フォルスフッド - 第1話
なんて冴えない男だ、と、碓井磐鷲は心の中で独り言ちた。
その男は、見たところ四十代半ばといったところだった。よれよれのシャツ、しわの目立つスラックス、そして肩の辺りに埃のように積もる白いフケ。髪はビジネスマンらしく短く切り揃えてはいるが、疲れのためか頭にぺたりと張り付いていて、見るからに元気がない。肌もシミが目立ち、張りがなく、目の下にはうっすらと隈が現れている。
どれだけ元々の顔立ちがよかろうと、ここまで減点材料が揃っていたらどうしようもない。更に言わせてもらえば、目の前の男は、然程顔立ちが良いわけでもない。履いている革靴も底がすり減っているようだし、手にしているビジネスバッグも持ち手がボロボロだ。ならば猶更、目の前の男が、草臥れた、『冴えない』という言葉を体現するかのような存在と化すのは、至極当然な成り行きであるだろう。
自分も会社勤めの人生を歩んでいたら、こんな風になっていたのだろうか、と磐鷲は思う。
常に死がつきまとう自分の仕事と、死のリスクが低く、社会的な重要度と信用度の高い、真っ当で一般的で――けれど、少しずつ個人の生活を蝕んでいく仕事。どちらに就くのが幸せだろうか。
恐らく、この疑問に解は無い。それが分かっていても尚、こうして何かの折に心の奥底から疑問が湧きだしてくるのは、磐鷲自身が、自分のこの因果な商売に、どこかで嫌気が差しているせいなのかもしれない。
「あのう」
「……ああ。どうぞ、入ってください。茶でも出しましょう」
「あ、いえ、お構いなく……」
ちょうど出かけようとしていたタイミングでやってきた来客だった。「ここでは除霊……のようなものを行っていると知り合いから聞いて」というのが、男を招き入れざるを得なかった理由だ。雑居ビルの四階。エレベーターなどは無く、幅の狭い、薄暗い階段を上ってようやく辿り着く磐鷲の『城』。ビルの看板には『碓井探偵事務所』という言葉が躍っているものの、ここを訪れる者が、磐鷲に探偵としての依頼を求めることは、まず無かった。
玄関からは中が見えないように仕切り版が置かれていて、それに沿うように進んでいくと、向かい合って並ぶ革製のソファとローテーブル、そして最奥には、窓を背にした、木製のどっしりとした磐鷲の業務用デスクが見える。壁には法律関係の分厚い書籍やバインダーなどが本棚やロッカーに並んでいるが、それらはほぼカムフラージュ用の代物だ。実際の仕事で用いる書類や資料は、すべて業務用デスクに収められている。そんな実情など知る由もなく、冴えない男は物珍し気に室内を見回したのち、ソファの一角に腰を下ろした。
「それで」
申し訳程度に備え付けられている給湯室で茶を淹れ、男に出しながら、磐鷲は早速切り出した。
「今日はどのようなご用件で?」
「ああ、ええと、はい。そのう……私、こういう者でして」
男はスーツの内ポケットから、流れるような動作で名刺入れと名刺を取り出す。受け取り、さっと目を通すと、どうやら男は、ニュースなどでもよく見る上場企業、その管理職に就いているようだ。名を、中村亮。
「そのう……ええと、どこから話せば良いものか……」
「その少女を祓って欲しい――という話ではないと?」
磐鷲が告げると、男――中村は、顎をさすっていた手をピタリと止めた。驚いたような――いや、明確な驚愕の視線で磐鷲を見返している。
磐鷲はというと、視線だけを中村の肩の傍へ向けた。ソファに座る彼の、すぐ傍。そこに、十歳前後の幼い少女が居る。居る、と言っても、常人には視えないだろう。白いシャツに長い紺色のスカート、それと、ちょっとしたオシャレらしい両耳の傍から肩まで下ろされている三つ編み。だが、比較的はっきりと像を結んでいるのはその程度で、足は膝の先から霞み、表情も曖昧だ。どんな感情で中村の傍に居るのか、磐鷲の力を以てしても見極めることは難しい。
だが、幸いにも、そこまで強い力を持った霊ではない。本気を出せば五分も掛からない――これは自惚れや希望的観測などではなく、実績を基にした完成度の高い見通しだ。無論。
話が簡単なものであれば、だが。
「……み、見えるんですか、アサミが?」
「視える、或いは感じ取れる人間をお探しだったのでしょう? アサミ、とは、その少女の名ですか」
「そうです! そう、そう……なのですが」
これは、と、磐鷲は胸中で密かに舌打ちをした。中村は落ち着かない様子で、磐鷲と自らの周囲に視線を往復させている。こういうタイプの依頼者は、まず間違いなく――。
「その……迷っているんです」
――厄介な話を持ち込んでくる。
「彼女を――アサミを、祓ってもらうべきなのか」
磐鷲は身に着けているサングラスの下で、両目を瞑った。
出かけるのは、少し先になりそうだ。





