第5話――ダンジョンとやる気に満ちた勇者たち
僕は、王城の敷地内にある広大な広場へと連れてこられた。
本当に広い場所だ。
広場の端には何列もの兵士が並び、王国の役人たちも何やら忙しそうに準備を進めている。
ここは、式典などに使われる場所なのだろうか。
まあ、これだけ広ければ、そう考えるのが自然だろう。
広場に入る前に、僕は数人の兵士による検査を受けた。
服装や持ち物を調べられ、不審なものを持ち込んでいないか確認される。
もちろん、僕だって大切な物をそのまま持ち歩くほど愚かではない。
ナイフや金、その他いざというときに役立ちそうな小物は、すでに収納スキルの中へしまってある。
外から中身を見ることはできない。
これなら、持ち物を勝手に没収される心配もない。
それに、役立たずと判断された生徒がナイフを持っている理由を説明する必要もない。
別に、誰かを襲うために持っているわけではないのだ。
ただ、危険な場所へ何の備えもなく入るつもりがないだけである。
検査を終え、ようやく広場へ足を踏み入れた。
そこには、僕と一緒に召喚されたクラスメイトたちが全員集まっていた。
おや?
僕たちの担任もいるようだ。
桐島先生は女子生徒たちの集団から少し離れた場所に立っていた。
顔には疲労が浮かび、目にもどこか生気がない。
先生まで僕たちから引き離されてしまったのではないかと、少し心配していたのだ。
とりあえず、まだここにいることが分かっただけでもよかった。
しかし、どうやら僕の登場に驚いている生徒もいるらしい。
「えっ、あれ誰?」
「もしかして……」
「なんであいつがここにいるんだ?」
僕が生徒たちのそばを通り過ぎると、そんなひそひそ声が聞こえてきた。
……もしかして、僕の存在まで忘れられていたのだろうか。
これは少し悲しい。
いや、よく考えてみれば、彼らが僕を覚えている理由も特にないのだが。
僕は王国に選ばれた勇者ではない。
クラスの人気者でもなければ、いつも周囲の注目を集めるような人間でもない。
ただ収納スキルを授かり、その後は放置された水科理人というだけだ。
忘れられていても、別に不思議ではないのだろう。
それでも、やはり。
少しだけ傷つく。
ほんの少しだけだ。
僕は、ほかの生徒たちの服装を観察した。
召喚された当初は全員が学校の制服を着ていたが、今では王国から支給された服に着替えている生徒がほとんどだった。
中には、見るからに高価そうな装備を身につけている者もいる。
冒険者が着ていそうな格好をしている生徒までいた。
みんな、やけに目立っている。
それに比べて、僕はいまだに学校の制服姿だ。
見てほしい。
あちらは、なんとも華やかである。
まるで、これから壮大な冒険へ出発する主人公たちのようだ。
そして、こちらを見てほしい。
制服を着たままの、ただの一般生徒である。
もしこれがゲームなら、どうやら僕はルート選択を間違えたらしい。
◇
僕は、もう少し詳しく生徒たちの様子を観察してみた。
疲れ切った顔をしている者もいる。
何度もあくびをしている者もいれば、ほとんど口を開かず、ぼんやりと立っている者もいた。
桐島先生も、かなり疲れているように見える。
少しでも休める時間があればいいのだが。
先生は教師としてはまだ若いほうだろう。それでも、この二週間が簡単なものではなかったことくらい、僕にも想像できる。
突然、何十人もの生徒と一緒に異世界へ召喚され、そのうえ見知らぬ王国から魔王軍と戦えと言われたのだ。
もし僕が先生の立場だったら、どう対処すればいいのか分からないと思う。
生徒たちの中には、家が恋しくなっている者もいるかもしれない。
何日も続いた訓練の疲れや、先の見えない状況への不安が積み重なっている者もいるだろう。
何しろ、彼らには召喚される前の生活があったのだ。
家族がいて。
両親がいて。
友人がいて。
当たり前のように過ごしていた日常があった。
それを、いつ取り戻せるのかも分からない。
そんな状況で不安を感じるなというほうが無理だろう。
だから、彼らが精神的に参っていたとしても、僕は責めるつもりはない。
もっとも、全員を助けられるほどの余裕が僕にあるわけでもないのだが。
自分の身を守る方法すら、まだ十分には分かっていないのだから。
やがて、僕の視線は学校でいつも僕に絡んできた連中へと移った。
……ふむ。
彼らはずいぶんとやる気に満ちているようだ。
特に、神崎修吾。
彼は胸を張り、まるでこの広場そのものが自分のために用意された舞台であるかのように振る舞っていた。
取り巻きたちが周囲を囲み、何人かは楽しそうに会話している。
ただ、その集団の中で少し気になることがあった。
一人の女子生徒だけ、どうにも様子がおかしいのだ。
顔色が悪く、ほかのメンバーと比べても明らかに疲れ切っている。
時折うつむいては、周囲の視線を避けるようにしていた。
何かあったのだろうか。
単に疲れているだけかもしれない。
あるいは、別の事情があるのかもしれない。
だが、十分な情報もないのに勝手な判断をするつもりはなかった。
そもそも、僕には彼らと関わる理由がない。
少なくとも、そうであってほしいものだ。
◇
しばらくすると、広場の奥に設けられた壇上へ、一人の老人が上がった。
王だ。
豪奢な衣装に金の冠、整えられた白いひげ。
歴史の教科書に出てくる王様を、そのまま再現したような姿だった。
王は僕たちの前に立つと、長々と演説を始めた。
魔王の脅威について。
王国の未来について。
民の希望について。
この世界における僕たちの重要性について。
そして、僕たちがこの世界に召喚されたことが、どれほど名誉なことなのかについて。
僕は話を聞きながら、ときどき周囲へ視線を向けていた。
うーん。
そういえば、王女の姿が見当たらない。
僕たちが初めて召喚されたとき、彼女は王の隣に立っていたはずなのだが。
何か別の用事でもあるのだろうか。
それとも、このような式典には出席しなくてもいいのだろうか。
まあ、僕には分からない。
ただ、王の近くに座っている女性の姿は目に入った。
確か、あの人は王妃だったはずだ。
なるほど。
王妃はまだ健在だったらしい。
召喚されたときに姿を見せなかったので、てっきり不在なのかと思っていた。
王妃は、年齢を重ねた美しい女性だった。
気品のある立ち居振る舞いに、身分にふさわしい華やかな衣装。
しかし、どうにも気になることがある。
その目に、生気が感じられないのだ。
単に疲れているという感じではない。
まるで、心だけが別の場所に置き去りにされているような目だった。
病気なのだろうか。
何か悩みでも抱えているのだろうか。
それとも、僕が余計なことを考えているだけなのか。
結局、理由は分からない。
僕は再び王へと視線を戻した。
演説はまだ続いている。
まだ続いている。
そして、まだ続いている。
……これは本当に演説なのだろうか。それとも、聞いている人間の忍耐力を試すための試験なのだろうか。
もし、ダンジョンへ入る前に僕たちを眠くさせることが目的なら、王国はなかなか優秀な方法を考えたものだ。
残念ながら、僕には立ったまま眠る技術がない。
実に惜しい。
◇
ようやく、何時間も続いたように感じられる演説が終わり、式典の本題が明かされた。
王国は、僕たちをダンジョンへ送り込むつもりらしい。
理由は単純だった。
実戦経験を積ませるためである。
実際にモンスターと戦えば、僕たちの能力も成長する。
戦闘技術を身につけ、いずれ魔王軍と戦うための準備にもなる。
そういう説明だった。
話を聞いた生徒たちの中には、あからさまに不安そうな顔をする者もいた。
あちこちから、ひそひそ声が聞こえてくる。
「ダンジョン? 本当に入るのか?」
「中にはどんなモンスターがいるんだ?」
「怪我をしたらどうするんだよ?」
「その前に、もっと訓練するべきじゃないのか?」
彼らの反応は理解できる。
僕たちは、ただの高校生なのだ。
これまで本気で命を懸けた戦いなど経験したことがない者がほとんどだろう。
スポーツ用具以外の武器を握ったことすらない生徒もいるかもしれない。
そんな僕たちが、実物を見たこともないモンスターと戦えと言われている。
どんな姿をしているのか。
どんな能力を持っているのか。
どれほど危険なのか。
何一つ分からない相手と戦えというのだ。
怖くないはずがない。
僕だって、積極的にモンスターと遭遇したいわけではない。
できることなら、図書館で本を読んでいたい。
残念ながら、この王国の図書館は、僕が入ることすら許してくれなかったのだが。
知的好奇心を満たすことすら許されないとは、本当にひどい世界である。
一方、神崎修吾はますます意気込んでいるようだった。
彼は一歩前へ出ると、広場全体に響く声で叫んだ。
「怖がるな! 俺たちがこの世界に召喚されたのには、きっと理由があるんだ!」
何人かの生徒が、彼のほうを振り返った。
修吾は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「俺たちは強くなり、魔王を倒して、この世界を救うんだ!」
周囲の空気が変わった。
驚いたような表情を浮かべる生徒もいれば、感心したように彼を見つめる生徒もいる。
彼の言葉を聞いて、やる気を取り戻した者までいるようだった。
僕はただ、修吾を見つめていた。
……。
何だ、今のは。
勇者のテンプレートか?
本気で言っているのか?
『俺たちは強くなり、魔王を倒す!』
思わず拍手したくなった。
感動したからではない。
その台詞が、これまでファンタジー小説で何百回と読んだようなものだったからだ。
あとは壮大なBGMを流して、カメラをゆっくり彼の顔に近づければ完璧だろう。
もし、この光景を見物するためのチケットが売られていたら、購入を検討してもいい。
もちろん、安ければの話だが。
ただ、周囲の生徒たちが彼の言葉に影響され始めていることには、少し不安を覚えた。
確かに、やる気は大切だ。
しかし、やる気だけで準備不足を補えるわけではない。
ましてや、相手は本物のモンスターなのだ。
強い決意を持っているからといって、攻撃をやめてくれるわけではないだろう。
まあ、彼らがどう考えようと僕の知ったことではない。
僕はただ、生き延びたいだけなのだから。
◇
説明が終わると、役人たちが生徒の名前を一人ずつ呼び始めた。
出発前に、召喚された生徒が全員そろっているか確認するつもりらしい。
名前が呼ばれる。
呼ばれた生徒が前へ出る。
有用だと判断されたスキルを持つ生徒は、役人たちから好意的な反応を受けることもあった。
そうでない生徒は、少し前に出て確認を受けるだけで、すぐに列へ戻された。
特に問題もなく、確認作業は進んでいった。
そして、ついに僕の名前が呼ばれた。
「水科理人」
僕は前へ進み出た。
その瞬間、場の空気がほんの少しだけ変わった。
名簿を持っていた役人が、僕を見て目を細める。
壇上に座っていた王も、わずかに驚いた様子を見せた。
周囲の役人たちも、互いに視線を交わしている。
……なるほど。
この反応には覚えがある。
どうやら、彼らは僕がまだここにいるとは思っていなかったらしい。
あるいは、僕が健康な状態で現れたことに驚いているのかもしれない。
少しだけ光栄に思ってしまいそうだ。
王国の偉い人たちを驚かせることができたのだから。
もっとも、その理由が嬉しいものでないことくらい、僕にも分かっている。
この状況を招いた人間が誰なのか、僕にはおおよその見当がついていた。
最初から、彼らは僕を保護すべき生徒の一人として扱うつもりなどなかったのだ。
僕のスキルを役立たずと判断した。
僕を無視した。
食事も住む場所も、自分でどうにかしろと言わんばかりに放置した。
そして今度は、僕をダンジョンへ送り込もうとしている。
彼らの計画の全容までは分からない。
だが、この二週間の扱いを考えれば、一つの可能性がますます現実味を帯びてくる。
彼らは、僕にあそこで死んでほしいのだろう。
直接手を下すのではない。
危険な場所へ送り込み、あとは状況に任せてしまえばいい。
実に都合のいい方法だ。
自分たちの手を汚す必要はない。
誰かに説明する必要もない。
僕が死んだとしても、訓練中の事故だったと言い張れば済む。
……。
本当に、人間らしい心を持っているのだろうか。
僕は、表情を変えないように気をつけた。
ここで自分の疑念を表に出しても、何の得にもならない。
もし本当に僕を排除するつもりなら、疑っていることを悟らせれば、相手がさらに慎重になるだけだろう。
今の僕には、王国全体を敵に回せるほどの力はない。
ならば、今は何も知らないふりをしておくほうがいい。
やがて、役人は名簿から顔を上げた。
「よし。列に戻っていい」
「分かりました」
僕は軽く頭を下げ、元の場所へ戻った。
僕が離れると、彼らの態度はすぐに元へ戻った。
無関心。
まるで、何もおかしなことなどなかったかのように。
まるで、異世界から召喚した生徒の一人がどんな運命をたどろうと、どうでもいいとでも言うように。
僕は心の中でため息をついた。
分かった。
これで、ますます確信が持てた。
この王国を信用してはいけない。
◇
すべての生徒の確認が終わると、僕たちは出発に備えて、それぞれの宿舎へ戻るように告げられた。
それ以上、重要な説明はなかった。
僕たちが本当に同意しているかどうかを確認する話し合いもない。
拒否する機会すら与えられなかった。
すでに決定されたことなのだ。
僕たちは、それに従うよう求められているだけだった。
僕は、広場を後にする生徒たちの流れに加わった。
少なくとも、持っていく荷物は少なくて済みそうだ。
大切な物はすべて収納スキルの中に入れてある。
着替えをまとめる必要もなければ、金をわざわざ持ち歩く必要もない。
ただ、出発する前に済ませておきたいことが、いくつかあった。
まず、僕はいつも親切にしてくれた年配の使用人の部屋へ向かった。
直接会うことはせず、彼女が見つけそうな場所に、小さな書き置きを残しておくことにした。
内容は簡単だ。
急用ができたため、しばらく出かけること。
いつ戻れるかは分からないこと。
そして、これまで親切にしてくれたことへの感謝。
それだけを書き残した。
ダンジョンについては書かなかった。
召喚されたことについても触れなかった。
彼女を、自分には関係のない問題に巻き込みたくなかったのだ。
少なくとも、これまでのところ、使用人たちは僕が召喚された生徒の一人だとは知らない。
できることなら、その状態を維持しておきたい。
その後、僕はいつも手作りの甘味を欲しがっていた若い女の子たちにも、別の書き置きを残した。
こちらには、少し違うものを用意した。
以前作った、ある簡単な焼き菓子のレシピだ。
材料はそれほど珍しいものではないし、作り方も難しくない。
最後には、一つだけ伝言を付け加えておいた。
このレシピを貴族たちに渡さないこと。
特に深い理由があるわけではない。
ただ、なぜか、自分が簡単に作ったものを彼らに与えたくなかったのだ。
これまで親切にしてくれたのは、あの使用人たちだった。
小さな贈り物を受け取る資格があるのは、僕がまだ生きているかどうかすら気にかけない人間たちより、彼女たちのほうだと思う。
もちろん、このときの僕は、まだ一つの重要な事実を知らなかった。
この世界にも、砂糖そのものは存在している。
しかし、その用途は紅茶や一部の飲み物に加える程度に限られることが多い。
僕が作ったような甘い焼き菓子は、王城の厨房でも当たり前に見かけるものではなかったのだ。
つまり僕は、自分でも気づかないうちに、思っていた以上に価値のあるレシピを残してしまったらしい。
残念ながら、そのときの僕はそんなことを知る由もなかった。
もし知っていたら、販売条件でも付けておいただろうか。
いや、せめて売り上げの一部くらいは要求していたかもしれない。
……惜しい商機を逃してしまった。
◇
やるべきことをすべて終えた僕は、自分の部屋へ戻った。
持ち物をもう一度確認する。
ナイフ。
金。
役に立ちそうな小物。
どれも、収納スキルの中に安全に保管されている。
置き忘れた重要な物がないかどうかも確認した。
よし。
これで十分だろう。
僕はしばらく部屋の中央に立ち、二週間を過ごした場所を見渡した。
ここは僕の家ではない。
それでも、しばらくの間は食事や寝床に困らずに過ごすことができた。
新しい知り合いもできた。
この世界について、少しだけ学ぶこともできた。
ほんの一時ではあるが、普通の生活に近いものを送れた気さえする。
残念ながら、その平穏は長く続かなかったようだ。
僕は小さく息を吐いた。
「さて……これで全部かな」
扉へ向かって歩き出す。
そして、ふと足を止めた。
一つだけ、今さらながら気づいたことがあった。
この世界に来てから、僕はまだ一冊も本を読んでいない。
一冊も、だ。
この二週間、情報を集め、働き、食べ物を作り、護身術を学び、自分のスキルについて考えてきた。
しかし、本を読む機会だけは得られなかった。
この王国の図書館には豊富な知識が眠っているらしいのに、僕には入ることすら許されなかったのだ。
よく考えてみれば、今回の出来事で最も悲しいことの一つかもしれない。
異世界に召喚され。
神級スキルを手に入れ。
王国に放置され。
そのうえ、モンスターだらけのダンジョンへ送り込まれる。
それなのに、僕が一番残念に思っているのは、本を読めていないことだった。
「……この世界は、本当に読書家に優しくないな」
僕は部屋の扉を閉めた。
いいだろう。
この王国が本を読む機会を与えてくれないのなら、別の場所を探せばいい。
まずは生き残ること。
それから、本を探すこと。
そして、できることなら、スキルの価値だけで入館を拒否されない図書館を見つけたい。
僕は出発地点へ向かって歩き始めた。
ダンジョンが、僕を待っている。
中で何が起きるのかは分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
僕は、王国の期待に応えるためだけに死ぬつもりはない。
もし彼らが、僕を大人しく犠牲になるだけの人間だと思っているのなら、それは大きな見当違いだ。
まずは生き延びる。
そして、この王国から脱出する方法を探す。
そのすべてが終わったら――
本を探そう。
何しろ、僕はこの世界に来てから、まだ一冊も本を読んでいないのだから。
つづく……




