第77話 レオーネたち
アージはレオーネを脇に抱えたまま走っていたが、途中で腕の中のレオーネを背中へと背負い直した。
そのまま、インプレッサ伯爵家を目指して道を駆け抜けていく。
レオーネを背負っているとはいえ、アージの走りは速かった。武術の心得がないトレミーは、息を切らしながらも必死に足を動かし、どうにかその後ろについていく。
やがて、遅れていたエルキャパも追いつき、一行は再びまとまって走り続けた。
林の中は薄暗く、木々の間から差し込む夕暮れの光が、地面に長い影を落としていた。
一刻も早く、この林を抜けなければならない。アージがそう考えながら走っていた、そのときだった。
林のちょうど真ん中あたりまで差しかかったところで、前方の木々の陰から人影が現れた。
一人、二人……。
瞬く間に、その数は十人ほどに膨れ上がった。
男たちは道を塞ぐように横一列に広がり、一行の行く手を遮った。
着古した衣服は泥や汚れにまみれ、身体には革や布を継ぎ合わせた粗末な防具を身につけている。手にしているのは短剣や剣。中には刃こぼれがひどく、ところどころに錆の浮いた剣を握る者もいた。
その身なりからして、正規の兵士ではなさそうだった。
どう見ても、正規の兵士ではない。
アージはすぐさま足を止め、背負ったレオーネを気にかけながら、男たちを見渡した。
十人。
対するこちらは、自分と、武術の心得のないトレミーとエルキャパ、そしてレオーネだ。
自分一人でも、十人を相手に戦うことはできるかもしれない。しかし、戦っている間にレオーネたち三人が襲われれば、守りきれる保証はなかった。
アージは腰の剣に手をかけることなく、まずは相手の出方をうかがった。
「そこをどけてくれないか。我らは急いでいるのだ」
できるだけ穏やかに、しかし兵士としての威厳を失わぬよう告げる。
すると、男たちの中から一人が進み出てきた。
ほかの男たちよりも幾分身体が大きく、口元には下卑た笑みを浮かべている。アージの顔から背中のレオーネへ、そしてトレミーとエルキャパへと、男の視線がいやらしく動いた。
男はわざとらしく首を傾げた。
「へぇ、急いでるのかい。そこの兵士様よぉ、その子供だけでもよかったが、ついでにそこの若い女も引き渡しちゃくれねえか?」
トレミーの顔が、さっと青ざめた。男はそれを見て、ますます愉快そうに口元を歪めた。
「俺たちだって、無駄に戦いたいわけじゃねえんだ。大人しく渡してくれりゃ、お前さんは無事に母ちゃんのもとへ帰れるぜ?」
背後の男たちから、どっと笑い声が上がった。
「だが、歯向かうってんなら話は別だ。残念だが、命はないと思え」
男は片手に持った剣を軽く振り、錆びた刃を夕暮れの光にさらした。
「俺たちは十人。そっちはどうだ? まともに戦えるのは、あんた兵士様一人だけじゃねえのか?」
男の視線が、エルキャパへと移る。
「そっちの青っちょろい男は、剣なんぞ振れそうにもねえ。女のほうも、まともに戦えそうには見えねえな。おまけに、守らなきゃならねえ子供まで背負ってやがる」
男はアージを指さし、歯をむき出しにして笑った。
「おいおい、まさか、その女と子供と、後ろの青っちょろいのまで守りながら、俺たち十人を相手にできるとでも思ってんのかい?」
今度は、背後の男たちもげらげらと笑った。
アージは表情を変えなかった。
エルキャパは文官で、武術の心得はない。トレミーも侍女にすぎず、戦闘を任せられる相手ではなかった。レオーネもまだ幼い。勇気があったとしても、この人数を相手に身を守れるとは限らない。
自分が戦っている間に、誰かが襲われる。そう考えると、迂闊に剣を抜くことはできなかった。かといって、レオーネやトレミーを渡すわけにもいかない。
アージは腰の剣の柄にそっと手を添えたまま、どうすべきか考えを巡らせた。
そのとき、背中にいたレオーネが小さく身じろぎした。
「アージ、降ろして」
「レオーネ様?」
「いいから」
いつもの無邪気さは、その声にはなかった。
アージは一瞬ためらったものの、男たちから目を離さぬまま、レオーネをそっと地面へ降ろした。
レオーネは足が地面につくと、腰に差していた短剣をすらりと抜いた。
左手に短剣を構え、右手を前方へ突き出す。男たちに向けて身構えるその姿は、小さな身体に似合わぬほど堂々としていた。
「……ほう?」
先ほどの男が、面白いものでも見つけたかのように目を細めた。
「坊ちゃん、勇ましいねぇ。まさか、本当に戦うつもりかい?」
男は仲間たちを振り返り、大げさに両手を広げた。
「おい、聞いたか? この坊ちゃん、俺たちとやり合うつもりらしいぜ!」
男たちの間に、再び笑い声が起こった。
レオーネは答えなかった。短剣を構えたまま、突き出した右手の指先をわずかに動かしている。
アージには、レオーネが何をしようとしているのかまではわからなかった。それでも、ただ短剣を構えているだけではないことは感じ取れた。
レオーネの唇が、ごく小さく動いていた。
男たちの笑い声に紛れ、誰にも聞き取れないほどの声で、何かを唱えている。
それに気づかぬまま、男は再びアージへと向き直った。
「で、兵士様はどうするんだい?」
男は剣の切っ先をアージへ向けた。
「こっちも商売なんでね。坊ちゃんを連れて帰れりゃ、それでよかったんだが……そこの女もなかなか悪くねえ。ついでにいただけるなら、こっちとしてもありがたい話だ」
男は舌なめずりして唇を歪めた。
「もちろん、抵抗するってんなら相手になってやるぜ。俺たちだって、何人かは死ぬかもしれねえ。だがなぁ……」
そこで言葉を切り、男はレオーネ、トレミー、エルキャパを順番に見た。
「そうなったとき、そこのお嬢ちゃんや、青っちょろい男、それに坊ちゃんまで、生きて帰れると思うかい?」
男たちが一斉に剣や短剣を握り直した。金属の擦れ合う音が、静かな林の中に響いた。
トレミーは唇を引き結び、エルキャパは顔をこわばらせたまま、アージの背後に立っている。
アージはゆっくりと息を吐いた。剣の柄に置いた手に、力がこもる。
戦えば、相手を倒せるかもしれない。だが、その間に守るべき者たちが襲われる危険がある。要求を呑むことはできない。かといって、正面から戦うのも危険だった。
どうすればいい。
アージは目の前の男たちを見据えたまま、剣を抜くべきか、それとも別の手を考えるべきか、決めかねていた。
男たちは、その迷いを見透かしたかのように薄笑いを浮かべている。
その一方で、レオーネは短剣を構えたまま、右手を男たちへ向けていた。
その唇からは、男たちの笑い声にもかき消されるほど小さな詠唱が、途切れることなく紡がれていた。




