第81話 翌日のフローリアンとソルテラ
翌日、フローリアンがソルテラの家庭教師をするためにインプレッサ伯爵家を訪れると、屋敷の中は朝から大騒ぎになっていた。
「おはようございます。何やら騒がしいようですが、何かあったのですか?」
門番に尋ねると、彼はどこか嬉しそうな顔で答えた。
「実はですな、昨日、レオーネ様たちを襲った野盗を十人も捕らえたのです! それも、十五人を超える大人数で襲ってきた連中でしてな!」
「まあっ! 野盗を十人も?」
フローリアンは驚いた。
「ええ。昨日、実地研修のために街へ出かけたレオーネ様たちが、帰り道で野盗に襲われたのです。どうやら、狙いはレオーネ様の誘拐だったようですが、護衛騎士の二人が見事に撃退してくださったそうでしてな。皆さん、怪我もなく無事だったそうです!」
護衛は誇らしげに語った。
インプレッサ伯爵領は治安の良さで知られており、領都レイバックも安心して暮らせる街として評判だった。そんな場所で、貴族の子弟を狙った野盗の襲撃が起きたというのだから、驚くのも無理はない。
「レオーネ様が何者かまでは知らず、裕福な家の子供と見て、身代金目当てに誘拐しようとしたようです」
護衛は声を潜めて、さらに事情を説明した。
「幸い、護衛についていたストリーガ殿とアージ殿の活躍によって、レオーネ様もトレミー殿も、イスズ殿もエルキャパ殿も、誰一人として怪我を負わずに済んだのです」
野盗たちは一行の前後から挟み撃ちを仕掛けてきた。後方から迫った五人はストリーガが撃退し、先行していたレオーネたちは、残る十人の野盗と対峙することになった。
アージはレオーネたちを守りながら野盗と戦い、そこへ後方の敵を片づけたストリーガが合流した。二人は協力して野盗たちを制圧し、九人を負傷させて捕縛。首領には逃げられたものの、副首領を捕らえることにも成功したのだという。
捕らえられた野盗たちは数珠つなぎにされ、街の衛兵へと引き渡されたそうだ。
この話は、すでに屋敷中に広まっていた。
わずか二人の護衛騎士でレオーネたちを守り、十五人を超える野盗の襲撃を退けて十人を捕縛したのだから、ストリーガとアージの働きが称賛されるのも当然だった。そればかりか、果敢にも魔法を放って野盗を傷つけ、捕縛を手助けしたレオーネも、勇敢な少年として称えられていた。
「それにしても、レオーネ様も大したものですな! 侍女や家庭教師の女性たちを守るため、自ら野盗の副首領に魔法を放ち、傷を負わせたというのですから!」
護衛はそう言って、嬉しそうに笑った。
ところが、皆が称賛する輪の中で、当のストリーガとアージは、なぜか二人とも浮かない顔をしていた。レオーネもまた、周囲から褒められているというのに、どこか気まずそうに俯いている。
フローリアンは、その様子を不思議に思ったものの、事情を知らない自分が口を挟むことでもないと考え、ひとまず授業の準備をすることにした。
ソルテラのもとへ向かうと、彼はフローリアンの姿を見るなり、興奮した様子で駆け寄ってきた。
「フローリアン先生! レオーネ兄上が昨日、野盗に襲われたとき、勇敢にも魔法を放って敵を傷つけ、捕縛を手助けしたというのです! さすが僕の兄上ですね!」
ソルテラは、まるで自分のことのように誇らしげだった。それを見て、フローリアンも微笑んだ。
レオーネとソルテラは、母親の異なる異母兄弟である。年齢も一歳しか違わず、兄弟仲は決して悪くない。
ただし、家督をめぐる事情は少々複雑だった。長男のレオーネが次期伯爵と目される一方、伯爵家の正室が産んだ次男のソルテラこそ、次のインプレッサ伯爵にふさわしいという声もあった。
ソルテラの母も息子を次期当主にしたいと考えており、兄弟仲が悪くないことは承知しつつも、二人が必要以上に親しくすることを快く思ってはいなかった。
フローリアンとしても、自分が教えている生徒が将来、伯爵家を率いる立場になるのなら、それは喜ばしいことだった。だが、それ以上に彼女が好ましく思っていたのは、このインプレッサ伯爵家では、次期当主の座をめぐる陰湿な争いが表立って起きていないことだった。
フローリアンの実家も伯爵家である。しかし、彼女の二人の兄は、今まさに熾烈な次期当主争いを繰り広げていた。互いに相手の失点を探り、少しでも優位に立とうと暗闘を続けている。その影響は領政にも及んでいた。
そもそも、フローリアンの両親は領地の運営にあまり関心がなかった。普段は領地を離れ、帝都の別邸で貴族たちとの社交に明け暮れている。領政はほとんど家臣任せで、領民の暮らしを気にかけることも少なかった。
そんな両親の姿を見て育った二人の兄も、領地の運営を部下に任せきりにしていた。自分たちの立場や人脈づくりには熱心だが、領主となる者に求められる責任を果たそうとはしていない。
フローリアンは、幼い頃からそれを問題だと考えていた。領地を治める者が領民の暮らしを顧みず、自分たちの権勢や社交ばかりを優先する。そのようなあり方が正しいはずはない。
だからこそ、彼女は何度も父や兄たちに意見してきた。
「お父様、領政を家臣たちに任せきりにするのは問題ではありませんか? 領民の暮らしがどうなっているのか、もっと目を向けるべきです」
「またその話か。お前は余計なことを考えず、貴族の娘らしく振る舞っていればよいのだ」
父は取り合おうともしなかった。兄たちに意見しても、返ってくるのは似たような言葉ばかりだった。
「女のお前が領政に口を出すな。それより、さっさと嫁ぎ先を決めたらどうだ?」
「そんなに賢しらに振る舞っていたら、未来の夫に嫌われるぞ」
何度意見しても、まともに聞き入れられることはなかった。兄たちからすれば、妹が領政について口を出すこと自体が気に入らなかったのだろう。
フローリアンの母も、そうした考え方に疑問を抱いている様子はなかった。いつも身なりを整え、夫の隣で愛想よく微笑み、社交界に出かけることを何より楽しんでいる。父の言うことに逆らうこともなく、華やかな社交の場で着飾る日々を心から満喫していた。
母自身は、それを不満に思っているわけではない。むしろ、夫婦そろって社交界に出かけるときなど、二人とも実に楽しそうだった。
だからこそ、フローリアンには理解できなかった。領地のことを考え、領民の暮らしを案じることが、なぜ女には許されないのか。貴族の娘はただ笑っていればいいという考え方が、どうして当然のようにまかり通っているのか。
二人の兄とは数歳の年齢差があったが、勉強ではフローリアンがいつも兄たちを圧倒していた。兄たちが答えを出せずにいる問題も、彼女にはすぐに解けることが多かった。わからないことがあれば教えてあげようと思ったこともある。
だが、兄たちから教えを請われたことは一度もなかった。年下の妹に頼ることが、彼らのプライドに障ったのかもしれない。
その一方で、フローリアンが何か意見を述べるたび、兄たちは決まってこう言った。
「貴族の女は、黙って笑っていればいいんだ」
頭が良いことも、物事を考えることも、フローリアンにとっては何ら恥じることではなかった。むしろ、学んだことを役立てたいと思っていた。だが、実家ではその能力を認められるどころか、疎まれるばかりだった。
そうした経験が積み重なり、フローリアンはいつしか、両親や兄たちが望む生き方から距離を置くようになっていた。婚姻を急かされても応じず、貴族の娘として社交界に出ることよりも、自分の知識を生かせる家庭教師の仕事を選んだのだ。
もちろん、家庭教師という仕事を続けている理由が、実家への反発だけというわけではない。教えたことを生徒が理解し、成長していく姿を見るのは、彼女にとって素直に嬉しいことだった。
だからこそ、ソルテラが兄の活躍を心から喜んでいる姿を見て、フローリアンは微笑ましく思った。
次期当主をめぐる事情がどうであれ、弟が兄を慕い、その活躍を喜べる。それだけでも、フローリアンの実家とはずいぶん違っていた。
「ええ、本当に立派なことですね、ソルテラ様」
そう答えながらも、フローリアンの脳裏には、屋敷の中で見かけたストリーガとアージ、そして俯いていたレオーネの姿が残っていた。
周囲が称賛するほど、事態は単純ではないのかもしれない。
彼女がそう考えていると、ソルテラがふと思いついたように声を上げた。
「そうだ、フローリアン先生! レオーネ兄上やストリーガ殿に、昨日の野盗との戦いについて話を聞きに行きませんか?」
「お二人に、ですか?」
「はい! 十五人を超える野盗に襲われたのに、兄上たちは無事だったのでしょう? どんな戦いだったのか、僕も詳しく知りたいのです!」
ソルテラは目を輝かせていた。兄の活躍をもっと知りたいという気持ちが、その表情からありありと伝わってくる。
フローリアンも、少し考えてから頷いた。
女二人と子供一人を守りながら、二人の護衛騎士が十五人を超える野盗と対峙し、誰一人として怪我を負わずに切り抜けた。しかも、野盗を十人も捕縛したというのだ。
単に護衛騎士の腕が立つというだけでは、なかなか成し遂げられることではない。どのように敵の襲撃に対応し、どんな連携で野盗たちを制圧したのか。フローリアン自身も興味を引かれていた。
「そうですね。私も、どのようにして皆さんを守られたのか、少し気になります。お話を伺えるのでしたら、ぜひご一緒させてください」
「やった! では、さっそく行きましょう!」
ソルテラは嬉しそうに声を弾ませた。
フローリアンはその様子に微笑みながら、彼とともにレオーネたちのもとへ向かうことにした。
ただ、彼女の胸には、先ほど見かけたストリーガとアージの浮かない表情、そして俯いていたレオーネの姿が引っかかっていた。
称賛されるほどの活躍をしたはずなのに、なぜ彼らはあのような顔をしていたのだろう。
その理由も、話を聞けばわかるかもしれない。フローリアンはそんなことを考えながら、ソルテラの後を追った。




