第80話 ピアッツァ・エルミオ
ピアッツァ・エルミオは、バルカン帝国学院の一年生である。エルミオ兄妹の末弟であり、去年、姉のフィリーが卒業したのと入れ替わるようにして、この学院へ入学した。
三女の姉のフィリーは騎士爵家の娘でありながら、魔法省に女性として現役で仕官した才媛である。その弟が入学してくるということで、ピアッツァは入学前からそれなりに知られた存在だった。
だが、実際に入学してみると、彼の名はさらに広く知られることになった。入学試験で、歴代最高の成績を叩き出したからである。
通常、入学試験は五百点満点。ピアッツァは筆記試験と武術試験で満点を取り、最後の魔法試験で試験官たちを驚かせた。
火、水、風、土。四大属性魔法である。
ピアッツァは、そのすべてを使ってみせたのだ。
四大属性魔法は、一般的には極めて珍しい才能とされている。複数の属性を扱えるだけでも十分に稀なのだが、火・水・風・土のすべてを操れる者となると、数千万人に一人とも言われている。
バルカン帝国でも、過去百年の間に確認されたのは一人だけ。それほど希少な才能だった。そんな魔法を、十二歳の少年が当然のように使ってみせたのである。
もっとも、ピアッツァにとっては、それほど特別なことではなかった。
実はエルミオ兄妹は、全員が四大属性魔法を扱える。火が得意な者もいれば、水を得意とする者もいる。風や土に秀でた者もいる。属性によって得手不得手はあるものの、四属性すべてを使えるという点だけは兄妹全員に共通していた。
もちろん、それを知っている者はごく限られている。
イスズ・エルミオ。兄妹の母代わりであった彼女が、幼い頃から兄妹たちに魔法を教え込んできたからだ。魔法の基礎から始まり、属性ごとの性質、魔力の制御、威力の調整、さらには複数属性を同時に扱う方法まで、イスズは一つずつ教えてきた。エルミオ兄妹にとっては、それが幼い頃からの当たり前だった。
だからこそ、ピアッツァ自身も四大属性を使えることが、世間でどれほど珍しいことなのかを深く意識していなかった。
兄や姉からは、何度も言われていた。
――学院では、魔法を使うときに気をつけろ。
――できることを全部見せる必要はない。
――特に四属性を使えることは、絶対に隠しておけ。
その意味も、頭では分かっていた。
だが、入学試験当日、ピアッツァは思いのほか緊張していた。知らない場所に、大勢の受験生。そして、試験官たちの視線。何より、兄や姉が通った学院に、いよいよ自分も入るという緊張があった。
魔法試験の順番が来る頃には、すっかり頭が固くなっていた。
「では、得意な属性の魔法を使ってみなさい」
試験官からそう言われ、ピアッツァは考えた。
どれを使えばいいのだろう。火か、水か、風か、それとも土か。
普段なら、そこで一つだけ選んでいただろう。だが、緊張していたピアッツァは、そんな簡単なことすらうまく考えられなかった。気づけば火を使い、次に水、そして風、最後に土と、四つとも使ってしまったのである。
しかも、緊張していたせいか、いつも以上に魔力を込めてしまった。
炎は凄まじい熱量を保ちながら、指定された範囲だけを正確に焼き切った。水は細い糸のように自在に形を変え、複雑な術式を描くように空中を舞う。
風は目に見えないにもかかわらず、離れた標的だけを正確に捉え、周囲にはほとんど影響を与えなかった。土は地面から盛り上がると、瞬く間に形を変え、指定された形へ寸分の狂いもなく成形された。
四つとも、十二歳の少年が扱えるとは思えない威力と精密さだった。
試験官たちは、途中から何も言わなくなった。ただ、目の前で繰り広げられる魔法を見つめていた。
そして試験が終わったあと、ピアッツァはようやく我に返った。
――しまった。
兄や姉から言われていたことを、完全に忘れていたのである。
だが、もう遅い。四大属性魔法を使ったという事実は、すべての試験官が目撃している。しかも、それだけではない。その威力と精密さまで、隠しようのない形で見せてしまった。
採点を担当した教員たちは頭を抱えた。通常なら五百点満点だが、この少年の魔法試験を、他の受験生と同じ基準だけで評価していいのだろうか。四属性すべてを扱ったこと自体が異例なのに、その一つ一つが規格外だったのだ。
結局、学院側は特例として魔法試験に百点を加えることを決めた。
こうしてピアッツァは、六百点という前例のない点数で合格した。もちろん、歴代最高である。
その噂は、入学発表の頃には学院中を駆け巡っていた。
「四大属性魔法を使ったらしいぞ」
「四つ全部だって?」
「しかも十二歳だろ?」
「百年前の記録に出てくる、あの四属性使い以来じゃないかって話だ」
そんな噂を聞くたびに、ピアッツァは頭を抱えた。自分でも分かっている。完全にやらかしたのだ。
兄や姉に知られたら、きっと呆れられる。実際、家に戻ってから事情を話したときには、案の定、深いため息をつかれた。
「だから、試験では気をつけろと言ったでしょう」
そう言われても、ピアッツァとしては返す言葉がない。緊張して、つい全部使ってしまった。ただ、それだけだった。
もちろん、学院側はエルミオ兄妹全員が四大属性を扱えるなどとは知らない。その事実を知っているのは、エルミオ家の中でも限られた者だけだ。学院から見れば、ピアッツァは数千万人に一人とも言われる才能を持った、規格外の少年だった。
当然、成績順に割り振られるクラスでは一年一組。周囲のほとんどが上位貴族の子弟という中、騎士爵家の子弟はピアッツァただ一人であり、誰よりも目立つ存在となった。
普通なら、これほど目立てば妬みや嫉妬の対象になってもおかしくない。実際、兄や姉もそうだった。辺境の貧乏騎士爵家の子供でありながら、勉強も魔法も武術も優秀だったエルミオ兄妹は、学院時代にかなり嫌がらせに近いことまで受けていた。
だからこそ、入学前には何度も忠告された。
「学院では、絶対に油断するな」
「自分が思っている以上に、目立つからね」
「特に成績のことは気をつけなさい」
ピアッツァも、その言葉を素直に聞いていた。だからこそ、覚悟していたのである。自分も兄や姉と同じような学院生活になるのだろう、と。
ところが――。
「おい! ピアッツァ嬢!」
「あの! ピアッツァ様!」
昼休み、教室へ入ってきたピアッツァを見つけるなり、違う授業を受けていた二人の生徒が駆け寄ってきた。
ピアッツァは足を止めると、またか、と言わんばかりにため息をついた。
「メローペ様、『嬢』はやめてください。僕は男です。それと、アステローペ様も、『様』と呼ぶのはやめてください。誰かに妬まれます!」
そう言われても、二人はまったく気にしない。
「何を言っているんだい、ピアッツァ嬢。君ほど可愛らしい子を、男だからという理由だけで呼び捨てにするなんて、僕にはできないよ」
「そうですわ、ピアッツァ様。あなたほどの美しさに、男も女も関係ありませんもの」
「関係あります!」
ピアッツァが即座に言い返す。
彼の左右に立っているのは、メローペ・バルカン第五皇子と、アステローペ・バルカン第七皇女。二人は双子の皇族であり、ピアッツァの同級生でもある。そして、入学以来ずっとピアッツァの周囲にいる。
「ピアッツァ嬢、昼食は僕と一緒に食べよう」
「いいえ、ピアッツァ様。今日は私と二人だけで食べましょう!」
「昨日は僕たちと食べただろう?」
「一昨日はお兄様だけでしたでしょう?」
「だから今日は僕の番だよ」
「そんな順番、いつ決まったんですか!」
ピアッツァが抗議するものの、二人はまるで聞いていない。
食堂にいる生徒たちも、その光景をいつものこととして眺めていた。そして、誰もピアッツァに近づこうとはしない。
もちろん、ピアッツァが嫌われているわけではない。むしろ逆だった。成績だけでなく、見た目でも目立つ少年なのだ。
ピアッツァは、十二歳とは思えないほど華奢で色白だった。立っている姿は、まるで可憐な美少女そのもの。化粧もしていないのに、唇と頬はほんのりとピンク色を帯び、愛嬌のあるくりっとした目は長いまつ毛に縁取られている。
小さな鼻筋もすっきりと整っており、その顔立ちは誰が見ても美少女としか思えないほどだった。入学試験の発表の日など、ピアッツァが歩くたびに、周囲の男子生徒たちの視線が追いかけてきたほどである。
それは本人にとって、かなりのコンプレックスだった。自分は男なのに、どうしてこんな目で見られるのか。そんなピアッツァにとって、学院中から注目されることは決して嬉しいことではない。
ましてや、兄や姉からは、成績のことでも容姿のことでも、十分に注意するよう言われていた。だが、そんな彼には、学院生活を思いがけず平穏にしてしまう存在がいた。
メローペとアステローペ。この皇族二人である。
教室では、ピアッツァの左右の席をメローペとアステローペが占拠している。前後の席には、双子の皇族の護衛兼ご学友たちが座っていた。しかも、そのご学友たちは、選りすぐりの高位貴族の子弟ばかりだ。
つまり、教室の中央にはいつも、ピアッツァを中心とした奇妙な一団が出来上がっている。当然、誰もそこへ割って入ろうとはしなかった。
本当なら、ピアッツァと話してみたい生徒はたくさんいる。だが、普段から皇族二人がまとわりついている少年に、誰が気軽に声をかけられるだろう。下手に近づいて、皇族の機嫌を損ねるわけにもいかない。
そのため、ピアッツァは学院でほとんど妬まれることも、嫌がらせを受けることもなく過ごしていた。むしろ、周囲からは別の意味で同情されている。
「ピアッツァ殿も、大変だね……」
「何がですか?」
「毎日、あの二人に挟まれているだろう」
「確かに……」
双子のご学友たちは、ピアッツァを見る。彼らは皇族のご学友として選ばれた高位貴族の子弟だが、ピアッツァに嫉妬することはなかった。それどころか、二人の皇族に絡まれ続けるピアッツァを見て、気の毒にすら思っている。
その原因の一人であるメローペは、今日も当然のようにピアッツァの手を取った。
「さあ、ピアッツァ嬢。昼食へ行こう。僕がエスコートするよ」
「だから僕は男です!」
「美は性別を超えるんだよ!」
「それ、もう何回聞いたと思っているんですか!」
メローペは楽しそうに笑うだけだった。一方、アステローペは怒っているピアッツァを眺めながら、うっとりと目を細めた。
「まあ……素敵ですわ。今日もピアッツァ様は、どのような表情でも耽美ですわね」
「どこがですか!」
「美しいということは罪ですわ」
「意味が分かりません!」
「ピアッツァ様になら、私の身を捧げてもよくってよ」
「もっと意味が分かりませんよ! まだ僕たち未成年ですよ!」
ピアッツァが頭を抱える。その姿を見たご学友たちは、揃って何とも言えない顔をした。そして、そのうちの一人が小さく呟く。
「……本当に、可哀想だな」
「……ああ」
「天才なのにな」
「四大属性まで使えるのにな」
「なのに、あれか」
全員の視線がピアッツァへ向く。左右から皇族の双子に挟まれ、片方には手を取られ、もう片方からは熱い視線を向けられている。
ピアッツァは心底困った顔で、ぽつりと呟いた。
「……僕、学院に入る前は、いじめられないか心配していたんだけどな……」
その言葉に、ご学友たちは顔を見合わせた。
「その心配は、たぶんもう必要ないと思うぞ」
「……僕もそう思う」
「むしろ別の心配をしたほうがいい」
「何の心配ですか!」
ピアッツァが叫ぶ。だが、その声すらも、二人の皇族には楽しそうに受け止められていた。
こうしてピアッツァ・エルミオの学院生活は、本人が想像していたものとはまったく違う形で始まった。
兄や姉が心配したような嫉妬や嫌がらせとは無縁。
その代わり、皇族の双子に毎日のように振り回される。それが、ピアッツァにとっての学院生活だった。




