マリオネット - 第8話
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どうやら、昨晩のアレの名前は、古いアニメのキャラクターに由来するらしい。
ふと思い立って、誰も居ない保健室でスマホをいじり、表示された検索結果に、私は小さく溜め息をついた。
多少、眠い。仕事上、夜を徹しての除霊を強いられることも多々あるから、耐えられない程では無いが、それでも、昨晩の安眠妨害者には、未だに腹を立てている。
業務用デスクに書類を広げたまま、私はちらりと、机の傍に置いた紙袋に目を遣った。中には、安眠妨害者の家ともいうべき真ピンクの箱が収めてある。デカい。仕事の後に講の先輩の家で焚き上げてもらおうと持ってきたが、今日も変わらず雨であり、ただの箱および人形と化しても尚、私に嫌がらせを試みているかのようだ。
全くもって腹立たしい。
名前の由来を見る限り、最初の持ち主はこの人形に対し、人並の愛情を注いでいたと考えていい。にもかかわらず、ああして変貌し、悪霊化した――そう考えると、アレの存在自体が兎角腹立たしい。せめて、その名を付けた最初の持ち主くらいは、変貌した人形の餌食になっていなければ良いのだが。
と言っても、今となっては、それは確かめようも無いことだろうが――。
「――失礼しまーす!」
思考を遮るかのように、元気溌剌、盛りのついた雌猫のような声が、保健室のスライドドアを開ける音と共に響いて、私はもう一つ深い溜め息を吐き出した。見ると、やはり――昨日もここを訪れてきたこの高校の生徒・東栄絵だ。
「雷瑚先生なら今日もお休みよ。多分、明日も明後日もね」
昨日言ったでしょう、と続けると、東さん――流石に雌猫と呼び続けるのは仮にも教職員として抵抗がある――は「やっぱりそうなんですかー」と残念そうに言いながら、保健室にズカズカと入ってくる。目的の人物が居ないのに何故? 私は苛立ちを何とか抑えつけながら、私のデスクのすぐ傍のベッドに腰掛ける東さんに尋ねた。
「どうしたの? 体調不良かしら?」
「いえ、雨がもうちょっとで止みそうなので、時間つぶしに来ちゃいました」
時間つぶし。学生は呑気なものだ。まぁ私も彼女と同い年くらいの頃は……いや、あの頃にはもう、晶穂と共に除霊師の修行に入っていたっけ。
「置き傘でも拝借して帰ったら? 花の女子高生なんだから、時間は有効に使うべきよ」
「それじゃまるで、ここに来るのが時間の無駄みたいじゃないですか」
「雷瑚先生もいないのに?」
「そ、それだけが目当てで来てるわけじゃないですから!」
「そうなの?」
では何が目当てで――そう尋ねようとしたが、その前に、東さんは目聡くデスクの傍の紙袋に声を上げた。えらく真ッピンクですね、と。ええ、と言いつつ疑問を腹の中に飲み込み、私は彼女へ人形の箱を見せてやる。そして、ついでに言った。これが曰く付きの人形であること。既に祓ってはいるが、あまり触れない方がいいこと。それから――こういうものが中古ショップやごみ捨て場に置かれていても、極力手に取るなということ。
「古い人形にはね、それだけ人の想いや残滓、それに穢れが染みついていることが多いの。それがやがて自我を持ち、動き出すこともある。付喪神、って聞いたことない?」
「あります。人形の怖い話、っていうのもよく聞きますよね。……この子も悪さをしたんですか?」
「私の安眠を妨害したわ」
真剣にそう言うと、東さんはケラケラと可笑しそうに笑った。一体、今の話のどこに笑うポイントがあったのか。
「でも、意外ですね。大事にされてたっぽいのに」
「このボロボロの顔面を見てそう思うのは、大人としてどうかと思うわ」
「いやいや、だって、箱はキレイじゃないですか」
彼女の言葉に、私は首を傾げた。それが一体なんだというのか。
「ほら、近所の小さな子とか、従兄弟の子とかに、むかし自分がよく遊んでいた玩具をあげることって、結構あるじゃないですか。で、人形とかだと、出来るだけちゃんとした形にして渡してあげること、ありません? 頭にリボンとかつけて、おめかしさせてあげたり。あと、ホコリ被ってた元の箱にしっかり入れてあげたりして」
……そういうものなのだろうか、と私は一人考えた。私は小さな頃から、そういった人形やら何やらの玩具を買ってもらった事が無い。そういうものとは無縁の家庭だったのだ。……いや、思い出してあまり気持ちの良い話ではないから、この辺りでやめておこう。
「かなり古そうだけど、多分、この子は色んな子供の手に渡っていく時、必ずこの箱の中に入れてもらって、大事に手渡されていったんだと思いますよ。新品みたいにキレイに見えるように、箱も――多分、人形の本体も毎回、表面を拭いたりして。
……それでも、悪さをするようになっちゃうって、何だかちょっと悲しいですね」
東さんはそう言って、そっと箱の上面を撫でた。しかし、彼女の言葉が正しいとすると……少なくとも、アレに名前をつけた元の主人が被害を被ることは無かった、と考えていいのかも知れない。
そうであればいい、と、私は胸中で呟いた。確かに私は根性がひん曲がっているし、地獄の鬼から悪人認定を受けたこともある性格破綻者だ。晶穂と違って、どこぞの御仁がどうなろうと、全く、これっぽっちも知ったことではないのだが。
それはそれとして――愛情が愛情のまま終われたというのであれば、それに越したことは無い。
……と、思う。なんとなく。
「まぁ……あなたがそう言うのなら、出来るだけ丁重に供養してもらうようにお願いしておくわ」
「そうしてあげて下さい。……この人形も、最後に出会ったのが坂田先生で良かったですね」
「いえ、それは無いわ」
私は真正面からその言葉を否定する。何というか、そんな言葉が出てくるようなら、この子は『人を見る目が無い』と言わざるを得ない。……が、東さんはそんなこちらの思惑など知らず、またケラケラと笑った。
「さてと! じゃあ雨も止んだみたいですし、そろそろ失礼しますね。明日も寄っていいですか?」
「いいけど……何回も言うけど、雷瑚先生は暫く居ないわよ? 来ても楽しくないと思うけど」
「あたしは楽しいですよ? それに、昨日から坂田先生、とっても寂しそうですし。あたしたちはライバルですけど、それ以上に、坂田先生もあたしの命の恩人の一人ですからね。そんな人を放っておくなんて、それこそ恩知らずってものです」
また明日もお話聞かせてくださいね――そう言うと、ぽかんとしている私を放って、彼女は保健室を出ていった。ぴしゃりとドアが閉まり……私は一人、デスクの上のコーヒーを口に運ぶ。
冷めている。端的に言って不味い。
だが、思っていた以上の不快感は無かった。腹立たしい気持ちも、いつの間にか少し落ち着いた気がする。
私は立ち上がり、保健室の窓から外を見た。
雨上がり。校庭のあちこちに泥が見える。が、傘を差している生徒は居らず、空には小さな虹が掛かっていた。
「……昨日は面白くなさそうにして帰ったくせに」
一人呟き、また溜め息をついて、私はデスクに向き直る。サッサと仕事を終わらせよう。そして、人形を先輩に渡して――ついでに、久々に他愛もない世間話に興じるのもいいかもしれない。と言っても、先輩は私や晶穂と違う次元で依頼が舞い込んでくる人だから、話せる時間は限られているかも知れないが、それはそれだ。悲観しているより、楽観して向かった方が、気分は晴れやかになる。
……それに。
『いいかい、有能な除霊師の君』
最低でも、昨晩聞いたあの言葉だけは、伝えておいた方がいい気がする。先輩は勿論、ボスや晶穂たちにも。
『近い将来、君たちにとっても、我々にとっても異質なものが、この世に降臨するだろう』
――何故だろう。あの言葉だけは、楽観視してはいけない気がする。
気が逸るのを抑えようと、私は再度、冷たくなったコーヒーを口に運ぶ。
「……まっず」
呟いた言葉が、私だけの保健室に空しく響いた。
【マリオネット 完】





