第9話――ギャルと遭難したので、勝手に野戦病院を開設しました
やったー!
……どうしてこうなった。
俺は今、見知らぬギャルと一緒に、どこのダンジョンなのかも分からない場所の底にいる。
いや、正確には、ダンジョンの底にあるのかどうかすら怪しい。
何しろ、俺たちは落ちてきた穴を見上げても、出口らしきものがまったく見えないのだ。
周囲は暗く、頼りになるものといえば、俺が苦労して作った焚き火くらい。
その焚き火も、そろそろ消えかけている。
「……おいおい、もう少し頑張ってくれよ」
俺は火を見つめながら呟いた。
もちろん、火が返事をするはずもない。
……いや、もし返事をされたら、それはそれで怖い。
異世界に来てからというもの、常識というものが次々と役に立たなくなっている。
これ以上、焚き火まで自我を持つようになったら、俺の精神が持たない。
幸い、俺には再創造がある。
火を長持ちさせるための燃料も、すでにいくつか作ってあった。
もちろん、ただ木を一本作ればいいという話ではない。
燃えやすさや燃焼時間を考えて、ある程度は素材の構成を調整する必要がある。
……まあ、偉そうに言っているが、最初からうまくいったわけではない。
一回目は、あっという間に燃え尽きた。
二回目は、煙がひどすぎた。
三回目に至っては、燃え方が予想と違いすぎて、俺自身が少し後ずさった。
そして、ようやく今の燃料に落ち着いたわけだ。
「……俺、いったい何をやってるんだろうな」
普通、異世界に来た主人公というのは、もっとこう……魔王を倒すとか、伝説の武器を手に入れるとか、そういうことをするのではないだろうか。
なのに俺は、ダンジョンの底で燃料の燃焼時間を調整している。
しかも、隣には意識不明の女子高生。
……人生、何が起きるか分からない。
いや、ここまで予想外のことばかり起きると、そろそろ何が起きても驚かなくなりそうだ。
俺は焚き火に燃料を追加し、もう一度少女の方へ視線を向けた。
「…………」
……うん。
何度見ても、見た目が物騒だ。
少女は布に包まれ、地面に横たわっている。
遠目から見れば、どう考えても人間というより、何かの遺体を丁寧に包んだものにしか見えない。
いや、もちろん生きている。
呼吸も確認した。
それでも、暗い場所で火に照らされながら布に包まれている姿を見ると、どうしてもそういう連想をしてしまう。
「……頼むから、目を覚ましてくれよ」
俺は小さく息を吐いた。
「このままだと、俺が一人でずっと話しかける変な人になるだろ」
……すでに十分変な人かもしれないが。
それにしても、この布を作るのは本当に大変だった。
濡れた服を着たままでは危険だと判断したまではよかった。
問題は、その後だ。
俺の持ち物だけでは、彼女の体を十分に包める布が足りなかった。
そこで再創造を使って布を作ろうとしたのだが……。
「……あれは、もう二度とやりたくない」
布というのは、単純に見えて意外と複雑だ。
素材の種類、繊維の構造、織り方、厚み。
さらに、濡れた状態での扱いやすさ、乾きやすさ、肌に触れたときの感触まで考え始めると、きりがない。
もちろん、すべてを完璧に理解しているわけではない。
だからこそ、知っている範囲の知識を組み合わせ、何度も試しながら調整する必要があった。
一度目は、妙に硬い布ができた。
二度目は、布というより紙に近かった。
三度目は、触った瞬間に嫌な予感がして、試作品として没にした。
……何だったんだ、あれ。
少なくとも、あれを女の子に巻きつける勇気はない。
結局、何度も作り直して、ようやく使えそうなものが完成した。
その結果、魔力はかなり減った。
「……布一枚で、ここまで苦労するとは思わなかった」
便利な能力にも、当然ながら限界はある。
特に、俺の知識が曖昧なものほど、試行錯誤に時間がかかる。
知識が足りないなら、勉強すればいい。
……そういう話ではあるのだが。
まさか、ダンジョンの底で布の製造工程について考える日が来るとは思わなかった。
俺はもう一度、少女の足元へ視線を向けた。
「…………」
……そして、問題はこっちだ。
彼女の片足は、明らかにおかしな方向へ曲がっていた。
落下中に俺が掴んだときのことを思い出す。
あのとき、俺は彼女が壁にぶつからないように必死で引っ張った。
その結果、どうやら余計なことまでしてしまったらしい。
「……いや、本当にすまん」
意識のない相手に謝っても仕方がない。
それでも、謝らずにはいられなかった。
……まさか、助けようとして怪我を悪化させるとは。
俺はしばらく彼女の足を見つめた。
そして、頭の中で過去に読んだ知識を引っ張り出す。
骨折。
骨の位置。
固定。
治癒までの時間。
……そういえば、俺は昔、骨折したときの応急処置について書かれた文章を読んだことがあった。
いや、正確には、骨折したときにどうやって骨を固定するのか、という話だ。
「……何で俺、そんなものを読んでたんだろうな」
別に、医者になりたかったわけではない。
誰かを助けるために勉強していたわけでもない。
ただ、暇だったからだ。
ネットで見かけた記事を読んで、関連する話をいくつか調べて、それで終わり。
本当に、それだけだった。
当時の俺に言ってやりたい。
まさか、その知識を異世界のダンジョンで使う日が来るぞ、と。
……いや、そんな未来を教えられても、絶対に信じないだろう。
「……人生って、本当に何が役に立つか分からないな」
とはいえ、知識があることと、実際に処置ができることは別問題だ。
俺は医者ではない。
医学の専門知識があるわけでもない。
当然、正確な診断などできるはずがない。
それでも、明らかに不自然な状態のまま放置するわけにもいかなかった。
まず、彼女の呼吸や意識の状態を確認する。
そのうえで、できるだけ余計に動かさないようにし、足を無理に引っ張ったり、骨を自分の判断だけで押し戻したりすることは避けた。
……まあ、そもそも、そんなことをする勇気もない。
「……俺は医者じゃないんだぞ」
誰に向かって言っているのか、自分でも分からない。
とにかく、今できることは、彼女をこれ以上傷つけないようにして、動かさずに固定することだ。
そこで俺は、再創造を使って固定具を作ることにした。
……もちろん、ここでも簡単にはいかなかった。
最初は、ただ硬い板を作ればいいと思っていた。
しかし、それでは足の形に合わない。
隙間ができれば安定しないし、きつく固定しすぎれば別の問題が起こる。
かといって、柔らかすぎれば固定する意味がない。
「……ああ、もう!」
俺は頭を抱えた。
「何で俺は、ダンジョンの底で医療器具の設計をしてるんだよ!」
答えは簡単だ。
他にやることがないからである。
いや、正確には、やらなければならないことがあるからだ。
彼女を助ける。
そして、俺自身も生き残る。
ただ、それだけだ。
……それだけのはずなのに、どうしてこうも面倒なのだろうか。
俺は試作品をいくつか作り、形状や素材を調整した。
その過程で、石膏のように硬化する素材を作れることにも気づいた。
「……お?」
これは使えるかもしれない。
俺は素材の構成を調整し、硬化するまでの時間や、形を保つための性質を試した。
もちろん、最初からうまくいくわけがない。
すぐに硬くなりすぎるもの。
いつまで経っても固まらないもの。
形を整えている途中で崩れるもの。
……ひどいものだった。
「……失敗作の展示会でも開けそうだな」
入場料を取れるような代物ではないが。
そんなことを考えながら、俺は試行錯誤を続けた。
一度試し、問題点を確認し、素材の配合や形状を変える。
それを何度も繰り返す。
……気づけば、三十二時間が経過していた。
「…………」
俺は手元の固定具を見つめた。
「……三十二時間?」
思わず、自分の耳を疑った。
いや、時間を数え間違えたわけではない。
途中で何度か休憩を挟み、魔力の回復を待ちながら作業を続けた結果がこれだ。
三十二時間。
つまり、一日と八時間。
……俺は何をしているんだろう。
異世界に来て、最初に覚えたことがサバイバル。
その次に覚えたことが、布の製造。
そして今、俺は骨折した少女のために固定具を作っている。
「……履歴書に書ける経験が増えたな」
いや、書けるわけがない。
『異世界のダンジョンで、再創造スキルを用いた医療器具の試作経験あり』
……誰が採用するんだ、そんな人材。
そもそも、この世界に履歴書というものがあるのかすら知らない。
「……はぁ」
俺は深く息を吐いた。
とりあえず、固定具は形になった。
ただし、これはあくまで応急的なものだ。
本当に骨がどうなっているのか、正確には分からない。
医者でもない俺が、これで治療できたなどと思うつもりもない。
できるのは、余計な動きを減らし、彼女の足がさらに傷つかないようにすることくらいだ。
……あとは、彼女が目を覚ますのを待つしかない。
俺は固定具の状態を確認し、彼女の足をできるだけ動かさないようにして、再び布を整えた。
「……よし」
これで、今できることはひとまず終わりだ。
……いや。
本当に終わったのか?
俺は少女の顔を見た。
相変わらず、目を覚ます気配はない。
「…………」
「……おーい」
当然、返事はない。
「……もしもし?」
やはり、返事はない。
「……あの、そろそろ起きてもらえませんかね?」
……返事はなかった。
「…………」
「……俺、三十二時間も頑張ったんだけど?」
もちろん、彼女に聞こえているかどうかも分からない。
そもそも、意識がないのだから聞こえていない可能性の方が高い。
それでも、言わずにはいられなかった。
「……せめて、何か反応してくれよ。俺の努力が報われた感じがしないだろ」
俺は額に手を当てた。
……いや、別に感謝されたいわけではない。
ただ、ここまで苦労したのだから、せめて一言くらい「何してるの?」と言ってほしいだけだ。
それもそれで、かなり失礼な話ではあるが。
「……まあ、起きたら起きたで、今度は説明が面倒なんだろうな」
なぜ自分が布に包まれているのか。
なぜ足が固定されているのか。
なぜ俺が近くにいるのか。
そして、なぜ周囲に焚き火があるのか。
……うん。
説明することが多すぎる。
しかも、彼女があのいじめっ子たちの仲間なら、なおさら面倒だ。
俺としては、彼女が目を覚ました瞬間に叫ばれたり、誤解されたりする未来しか想像できない。
「……助けた相手に通報される異世界生活か」
いや、この世界に警察があるのかどうかも知らないけど。
そもそも、俺たちはダンジョンの底にいる。
通報する以前に、外へ出られるかどうかすら分からない。
「……本当に詰んでないか、これ?」
俺は天井を見上げた。
当然、そこには暗闇しかない。
落ちてきた穴は遠く、光も見えない。
周囲には、岩壁と水辺。
そして、焚き火。
……以上。
あまりにも簡素な環境だ。
キャンプというより、遭難。
いや、遭難というより、もう立派な遭難事故である。
しかも、同行者は意識不明。
「……俺、これでよく正気を保ってるな」
自分で自分を褒めてやりたい。
……いや、待て。
さっきから一人でずっと喋っている時点で、すでに正気ではないのかもしれない。
「…………」
俺はしばらく考えた。
「……まあ、誰にも聞かれてないからセーフか」
誰かに聞かれていたら、それはそれで困る。
特に、目の前の少女が実は意識を取り戻していて、ずっと俺の独り言を聞いていた場合。
……いや、それだけはやめてくれ。
目を覚ました瞬間に「こいつ、ずっと何を喋ってるんだろう」と思われるのは、さすがに嫌だ。
……いや、実際にずっと喋っているのだから、何も反論できないのだが。
俺はもう一度、焚き火に燃料を足した。
火が少しだけ勢いを取り戻す。
「……よし。これでしばらくは持つだろ」
幸い、今のところ魔物は一匹も現れていない。
これは本当にありがたい。
もしここで魔物の群れに襲われたら、俺は間違いなく終わる。
右腕は痛むし、背中もまだまともに動かせない。
魔力も、布や固定具を作るためにかなり使ってしまった。
そんな状態で戦闘など、冗談ではない。
「……魔物さん、お願いだから今日は休んでいてください」
俺は真剣に祈った。
「できれば明日も。いや、明後日も」
……いや、待て。
明日も明後日もということは、俺はここで何日も過ごすつもりなのか?
「…………」
考えたくない。
とにかく、今は彼女が目を覚ますのを待とう。
目を覚ませば、少なくとも何か情報が得られるかもしれない。
彼女がどこから落ちてきたのか。
ほかの生徒たちはどうなったのか。
ここがダンジョンのどのあたりなのか。
……まあ、彼女自身も混乱していて何も分からない可能性はあるけど。
それでも、一人で考え続けるよりはマシだ。
俺は彼女の様子をもう一度確認した。
呼吸はある。
体を冷やさないよう、火の位置にも気をつける。
無理に動かさず、固定した足にも余計な負担をかけない。
今できることを確認してから、俺は壁にもたれかかった。
「……はぁ」
疲れた。
本当に疲れた。
落下して、溺れかけて、岸まで泳いで、火を起こして、服を乾かして、布を作って、固定具まで作った。
……これ、今日一日でやることじゃないだろ。
「……異世界って、もっと夢のある場所じゃなかったのか?」
少なくとも、俺が知っている物語では、こんな展開はあまり見なかった。
主人公が新しい世界に転生する。
便利なスキルを手に入れる。
仲間と出会う。
そして、冒険が始まる。
……うん。
俺も一応、仲間とは出会った。
意識不明で、足を負傷していて、しかも俺をいじめていた連中のグループにいたらしい女子だが。
「…………」
「……仲間って、こういう意味だったっけ?」
もちろん、答えはない。
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
「……お前だけだよ、今の俺の話し相手は」
火に向かって話しかける。
……いよいよ末期かもしれない。
俺は苦笑しながら、目を閉じた。
少しだけ休もう。
彼女が目を覚ましたら、すぐに対応できるように。
魔物が現れたら、すぐに気づけるように。
そして、何より――
「……頼むから、次に起きるイベントは平和なやつにしてくれ……」
俺は心の底からそう願った。
しかし、異世界というものは、どうやら俺の願いを聞き入れてくれるほど親切ではないらしい。
……まあ、今はまだ何も起きていない。
それだけでも、十分に幸運だと思っておこう。
俺は焚き火の小さな音を聞きながら、少女が目を覚ますのを待ち続けた。
少なくとも、今夜は。
……いや、ここに夜と昼の区別があるのかどうかも、まだ分からないのだが。




