
頬を伝う涙は止まらなかった。耐え難いほどの圧倒的な孤独感が重くのしかかる。無理にでも手を動かそうとしたが、指先一本動かす気力すら残っていなかった。
「ベアトリクスが裏切った……」
何もない虚空に向かって彼女は呟く。
「パパ様、こんな風に負けちゃったらおのこと、きっとすごく怒るよね……」
冷たい雨が激しく降り注ぎ、傷ついた肉体を容赦なく打ち付ける。それは彼女の流す涙と混ざり合っていった。
「ママ……」
彼女は最後に囁いた。その声は消え入りそうに小さい。
「もしママに聞こえているなら……お願い、らおのところに来てよ……」
かつて眩く輝いていた瞳は、今や疲れ果て、苦痛に満ちていた。必死にまぶたを開けていようとしたが、肉体はすでに命令を聞かなくなっていた。
「らお、一人になりたくないよ……」
雨は降り続き、顔の上の血や涙を少しずつ洗い流していく。激戦の果てに残された廃墟の中で、ステシアの身体は静かに横たわっていた。
苦痛に満ちたその叫び声が、痛みを越えて誰かに届いたのかどうか――そして、果たして間に合う者などいるのか、誰にも分からなかった。
ただ、静寂と闇が少しずつ意識を蝕み、肉体と精神の深くに刻まれた痛みが広がっていく。
その時、ミジキの身体が空から凄まじい勢いで舞い降りてきた。彼女は地面に横たわり意識を失っているステシアの目の前に着地する。見開かれたその瞳には、かつてないほどの深い焦りが宿っていた。
「ステシア!」
叫び声を上げながら、ミジキは傷だらけの身体の傍らに膝をついた。迷うことなく両手をかざし、即座に治癒魔法を発動させる。
柔らかな緑の光がステシアの身体を包み込み、致命的な傷口がゆっくりと塞がれていく。
「パパ様……」
ステシアは薄っすらとまぶたを開け、誰が訪れたのかを悟るのか細く呟いた。
「ミジキ・パパ……」
ミジキはかすかに微笑んだが、その瞳の奥には依然として深い心配の色が漂っていた。「黙っていなさい、ステシア」彼女は優しくも力強い声で言った。「今、パパが治療してあげているからね。たとえ人工知能であっても、身体の構造は人間と何一つ変わらないのよ。これ以上無理に喋ったら、容体が悪化するくらい、一番よく分かっているはずでしょう」
ステシアは警告を分かりながらも、必死に唇を動かした。
「ブルーベル……」
息を切らし、途切れ途切れに声を絞り出す。
「ブルー……ベル……」
その名前を聞いた瞬間、ミジキの手がピタリと止まり、その表情が一気に険しく引き締まった。
「ブルーベルは、テストエリアの入口に……」
ステシアはか細い声をさらに絞り出す。
「ラオよりもひどい状態なの……ブルーベルを助けてあげて……」
ミジキはしばらく言葉を失った。その奥で助けを待っているもう一つの命があると知り、不安が何倍にも膨れ上がった。だが、この危機的な状況にあるステシアをその場に放置するわけにはいかない。
「わかったわ」
ミジキは頷き、治癒の魔力をさらに高めていく。「だけど、今はじっとしていなさい。パパが一番早くお前を治して、すぐにブルーベルのところへ向かうから」
ステシアは弱々しくうなずいた。頼みを聞き入れてもらったことで、胸のつかえが取れたかのように張り詰めていた糸が緩み、重いまぶたがそっと閉じられた。
緑色の治癒のオーラはなおもステシアの身体を包み込み、火傷やあざの痕が少しずつ薄れていく。完全に回復したわけではないが、危機的な状態にあったバイタルサインは安定を取り戻しつつあった。
ミジキは複雑な感情を胸に抱きながら、ステシアを見下ろした。間に合ってほっとしたという安堵と、このすべての惨劇を引き起こしたベアトリクスに対する激しい怒りが入り交じる。
(ベアトリクス……よくもこんな真似をしてくれたわね……)
心の中の激しい怒りを押し殺しながら、治療を施す両手は寸分の狂いもなく確かな安定を保っていた。
雨はなおも周囲一帯に降り注ぎ、ミジキはもう片方の手を伸ばして薄い魔力の障壁を展開し、ステシアの身体に直接雨粒が当たらないように守った。
「もう少しの辛抱だからね」
彼女は優しくささやいた。たとえ、今のステシアにその声が届いていないと分かっていたとしても。




