第78話 イスズの制圧
先頭に立つ男は、右手に持った短剣を左手でぺしぺしと叩きながら、余裕たっぷりに笑った。
「時間が経てば経つほど、あんたらが不利になるぜ。すぐに後ろから仲間が来るからなぁ。そうなりゃ、前と後ろから挟み撃ちってわけだ。さて、兵士様よ。どうするんだ?」
そう言われ、アージは一瞬、後方を振り返った。幸い、追っ手の姿はまだ見えない。しかし、いつまでもこの状況が続くわけではなかった。
「もう、待ってられねえ。俺らだけでやっちまいましょうぜ!」
男の後ろにいた盗賊の一人が、しびれを切らしたように声を上げた。ほかの男たちも、じりじりと距離を詰めてくる。
「待て。もうすぐお頭が来るはずだ」
先頭の男は仲間を制したが、盗賊たちの苛立ちは収まらない。これ以上、悠長に話をしているつもりはないようだった。
アージは覚悟を決めた。レオーネ、トレミー、エルキャパの三人を背にかばうように立ち、腰の剣を抜く。
「……仕方ない。ここは絶対に通させんぞ」
「ほう、俺たちと戦うってのか。しゃあねえな」
先頭の男は肩をすくめると、仲間たちに目配せした。それを合図に、男たちも腰を落とし、いつでも斬りかかれるように身構える。
レオーネは、後ろを振り返りたい気持ちを必死にこらえていた。
イスズは、先ほど自分たちを逃がすために、五人もの男たちを引き受けて、その場に残った。今ごろ、どうしているのだろう。無事でいてくれるだろうか。怪我をしてはいないだろうか。
姿が見えないだけに、悪い想像ばかりが頭をよぎる。
せめて、自分にも何かできることがあれば。
レオーネはそう思い、右手に魔力を集め、風の魔法を練り上げた。アージの背中に隠れている間も、必死に魔力を制御し、術を完成させようとしていたのだ。
「ウインドブレード!」
レオーネはアージの背後から身を乗り出し、先頭の男に向かって右手を突き出した。
突然の魔法に、盗賊たちが一斉に身構える。
レオーネの手から放たれた風が、刃のように男の顔へと迫った。しかし、男は驚く様子もなく、手を払うような動作をした。
風の刃は軌道を乱され、霧散する。ただし、完全には防ぎきれなかった。男の頬に細い傷が走り、赤い血が一筋、流れ落ちる。
「……ほう、風の魔法かよ」
男は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに口元を歪めた。袖で頬の血を拭い、面白がるように笑う。
「さすがはお貴族様だねぇ。子供でも魔法が使えるとはなぁ。でも、残念だったな。団扇で煽ぐよりは、ちょっと強力って程度か?」
盗賊たちから下卑た笑い声が上がった。
レオーネは唇を噛んだ。せっかく放った魔法をあっさりと防がれたことが、悔しかった。
「おまえら、やっちまえ!」
先頭の男が怒鳴った。盗賊たちが一斉に動き出す。
アージは剣を構え、最初に斬りかかってきた男の刃を受け流した。だが、背後にはトレミーとエルキャパがいる。大きく踏み込んで敵を斬れば、その勢いで後ろの二人にまで刃が届きかねない。
アージは慎重に間合いを測りながら、二人をかばうように剣を振るった。
その隙を狙い、別の盗賊が横合いから迫る。
「くっ……!」
アージは身をひねって攻撃をかわしたが、思うように反撃できない。敵はそれを見抜いたのか、次々と襲いかかってきた。
レオーネはもう一度、風の魔法を放とうとした。しかし、目の前で剣を振るうアージと、その向こうで入り乱れる男たちの姿に気を取られ、魔力がうまくまとまらない。
焦れば焦るほど、術が乱れていく。
そのとき、一人の盗賊がアージの脇をすり抜け、レオーネの前に立った。薄汚れた服をまとい、手には錆びた剣を握っている。男はレオーネを見下ろすと、にやりと笑った。
「おい、お坊ちゃんよう! お前を傷つけたくはないんだよ。大人しくしてもらえねえかな?」
「来るな! 刺すぞ!」
レオーネは短剣を構え、必死に威嚇した。
しかし、男はまるで動じなかった。それどころか、レオーネの抵抗を面白がるように笑い、いきなり腕を伸ばしてきた。
レオーネが身をよじる間もなく、その腕をつかまれる。
「捕まえたぜ」
男がにやりと笑った。
「レオーネ様!」
気づいたアージが、すぐさま助けに向かおうとする。しかし、その前に二人の盗賊が立ちはだかった。アージが剣を振るって道を切り開こうとする間にも、ほかの男たちが取り囲み、行く手を阻んでくる。
「くそっ、どけ!」
アージは焦りを押し殺しながら剣を振るった。だが、敵の数が多いうえに、背後のトレミーたちを守らなければならない。思うように前へ進めなかった。
その間にも、レオーネは必死に抵抗していた。
「離せ! 離してよ!」
レオーネは空いている手を振り上げ、男の頬を叩いた。男は顔をしかめたものの、子供の力では大した痛手にはならない。男はレオーネの腕をつかむ手に力を込めると、もう片方の手で短剣を握った手首をつかんだ。
「暴れるんじゃねえ! これで武器もねえな。さっきの団扇みてえな風の魔法でも、もう一度撃ってみるか?」
男が手をひねると、レオーネの指から短剣がこぼれ落ちた。男はそれを足元に蹴り飛ばし、嘲るように笑った。
レオーネは悔しさに顔を歪めた。魔法を使おうにも、腕をつかまれている。先ほどのように魔力を集めようとしても、恐怖と焦りで集中できなかった。
男はそんなレオーネを見下ろし、さらに顔を近づけた。
「さて、どうしてやろうかねぇ」
男がレオーネをつかもうと、腰をかがめた。
その瞬間、レオーネは残された力を振り絞り、男の顔めがけて足を蹴り上げた。
「このっ!」
足が頬に当たり、男の顔が横を向く。
「てめえ……!」
男の表情が怒りに歪んだ。つかんでいたレオーネの腕を乱暴に引き寄せると、今度は仕返しとばかりに足を振り上げた。
レオーネは身をすくめた。逃げられない。魔法も使えない。助けを呼ぼうにも、アージは盗賊たちに囲まれている。
(イスズ先生……!)
その名を心の中で叫んだ、次の瞬間だった。
横から飛び込んできたイスズの蹴りが、男の身体を吹き飛ばした。
「ぐあっ!」
男は地面を転がり、そのまま動かなくなった。
突然の出来事に、レオーネは呆然とした。何が起きたのかわからない。ただ、目の前にいた男が吹き飛び、代わりに一人の女性が立っていた。
その女性はレオーネをかばうように前へ出ると、静かに振り返った。
「イスズ先生!」
レオーネの顔が、ぱっと明るくなった。
イスズはレオーネの姿を確かめると、ふっと微笑んだ。
「レオーネ様、お怪我はありませんか?」
「先生……!」
レオーネはたまらずイスズに飛びついた。先ほどまで必死にこらえていた恐怖が一気にこみ上げ、イスズの服をぎゅっとつかむ。
イスズはレオーネを受け止め、身体に怪我がないことを確かめた。幸い、大きな傷はないようだった。
「よかった。レオーネ様、こちらへ」
イスズはレオーネの手を引き、盗賊たちと対峙しているアージのもとへ向かった。
「アージ様! レオーネ様たちをお願いします!」
そう言って、レオーネをアージのそばへ送り届けた。
アージは一瞬、イスズの顔を見た。目の前には、まだ何人もの盗賊が残っている。彼らを一人で相手にするつもりなのか。イスズの実力をある程度知ってはいたが、それでも女性一人を残していくことにはためらいがあった。
しかし、アージが何よりも優先して守らなければならないのは、レオーネだ。
「……承知した。レオーネ様たちは私が守る。イスズ殿、頼んだぞ!」
アージはそう答え、レオーネを背後にかばうように剣を構え直した。
「レオーネ様、トレミー殿、エルキャパ殿。私のそばを離れないでください」
トレミーが返事をし、エルキャパも緊張した面持ちでうなずいた。
レオーネは心配そうにイスズを見つめたが、イスズは振り返ると、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫ですよ。すぐに終わらせますからね」
そう言い残し、イスズは盗賊たちへと向き直った。
突然、女が一人増えたことで、盗賊たちは互いに顔を見合わせた。やがて、先頭に立つ男が下卑た笑みを浮かべる。
「はっ! 何を言い出すかと思えば。女が一人増えたじゃねえか! こいつはいい。おい、お前ら、お楽しみが増えたぞ!」
男たちはどっと笑った。
先頭の男は、頬についた血を指でなぞりながら、イスズを値踏みするように眺めた。
「へえ、威勢がいいじゃねえか。だが、あんたも捕まっちまえば、お貴族様とまとめてお頭への土産になるなぁ!」
イスズは盗賊たちを見渡した。
「もうおやめになったらいかがですか? 皆さん、今なら武器を捨てて地面に伏せれば、許して差し上げます。しかし、武器を捨てずに私に斬りかかるのであれば、容赦はいたしません。ご自分の手足で歩いて帰れるとは、思わないでくださいね?」
イスズは微笑みを浮かべたまま、盗賊たちに告げた。
「……私は、きちんと警告しましたからね?」
しかし、盗賊たちは聞く耳を持たなかった。
「何を格好つけてやがる! 女一人で何ができるってんだ!」
「おまえら、囲め!」
先頭の男の号令とともに、盗賊たちが一斉にイスズへと襲いかかった。
「……残念です。せっかく五体満足で帰る機会を差し上げたのですが」
イスズは迫り来る盗賊たちを見据え、静かに息を吐いた。
「では、覚悟はよろしいですね?」
次の瞬間、イスズの指先から水の刃が放たれた。
「ジェットカッター」
細く圧縮された水流が、目にも留まらぬ速さで走った。剣を振り上げた男の腕に刃が走り、男は悲鳴を上げて武器を取り落とす。
それを見た盗賊たちの間に動揺が広がった。彼らは何が起きたのかさえ、すぐには理解できなかった。
横合いから迫った男が剣を振り下ろす。イスズは身をわずかにずらして刃をかわし、男が勢いのまま腕を伸ばした瞬間、その前腕を水の刃で切り裂いた。男は痛みに顔を歪め、武器を取り落とす。
別の男がイスズの脇へ回り込もうと踏み込んだ。だが、足が前に出た瞬間、膝から下を水の刃が切り裂く。男は体勢を崩し、地面に倒れ込んだ。
「ぎゃああっ!」
「な、何だ、今のは!」
盗賊たちは悲鳴を上げた。一人が武器を振り上げれば、その腕に刃が走る。別の男が短剣を握り直そうとすれば、伸ばした指先を切られる。イスズに向かって駆け出した男は、踏み出した脚を負傷して勢いを失い、後ろから迫った仲間にぶつかって倒れた。
水の刃は、盗賊たちの動きに合わせて次々と放たれていた。
イスズは相手が武器を振るう瞬間や、足を踏み出した瞬間を見極め、腕や脚など、動きの中で狙える部位だけを正確に切り裂いていた。男たちが異なる方向から襲いかかってきても、その動きに乱れはない。
「腕がっ、俺の腕がぁ!」
「膝から下がねえ!」
「くそっ、何なんだ、この女!」
盗賊たちは次々と武器を落とし、地面に倒れていった。逃げようとした男も、踏み出した脚を切られて転倒する。起き上がろうと手をつけば、その手にも傷を負い、再び地面に崩れ落ちた。
悲鳴が重なり、血が地面に広がっていく。先ほどまで威勢よくイスズを取り囲んでいた男たちは、ほんのわずかな時間で戦う力を失っていった。
そして、最後の盗賊が膝をついたとき、周囲には男たちが倒れ伏していた。
ただ一人、先頭に立っていたリーダーだけが、短剣を握ったまま立ち尽くしていた。
彼は目の前の光景を信じられないといった様子で見つめていた。先ほどまで余裕たっぷりに笑っていた顔からは、すっかり血の気が引いている。
頬には、レオーネの放った風の刃による細い傷が残っていた。しかし、イスズの水の刃は一度も彼には向けられていない。
仲間たちがほんのわずかな時間で地面に倒されたにもかかわらず、自分だけはイスズの攻撃を受けずに残されている。それが偶然でないことくらい、彼にもわかった。
「……一瞬で、これだけの人数を……」
アージは剣を構えたまま、呆然とつぶやいた。イスズが戦い始めてから、自分が助けに入る隙は一度もなかった。彼女は盗賊たちの攻撃をかわしながら、武器を持つ手や踏み込む脚を正確に狙い、次々と戦闘不能にしていったのだ。その技量は、アージの想像をはるかに超えていた。
トレミーもエルキャパも言葉を失い、ただ倒れた盗賊たちと、その中心に立つイスズを見つめていた。
その中で、レオーネだけは違っていた。彼はイスズの背中を見つめ、その目を輝かせていた。
先ほどまで自分を守ってくれていた先生が、今度は盗賊たちをあっという間に打ち倒した。しかも、あれほどの人数を相手にしながら、魔法の狙いは驚くほど正確だった。
自分が放った風の魔法とは、速さも威力も、そして精密さもまるで違う。レオーネは、イスズへの憧れと尊敬をいっそう深めた。
イスズは倒れた盗賊たちに一度目を向けると、ゆっくりとリーダーへ視線を戻した。
「……ですから、手加減はしないと申し上げたのに」
イスズは小さく息を吐き、穏やかな笑みを浮かべた。
「さて、あなたには少しお話を伺いたいのですが」
「ひっ……!」
リーダーの手が震えた。短剣を構えてはいるものの、もはや斬りかかる気配はない。
イスズはそんな彼を見据えたまま、静かに続けた。
「まずは、あなたたちの仲間について。それから、なぜレオーネ様を狙ったのかも、聞かせていただけますか?」
その口調は、まるで世間話でも持ちかけるかのように穏やかだった。
だからこそ、リーダーは目の前の女性に逆らうことが、どれほど愚かなことなのかを思い知らされていた。




