フォルスフッド - 第2話
一か月程前のことだ、と中村は言う。
「普段とは違う道で家に帰っていたんです。連日仕事で遅くなると、どうも同じ風景ばかりが続くものですから。息抜きに、というか、少しでも自分の生活に変化をつけたくて」
中村は独身で、最寄駅から十五分ほど歩いた場所にある、比較的新しめのワンルームマンションの一室に賃貸住まいとのことだった。
「それで――えっと、その日は小学校のすぐ傍を通ったんです。夜なので、当然子供なんて一人も居ないと思っていたんですけど」
居た、という訳だ。それも、足の無い半透明の少女が。
おどおどと、時々唾を飲み込んで、つっかえながら話す中村の話は、決して巧みなものでは無かった。むしろ、へたくそと詰られても仕方ないような質だったかもしれない。だが磐鷲は何も言わずに聞いた。理由は――色々とあるが、これも過去の実績として、『剃り上げた頭部といかついサングラス、派手目のシャツにタイトな上下スーツという自らの格好が、依頼人に余計な緊張を与える場合がある』からだ。要するに、自業自得である。
そんな男を目の前に、中村は必死に話した。出された茶に手も付けず語られた一部始終の事実だけを述べると、こうなる。
帰宅中、夜道にぽつんと立つ少女を、中村は不審に思い、声を掛けた。結果、少女は彼についてきてしまった。相手がどうやら足の無い存在だと気づいても、もう後の祭り。彼女は彼の自宅にまでやってきて、片時も中村の傍を離れなくなったのである。
「チャットアプリって、自分用のメモ欄みたいなもの、ありますよね。それを使って、試しに尋ねてみたんです。君の名前は、と。そうしたら」
中村はいそいそと自らのスマートフォンを取り出し、アプリを開いてから、磐鷲にその画面を見せた。成程、確かに、中村が入力した言葉の後ろに、ぽつんと平仮名で返信されている。「あさみ」と。
「これだけ見ると、あなたが一人で呟いているだけのようにも」
淡々と感想を述べると、そこで初めて、中村は若干不快そうに鼻を膨らませた。素直に謝り、先を促す。
「それ以外の質問に、彼女は答えてくれませんでした。と言うより、何というか、その……えっと、どういえばいいのか」
知らない。分からない。ピンと来ていない。そんな表現を中村は告げる。
「自分の名前だけは分かるんだと思います。でも、それ以外は一切覚えていないし、理解も出来ない。こう……生まれたての赤ん坊のような感じなのではないかと」
死んだことにも気づいていない――というより、生死という概念すら忘れてしまった、と言った方がより的確だろうか。中村の言わんとするところを、磐鷲はそう解釈した。彼は口を出さない。それを伝えたところで、話が前に進むわけではないのだから。
「だからその、考えたんです。どうすれば彼女が成仏できるのか。楽しい映画を見せるとか、綺麗な場所に連れていくとか、そういうことをしてみました。すると」
中村はアプリのチャット履歴を遡り、順々に磐鷲へ示してくる。おもしろい。かわいい。きれい。簡素な形容詞が、中村の問いかけの後に続いている。どこかへ連れて行って、反応をチャットアプリ経由で尋ねて――その繰り返し、ということのようだ。
「満足させてあげれば、いつか自然と成仏してくれるのでは、と?」
「そうです、そうです。ですが」
「成仏しない」
「そうです。それで」
「ここに来た?」
「そうです!」
「嘘ですな」
「そ……はい?」
中村は面食らった様子で、磐鷲に顔を突き出した。磐鷲は懐から煙草を取り出す。そして、ローテ―ブルの上に置いてある、出かけようとする際に洗ったばかりの大理石製灰皿を近くに寄せた。
「吸っても?」
「え? あ、はぁ……どうぞ」
「失礼。……つまりですな、中村さん。あなたは何か、本来私に伝えるべき事項を隠しておられる」
煙草を咥えながらそう言うと、中村はびくりと全身を震わせた。実に分かり易い『図星』の表現だ。
「ど。どうしてそう」
「言い切れるのか? だってあなた、今の話では全く困っておられない」
煙草の先を百円ライターの炎で炙り、息を吸い込む。炎越しに中村を見据える。
「あなたはここへ来た時に『祓うべきかどうか』迷っていると仰った。しかし、その会話履歴を見るに、あなた、実に楽しそうだ。
連れ歩いて満足させよう、という発想も納得し難い。こういうケースだと、大抵はまず、その少女がどこの誰かを調べようとするものですよ。何か事件や事故が無かったか、図書館なりネットでね。身なり、遭遇場所……手掛かりは幾らでもある。その次は、より具体的なトライだ。事故の現場や墓場に花を添える、遺族に話を聞きに行く……普段がどれだけボンクラだろうと、人間、藁にも縋り始めると、思う以上に頭が回るものです。だが、今のあなたの話からは、そういった切迫感や焦燥感が一切見えない」
「わ、私は困ってここにやってきたんです!」
「そうだ、あなたは何かに困ってやってきた。だがそれは『少女がいつまで経っても成仏してくれない』というものでは無い。何かもっと、それとはベクトルの異なるお困りごとだ、と私は予想しますな」
磐鷲は大きく息を吐きだした。真っ白な煙が中村と磐鷲の間に広がり、中村は目を細める。煙草は吸わないタイプなのだろう。酒は、飲むとしても安酒。誰かと飲むよりも一人飲みを好む。彼の容姿が、話しぶりが、その個人主義な生活を如実に語っている。
「隠し事は無しにしませんかね、中村さん。ああ、安心してもらっていい。ここで話した内容を、私が口外することは決してありません。それはプロとして最低限の線引きですからな。まぁ、何か証明できるものがあるわけでもなし、この点については信じていただくほか、ありませんがね」
中村は暫く黙ったまま、落ち着きなく何度もソファに座り直していた。額にはうっすらと脂汗が滲んでいる。彼の視線はローテーブルと磐鷲の腹部を何度も往復していて、しかし決して磐鷲の目を見ようとはしない。磐鷲にはそんな中村の姿が、頭を垂れるべきか否か迷う、薄汚れた野良犬のように見えた。
聞かなくても分かる。何か後ろ暗いことがあるのだろう。恥、と言い換えた方がいいか。なるべく他人に告げたくない。だが――そんな逡巡が、数分続いた後。
「……分かり、ました」
中村は観念したように深い息を吐いた。そして、改めて尋ねてくる。「本当に他人には漏らさないんですよね」と。磐鷲が何度も頷いてやると、幾許か安心したらしい。
「その……TVなんぞを掛けているだけでも、アサミは素直に反応してくれて。だから、何だか私も、妙に嬉しくなって……まるで、遅い青春がやってきたような感じがしていたんです。ですが」
「が?」
中村は唾を飲み込み、言った。
「アサミは、子供を襲うようなんです」





