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第3話――差別される落第者と、神のスキル


「うん。僕は本当に差別されているらしい」


僕は宿舎の扉にもたれかかりながら、硬いパンをかじっていた。


どこから手に入れたのかは、あえて説明しないでおこう。


隣には牛乳の入った瓶がある。


こちらも、どこから手に入れたのかは聞かないでほしい。


……まあ、少しばかり拝借しただけだ。


盗んだわけではない。


いや、許可を得ていない以上、盗んだと言われれば否定できないのだが。


それはさておき。


僕は手元のパンを見下ろした。


「それにしても、硬すぎないか……?」


パンをかじるたびに、顎が疲れる。


パンというより、乾燥させた木材に近い気がした。


少なくとも、僕の知っているパンは、ここまで人間の顎に挑戦してこなかったはずだ。


「せめて牛乳があってよかった。これがなかったら、食事というより顎の訓練だな」


僕はパンを牛乳に浸し、少し柔らかくしてから口に運んだ。


……うん。


多少はマシになった。


だが、問題はパンの硬さだけではない。


「そもそも、食事すら用意されないとは思わなかった」


昨日、僕は王国から割り当てられた宿舎に案内された。


その後、誰かが僕の様子を確認しに来ることもなければ、食事を届けに来る人間もいなかった。


朝になっても、状況は変わらない。


扉を叩く音もなければ、食堂への案内もない。


せめて扉の前に食事を置いておくくらいはしてくれてもいいだろう。


「いや、本当に誰も呼びに来ないのかよ……」


僕は扉の向こうを見た。


当然、誰もいない。


……なるほど。


王国の僕に対する評価は、想像以上に低いらしい。


いや、評価というより、そもそも存在を忘れられているのではないだろうか。


それはそれで、少し問題がある気もする。


まあ、誰にも干渉されないという点では悪くないのだが。


僕は最後の一口を牛乳で流し込み、空になった瓶を脇に置いた。


それから、遠くに見える王城へ視線を向ける。


ちょうどそのとき、見覚えのある生徒たちが城の中へ案内されていくのが見えた。


全員、昨日とは違う服を着ている。


仕立てのよさそうな衣服に、きちんと整えられた髪。


どうやら、王国側が用意したものらしい。


「……ああ、なるほど」


おそらく、朝食会か何かだろう。


召喚されたばかりの勇者候補たちを集めて、食事をしながら今後の方針を説明する。


そんなところだろうか。


もちろん、僕には何の連絡もなかった。


「まあ、いいか」


僕は再び城へ目を向けた。


「少なくとも、あんな堅苦しい食事会に参加しなくて済む」


貴族たちと同じテーブルにつき、作法を気にしながら食事をする。


誰がどの席に座るのか。


どの料理から手をつけるのか。


誰に話しかけ、どんな返事をするのか。


考えただけで胃が痛くなりそうだ。


しかも、相手は昨日会ったばかりの人間たちである。


僕にとっては、あまりにも面倒な時間だった。


「それに、食べ物に妙なものを入れられる心配もしなくていい」


これは冗談半分だ。


……半分だけだが。


昨日の時点で、王国の上層部を全面的に信用する理由は見つからなかった。


そんな相手が用意した食事を、何の警戒もなく口にするのは少し抵抗がある。


もちろん、毒が入っていると決めつけるつもりはない。


ただ、僕はまだこの世界について何も知らないのだ。


知らないことが多いのなら、余計な危険は避けるべきだろう。


それにしても。


「食事会に呼ばれないだけで、こんなに自由になるとはな」


僕は立ち上がり、服についたパンくずを払った。


さて、今日も情報収集を始めよう。


昨日の夜に手に入れた作業着は、きちんと元の場所へ戻してある。


しかし、別の場所にも予備の服があることは確認していた。


僕はそれを使い、再び使用人の服装に着替えることにした。


もちろん、勝手に服を借りるのは褒められた行為ではない。


そこは反省している。


……返すつもりはあるのだから、少しだけ大目に見てほしい。


こうして、僕の王城での二日目が始まった。


     ◇


使用人に紛れて行動すること自体は、昨日よりも簡単だった。


理由は単純である。


一度、仕事の流れを観察していたからだ。


どの場所に何が置かれているのか。


誰がどの時間帯に通るのか。


どんな仕事をしている人間が、どの建物を利用するのか。


そうした情報が少しずつ頭に入っていた。


僕は庭を通り抜け、道具を運び、時には掃除まで手伝った。


ただ歩き回っているだけでは不自然だし、何より目立つ。


だったら、実際に仕事をしてしまえばいい。


幸い、仕事そのものは難しくなかった。


道具を指定された場所へ運ぶ。


床の汚れを拭き取る。


荷物を整理する。


植物に水をやる。


どれも、手順さえ分かれば問題なくこなせるものばかりだった。


むしろ、普段から本を読んでいるおかげか、作業の手順を覚えるのは得意なほうだった。


一度教われば、次からは同じ失敗を繰り返さない。


必要な道具を先に用意しておけば、無駄な往復も減らせる。


結果として、僕はそれなりに役に立っていたらしい。


「君、見ない顔だね。新しく入ったのかい?」


庭の道具を整理していると、年配の作業員に声をかけられた。


「ええ、まあ。まだ仕事を覚えているところです」


「そうか。ずいぶん手際がいいじゃないか」


「ありがとうございます」


僕は適当に頭を下げた。


相手は少し僕を観察したものの、それ以上は何も尋ねてこなかった。


別の場所でも、似たようなことがあった。


「君、厨房の人間か?」


「いえ、今日は荷物を運ぶ手伝いをしています」


「そうか。なら、そこの箱を倉庫まで頼めるか?」


「分かりました」


そんな調子で、僕はあちこちの仕事を手伝うことになった。


何人かに新入りだと思われたようだが、仕事をきちんとこなしているせいか、深く追及されることはなかった。


……我ながら、なかなか有能な潜入要員ではないだろうか。


まあ、潜入先の人間に仕事を任されている時点で、何かがおかしい気もするが。


僕は人目につかない場所で、こっそりと評価を下した。


「安全管理は十点満点中、一点だな」


誰でも入り込めるうえに、仕事ができれば素性まで疑われない。


これが敵国の工作員だったら、どうするつもりなのだろう。


いや、僕自身がまさに不審者なのだから、あまり偉そうなことは言えないか。


とにかく、誰にも正体を見破られないうちに、目的を果たす必要がある。


僕が探しているのは、図書館だった。


本がある場所。


できれば、魔法やこの世界の歴史について書かれた本が読みたい。


この世界で生きていく以上、最低限の知識は必要だ。


魔法の仕組み。


通貨の価値。


国の歴史。


地理。


魔物についての知識。


知りたいことはいくらでもある。


そして、それらを調べるには、本が一番手っ取り早い。


……少なくとも、僕はそう考えていた。


     ◇


しばらく城内を歩き回った末、僕はようやくそれらしい建物を見つけた。


大きな扉。


整った廊下。


壁に飾られた絵画。


そして、入口の近くに立っている警備兵。


いかにも重要な施設という雰囲気だった。


期待に胸を膨らませながら近づいてみたものの、入口であっさりと止められた。


「ここは王族と許可を受けた者だけが利用できる。用件は何だ?」


「……図書館ではないのですか?」


「そうだが?」


「一般の使用人は利用できないのでしょうか」


「許可がなければ通すわけにはいかない」


「なるほど」


僕は素直に引き下がった。


無理に押し通ろうとしたところで、得られるものは何もない。


それに、ここで騒ぎを起こせば、今まで築いた立場が台無しになる。


僕は警備兵に軽く頭を下げ、その場を離れた。


そして、少し離れた廊下で立ち止まった。


「……はあ」


思わず、ため息が漏れる。


まあ、予想できなかったわけではない。


貴族や王族が暮らす城なのだから、重要な資料を保管する場所が厳重に管理されていても不思議ではない。


それでも、期待してしまったものは仕方がないだろう。


僕は壁にもたれかかり、天井を見上げた。


「そりゃあ、そうか。図書館と貴族だもんな」


何を期待していたのだろう。


中世ヨーロッパに似た世界で、本が簡単に読めるとでも思っていたのか。


印刷技術がどこまで発達しているのかも分からない。


紙が安価に流通している保証もない。


本そのものが貴重品である可能性だってある。


だとすれば、図書館が王族や一部の許可された人間にしか開放されていないのも、理解できなくはない。


理解できなくはないが。


「本くらい、自由に読ませてくれてもいいだろ……」


僕は心の中で、貴族たちへの不満を募らせた。


知識を独占する。


貴重なものを囲い込む。


自分たちだけが利用できるようにして、ほかの人間を遠ざける。


なんとも嫌な習慣である。


もちろん、すべての貴族がそうだと決まったわけではない。


だが、今のところ、彼らに対する印象が改善する材料は見つかっていなかった。


「いつか自由に本を読める場所を見つけてやる……」


僕は小さくつぶやいた。


別に、世界を変えたいわけではない。


ただ本が読みたいだけだ。


それなのに、どうしてこうも面倒なのだろう。


     ◇


それから、数日が過ぎた。


王城では、召喚された生徒たちが本格的な訓練を始めていた。


遠くから見かけることもあったが、彼らは毎日のように訓練場へ集められているらしい。


剣の扱いを学ぶ者。


魔法の練習をする者。


自分のスキルを確かめている者。


それぞれが、この世界で生きていくための準備を進めていた。


もちろん、修吾は別格の扱いを受けているようだった。


彼の周囲には、いつも騎士や指導役の人間が集まっている。


勇者という称号が、それほど重要なのだろう。


僕はといえば、相変わらず使用人に紛れて働いていた。


庭の手入れを手伝い、荷物を運び、ときには警備兵の仕事まで手伝うことになった。


もっとも、警備兵の仕事といっても、装備の整理や備品の運搬といった雑用が中心だ。


戦闘訓練に参加しているわけではない。


それでも、何日も顔を合わせていれば、自然と会話する相手も増えていく。


庭師の老人は、天気が崩れる前に植物の手入れを終わらせるべきだと教えてくれた。


厨房の使用人は、食材の搬入時間を教えてくれた。


警備兵の一人は、城内のどこに人が集まりやすいのかを話してくれた。


もちろん、僕が知りたいことを何でも教えてくれるわけではない。


それでも、顔見知りが増えたことで、以前よりもずっと動きやすくなった。


そして、何より重要なのは――。


いまだに、僕が召喚された生徒の一人だと気づいた人間がいないことだった。


どうやら、王国にとって僕は、勇者どころか記憶に残す価値もない存在らしい。


……まあ、そのおかげで助かっているのだから、文句は言えないのだが。


     ◇


そんな日々を過ごしていたある日。


僕は、自分のスキルについて改めて調べることにした。


召喚された直後、僕のスキルは『収納箱』と表示されていた。


物を収納するだけの能力。


王国の人間たちが失望したのも、無理はないのかもしれない。


しかし、僕はあのときから、少しだけ違和感を覚えていた。


スキルの詳細を確認したとき、表示された内容があまりにも簡素だったのだ。


収納できる物の種類。


容量の限界。


取り出し方。


そうした基本的な説明すら、ほとんどなかった。


まるで、能力の全貌が隠されているかのように。


だから僕は、人目につかない部屋で、もう一度自分のステータスを確認してみた。


目の前に、見慣れた半透明の表示が浮かび上がる。


名前や基本能力の数値を確認し、その下へ視線を移す。


そして――。


「……は?」


思わず声が漏れた。


そこに表示されていたのは、以前には気づかなかったスキル名だった。


【神級スキル:再創造】


「再創造……?」


僕はその文字を見つめた。


神級スキル。


その名前だけでも、普通の能力ではないことが分かる。


少なくとも、単なる収納箱よりは大層な名前だ。


僕は説明を確認した。


どうやら、このスキルは魔力を消費することで、物質を生み出す能力らしい。


ただし、何でも自由に作れるわけではない。


対象となる物質の構成を理解している必要がある。


素材が何でできているのか。


どのような成分を含んでいるのか。


どんな構造をしているのか。


そうした知識が、生成の条件になるらしい。


「なるほど……」


僕はしばらく考え込んだ。


物質を理解していなければ作れない。


逆に言えば、構成を理解しているものなら、魔力を使って生み出せる可能性がある。


もし本当にそうなら、かなり便利な能力だ。


問題は、どれだけの魔力が必要なのかという点だが。


僕はステータスの魔力の数値を確認した。


……低い。


いや、正確に言えば、低いというより、そもそも使える量が少なかった。


「せめて魔力がもっとあればな……」


僕は思わず額に手を当てた。


神級スキル。


名前だけなら、いかにもすごそうだ。


しかし、使うための魔力が足りなければ、宝の持ち腐れである。


高性能な道具を持っていても、電池が切れていれば意味がない。


それと同じだ。


「……本くらい作れると思ったんだけどな」


僕は机の上を見た。


本の構造なら、ある程度は理解している。


紙が何から作られるのか。


インクがどのような材料からできているのか。


表紙や糸がどんな役割を持っているのか。


完璧ではないにせよ、学校で学んだ知識と、これまで読んだ本から得た知識を組み合わせれば、基本的な構成くらいは説明できるはずだ。


ならば、本を一冊作ることも可能なのではないか。


そう考えたのだが……。


「魔力が足りないんじゃ、どうしようもないな」


結局、そこに行き着いた。


仮に本を作れたとしても、中身に書かれている情報まで自動的に生み出されるわけではない。


白紙の本ができたところで、今の僕にとってはあまり意味がない。


それでも、紙や筆記用具を自由に用意できるなら、情報収集には役立つだろう。


問題は、そのための魔力をどうやって確保するかだ。


僕はスキルの説明を読み返しながら、別の項目を調べた。


そして、ようやく魔力を増やす方法についての情報を見つけた。


魔力を成長させる方法の一つ。


それは、魔物を倒すことだった。


「……なるほど。魔物を倒せば、魔力が増えるのか」


少なくとも、表示された説明によれば、魔物を倒すことで魔力の成長につながるらしい。


もちろん、どの程度増えるのかは分からない。


強い魔物ほど効果があるのか。


倒した数が重要なのか。


それとも、別の条件があるのか。


そのあたりは、実際に試してみなければ分からないだろう。


僕はさらに説明を読み進めた。


そして、最後に記されていた条件を見て、しばらく黙り込んだ。


魔力の成長に関係する対象には、魔物だけでなく、人間も含まれている。


つまり――。


人間を殺すことも、魔力を増やす手段の一つになり得るということだった。


「…………」


僕はステータスを閉じた。


部屋の中が、妙に静かに感じられた。


魔物を倒す。


それなら、異世界では珍しい話ではないのかもしれない。


しかし、人間を殺すことまで成長の手段に含まれているとなると、話は別だ。


この世界の仕組みは、僕が思っていた以上に物騒らしい。


もちろん、魔力を増やすために人間を殺すつもりなどない。


そもそも、僕は戦闘の経験すらほとんどないのだ。


そんなことを考える前に、まずは自分の身を守る方法を覚えるべきだろう。


僕は椅子の背もたれに体を預けた。


「魔王がいる世界なんだから、魔物を倒して成長する仕組み自体は分からなくもないけど……」


それでも、少し引っかかるものがあった。


魔力を得るためなら、人間を殺すことさえ可能になる。


もし、その仕組みを知った人間が力を求め始めたら、どうなるのだろう。


魔王と戦うために召喚されたはずの人間が、力を得るために同じ人間を殺す。


そんなことが起こり得るのだとしたら、この世界は思っていた以上に危険だ。


……いや。


すでに、僕はその危険性を知っているはずだった。


力を手に入れた修吾が、これから何をするのか。


王国の人間たちが、彼の力をどのように利用するのか。


そして、この国が僕たちを本当に魔王と戦わせるつもりなのか。


まだ分からないことばかりだ。


僕は窓の外を見た。


遠くの訓練場から、剣がぶつかる音が聞こえてくる。


生徒たちは訓練を続けている。


騎士たちは彼らを指導し、王国の人間たちは勇者の誕生を喜んでいる。


その一方で、僕は誰にも知られないまま、使用人の服を着て城内を歩き回っていた。


そして、ようやく自分のスキルの本当の可能性を知った。


「……まあ、今は焦る必要もないか」


僕は小さくつぶやいた。


魔力が少ないのなら、増やす方法を探せばいい。


知識が足りないのなら、本を探せばいい。


本が手に入らないのなら、別の方法を考えればいい。


少なくとも、僕には考える時間がある。


王国の人間たちは、僕を役立たずだと思っている。


だからこそ、誰も僕を警戒していない。


その状況は、今の僕にとって悪くないものだった。


僕はもう一度、遠くに見える王城へ視線を向けた。


「さて……次は何を調べようか」


本を読むという当初の目的からは、ずいぶんと遠ざかってしまった。


しかし、今のところ退屈はしていない。


それだけは、確かなことだった。

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