第69話 昼食
そして、いよいよレオーネが自分で買い物をする番がやってきた。
まずは黄色い看板のスープ屋へ向かい、店主に声をかけてスープを購入する。続いて赤い看板の串焼き屋へ行き、今度は焼き串を買った。
無事に買い物を終えたレオーネは、両手に品物を持ってイスズたちのもとへ戻ってきた。その顔には、一人で買い物ができたという喜びがありありと浮かんでいる。
「イスズ先生、買えました!」
「はい。よくできましたね」
イスズが微笑むと、ストリーガも満足そうに頷いた。
「店主との応対も立派なものでした。初めての買い物とは思えませんな」
「ええ。きちんと挨拶もできていましたし、受け答えも丁寧でした。レオーネ様、素晴らしいです」
トレミーも嬉しそうに褒めてくれる。
三人から褒められ、レオーネは照れくさそうに頬を緩めた。
それを見たイスズも、自然と笑顔になる。
「とてもよくできましたね。強いて言えば、先に串焼きを買って、最後にスープを買ったほうがよかったでしょうか。スープを持ったまま次のお店へ行くと、こぼしてしまうかもしれませんからね」
レオーネは自分の手にあるスープを見つめ、それから恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「あっ…… そ、そうですね。そこまでは考えていませんでした」
「でも、ちゃんと自分で買えたのですから、今日は大成功ですよ」
イスズはそう言って、もう一度にっこりと微笑んだ。
それから、広場をぐるりと見渡す。人々が行き交う中、花壇の縁に空いている場所を見つけると、そこを指さした。
「では、あそこで昼食にしましょうか。トレミーさんも、ストリーガ様も、アージ様も、順番にお好きなものを買ってきてくださいね」
そう告げると、イスズは花壇へ向かい、その縁に腰掛けた。
レオーネも嬉しそうにイスズの隣へ腰を下ろす。
するとイスズは、腰に下げていたバッグから布を取り出し、レオーネの膝にそっと掛けた。その上に小さな板を置くと、折り畳まれた板をぱたぱたと広げていく。
あっという間に、膝の上に小さなテーブルが出来上がった。
「わあ……!」
レオーネが目を輝かせる。
イスズはその簡易テーブルの上に小さな皿を置いた。レオーネが買ってきた串焼きをそこへ載せると、トレミーが黒パンとスープも並べてくれる。
これでレオーネの昼食の準備は整った。
一方、イスズも自分の膝に布を広げ、同じように折り畳み式の板を組み立てた。そして、バッグから三つの竹筒を取り出した。
それを見たレオーネは、不思議そうに首を傾げる。
「先生、それは何ですか?」
「これはお弁当箱と水筒ですよ」
「お弁当箱……?」
聞き慣れない言葉に、レオーネだけでなく、トレミーもストリーガもアージも首を傾げた。
イスズは気にする様子もなく、横向きに置いた竹筒の蓋を開ける。
中から現れたのは、白くて丸いものが二つ。
続いてもう一つの竹筒を開けると、色とりどりの野菜を炒めたものが詰められていた。
最後に、縦に立ててあった竹筒の蓋を開く。こちらには、黄金色の液体が入っている。
「私は昼食はいつもお弁当なのです。毎朝、自分で作っているんですよ」
「毎朝、ご自分でですか?」
トレミーが驚いたように尋ねた。
「はい。自分の食べたいものを用意できますし、外で食べるときにも便利ですから。何より安くできますからね」
そう言って、イスズは白い丸いものを一つ手に取った。
トレミーはそれをじっと見つめてから、おずおずと尋ねる。
「イスズ様。その白くて丸いものは、いったい何なのですか?」
「これは、お米を茹でて、手で握ったものですよ」
ストリーガの眉がぴくりと動いた。
「米……? 米というと、あの家畜の餌の米ですか?」
「はい、そうですよ」
イスズがあっさり頷いたので、ストリーガはますます困惑した顔になる。
「あれは硬いですし、臭みもあります。家畜の餌にしかならないと聞いておりますが……。軍でも馬の餌としてよく使っておりますし…」
どうにも目の前の白い食べ物と、馬の餌として扱われている米とが結びつかないらしい。
「ふふっ。お米は、周りの薄い茶色の部分をきちんと取り除いてから茹でると、美味しく食べられるんですよ」
「そうなのですか……?」
ストリーガは半信半疑だった。トレミーも興味深そうに竹筒の中を覗き込んでいる。
しかし、イスズはそれ以上説明することなく、レオーネの前に置かれた昼食へ目を向けた。
「さあ、レオーネ様のスープや串焼きが冷めてしまいますから、先に食べましょう」
「あっ、そうですね!」
レオーネは慌てて姿勢を正すと、食事の前のお祈りを始めた。
その間に、ストリーガはトレミーとアージに声をかける。
「では、私たちも順番に買い物を済ませ、昼食にしよう。先にトレミー殿とアージ殿が行ってきてください」
トレミーとアージは頷き、広場の露店へと向かっていった。
二人を見送ったイスズは、バッグから取り出した湿った布で手を丁寧に拭いてから、自分の竹筒から白い丸いものを取り出した。そして、特に気負う様子もなく、それを手で掴んで食べ始める。
その様子を、ストリーガは何とも言えない顔で眺めていた。
家畜の餌だと思っていた米を、イスズは素手で当たり前のように食べている。しかも、ずいぶんと美味しそうに。
レオーネも最初はイスズの手元が気になっていたようだが、やがて自分の食事に意識を戻した。
イスズはレオーネに別の湿った布を渡し、「食べる前に、手をきれいに拭いてくださいね」と声をかけた。レオーネは素直に頷き、布で両手を拭いてから黒パンを手に取った。
小さくちぎろうとするが、思った以上に硬い。両手に力を込めて、ようやく少しばかりちぎることができた。
その様子を見ていたイスズが、優しく声をかける。
「その黒パンは、スープに浸して食べてくださいね」
「こうですか?」
レオーネはちぎったパンをスープに浸し、十分に染み込ませてから口へ運んだ。
もぐもぐと噛み、味を確かめる。
「食べられますけど……。なんだか、ざらざらしていて、独特の味がありますね。でも、スープにつけると食べられます」
初めて口にする庶民の食事に、レオーネは率直な感想を漏らした。
それを聞いたストリーガが、穏やかな声で語りかける。
「戦争や遠征に出ますと、そのような簡素な食事が一日の楽しみになるのですよ」
レオーネが顔を上げた。
「これが、ですか?」
「ええ。温かいスープが出るだけでも幸運です。戦場では、いつも十分な食事ができるとは限りませんからな。冷え切った身体に温かいスープが染み渡ると、それだけで救われた気持ちになるものです。戦場での数少ない癒やしであり、明日も生きて帰ろうと思える希望になることさえあります」
ストリーガはそう言って、広場を行き交う人々へ目を向けた。
その言葉を聞いたレオーネは、手元の黒パンとスープをじっと見つめた。
さっきまでは、ただ硬くて食べにくいパンだと思っていた。しかし、それを毎日の食事として食べている人たちがいる。そして、戦場では、これほどの食事でさえ特別な喜びになることがあるのだ。
レオーネはもう一度パンをスープに浸すと、今度は急がず、じっくりと味わうように食べ始めた。
やがて、トレミーとアージが戻ってきた。
二人の手にも、スープと焼き串がある。
「先ほどのスープと焼き串が美味しそうでしたので、私も食べたくなってしまいました」
トレミーは少し恥ずかしそうに笑った。
「私もです。ストリーガ殿が食べていた焼き串が、いかにも美味しそうでしてな。それに、あのスープも良い味でした。もう一杯飲みたくなったのですよ」
アージも豪快に笑う。
二人は腰を下ろすと、イスズが用意していた湿った布に目を向けた。アージは一瞬、怪訝そうな顔をしたものの、隣でトレミーが当然のように手を拭いているのを見て、自分もそれに倣った。
それから、トレミーが先ほどパン屋で買っておいた黒パンをアージに渡す。これで二人の昼食も揃い、さっそく食べ始めた。
そんな二人を見ていたレオーネが、ふと気づいたようにストリーガへ尋ねた。
「ストリーガは食事をしなくていいの?」
「ご心配には及びません。アージ殿が食事を終えしだい、護衛を交代して私も買いに行きますので」
ストリーガはそう答え、レオーネが安心して食事を続けられるように微笑んだ。
すると、アージが食べていた手を止めた。
「では、ストリーガ殿。私の食事は終わりましたので、護衛を代わりましょうか」
「おお、助かります」
「えっ、アージ、もう食べたの?」
レオーネが目を丸くした。
まだ食事を始めたばかりだと思っていたのに、アージの皿はすでに空になっていた。焼き串もスープもすっかり平らげ、ちょうど黒パンの最後のひとかけを口に放り込んだところだった。
アージは何でもないことのように答えた。
「レオーネ様、優秀な兵士は食事も早いのですよ」
アージはどこか誇らしげに胸を張ってそう言うと、空になったスープの皿とスプーンをトレミーのそばへ置いた。
「トレミー殿、あとで申し訳ありませんが、私の食器も返却をお願いできますかな」
「はい、承知しました」
トレミーが答えると、アージは立ち上がり、ストリーガと護衛を交代した。
ストリーガは頷き、広場の露店へと向かっていく。その背中を見送ったイスズが、感心したように口を開いた。
「以前にも聞いたことがありましたが、兵士の方は本当に食事が早いのですね」
「ええ。兵士は、食事を短時間で済ませることも訓練するのですよ」
アージはそう答えると、豪快に笑いながら続けた。
「戦時中に最も危険なのは、寝ている時と、食べている時と、それから……踏ん張っている時ですからな。ははは!」
「アージ様! レオーネ様もお食事中なのですよ!」
トレミーが、ぎろりとアージを睨んだ。
「あっ……!」
アージはしまったという顔をした。
そのあまりにもわかりやすい反応に、レオーネは思わず吹き出した。隣のイスズも口元を押さえて笑っている。
「す、すみません、レオーネ様。つい、いつもの調子で……」
「ふふっ、いいよ。アージは面白いね」
レオーネが笑顔で答えると、アージはほっとしたように頭を下げた。
そこへ、ストリーガが戻ってきた。
手には、レオーネたちと同じ焼き串とスープ。それにトレミーから黒パンを受け取ると、同じく渡された湿った布で手を拭くと、空いている場所に腰を下ろした。
「結局、イスズ殿以外は、みんな同じ昼食ですな」
アージがそう言うと、ストリーガも頷いた。
「アージ殿やレオーネ様が食べているスープが美味しそうでしたし、焼き串も何の肉かわかりませんでしたが、なかなか美味でしたからな」
そう言って、ストリーガは手早く食事の前のお祈りを済ませると、さっそく焼き串にかぶりついた。
「うむ、やはり美味いな、でも何の肉なのだろうな……」
満足そうに頷くストリーガを見て、また笑いが起こる。
イスズの前には、手作りのお弁当。レオーネたちの前には、広場の露店で買った庶民の食事。
食べているものは違っても、皆の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
街の人々が行き交う広場の片隅で、花壇の縁に腰掛けながら囲む昼食。
それは、レオーネにとって、これまでの暮らしではなかなか味わうことのできなかった、賑やかで温かなひとときだった。




