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学院にも行けなかった貧乏騎士爵令嬢、家庭教師として育てた伯爵家長男に人生で初めて愛されました  作者: 太童好喜


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第68話 露天

パンを買い終えたレオーネが店を出ようとしたとき、新たな客が店に入ってきた。


客は店内にいるレオーネと、その周囲を固める護衛たちの姿を目にすると、驚いたように目を見開いた。身なりのよい少年が護衛を連れてパンを買いに来るなど、そうそうあることではない。


その様子を見たイスズは、そろそろ昼時に近づいていることもあり、店に迷惑をかけないよう、早めに退店することにした。


「坊ちゃん、また買いにいらっしゃい! 今度は一人でね!」


プローブが明るい声でレオーネに呼びかける。


「はい!」レオーネも元気よく返事をした。その声を聞いたプローブは、満足そうに笑った。


イスズも彼女に向き直り、深々と頭を下げて挨拶をする。ストリーガたち護衛も含め、一行は店を後にした。


プローブは、遠ざかっていく一行の後ろ姿を見送りながら、小さく呟いた。


「イスズさんは坊ちゃんと呼んでいたけど、きっと、あの方がインプレッサ伯爵様のご長男、レオーネ様かねぇ。良い子だったけど、これからどうなることやら……」


先ほどまでの、明るく素直な少年の返事を思い出し、プローブは複雑な面持ちで首を傾げた。あの少年がこれからどんな道を歩んでいくのか、気にはなったが、いつまでも考え込んでいるわけにもいかない。


店には、次の客が待っている。プローブは小さく息を吐くと、気持ちを切り替え、店先へと向き直った。


「黒パンを四つくださいな」


「はい、黒パン四つね。今日のもよく焼けていて、おいしいよ!」


プローブはすぐに気持ちを切り替え、客から差し出された袋を受け取ると、焼き上がった黒パンを一つずつ丁寧に入れていった。



一方、イスズたちはパン屋を離れ、露店の集まる広場へと向かっていた。


広場に近づくにつれて、人の往来が増えていく。あちらこちらから威勢のよい呼び込みの声が聞こえ、食べ物や日用品を売る露店が所狭しと並んでいた。


店先にはさまざまな商品が並び、足を止めて品定めをする者や、店主と値段の交渉をする者の姿も見られる。


「これから広場の露店を見て回りましょうね」


イスズはレオーネに声をかけながら、周囲の様子にも目を配った。


「露店には面白いお店も多いのですが、気をつけないと偽物をつかまされることもあります。商品を買うときは、よく確かめてくださいね」


「はい、イスズ先生!」


「それから、めったにあることではありませんが、ひったくりなどがいないとも限りません。財布やお金をむやみに人前に出さないようにしましょう。あまり心配しすぎる必要はありませんが、周囲の人にも気を配ってくださいね。ここは人が多いので、ちょっとしたことがきっかけで、思わぬ揉め事になることもあるのです」


そう説明されると、レオーネは少し緊張した様子で周囲を見回した。


「そんなに危ないところなのですか?」


「いいえ。人が集まる場所には、良いことも悪いこともあるというだけです。必要以上に怖がることはありませんよ」


イスズは穏やかに微笑んだ。


「ところで、露店で売っている食べ物は、お店で食べるより安い場合が多いのですが、なぜだかわかりますか?」


レオーネは少し考えたものの、答えが思いつかなかったらしい。困ったように首を横に振った。


「まず一番の違いは、店を持っていないことですね。建物を借りたり、維持したりするためのお金が必要ありません。その分、商品を安く売れるのです」


「なるほど……」


「もちろん、材料費や人件費がかかるのは同じですから、露店なら必ず安くできるというわけではありません。それでも、店舗を構える費用がかからないことは、大きな違いになります」


イスズはそう説明してから、広場に並ぶ露店へと視線を向けた。


「ただし、気をつけなければならないこともあります。ごく一部ですが、どうせ一度きりの客だからと、いい加減な商品を売る店もあるかもしれません。特に食べ物は、見た目や値段だけで判断しないほうがよいでしょう」


「では、良いお店はどうやって見分ければいいのですか?」


「簡単ですよ。まずは、お客さんが大勢買っているお店ですね。それから、何度か通ううちにわかることですが、いつも同じ場所で商売をしているお店も、信頼できる可能性が高くなります」


「同じ場所で売っていることが、どうして信頼につながるのですか?」


「固定客がついていると考えられるからです。味がよく、値段も手頃であれば、何度も買いに来る人が増えますよね。もちろん、同じ場所に長くいるからといって絶対に安心というわけではありませんが、判断材料の一つにはなります」


「なるほど。お客さんの多さや、何度も買いに来る人がいるかどうかを見るのですね」


レオーネは納得したように頷いた。


「ええ。それから、貴族が普段食べ物について特に気をつけなければならないものがあります。何だと思いますか?」


「なんだろう……清潔さ?」


「それも大切ですが、貴族の場合は、まず最初に毒を盛られる危険にも注意しなければなりません」


イスズの言葉に、レオーネの表情が引き締まった。


「しかし、こうした露店では、貴族本人を狙った毒殺の危険は、比較的低くなります。誰が買うかわからない食べ物に毒を仕込んでも、狙った相手がそれを口にするとは限りませんからね。相手を確実に毒殺したいのであれば、もっと別の方法を考えるでしょう」


「確かに……。狙った人が食べるとは限りませんね」


「もちろん、だからといって安全だと決めつけてはいけませんよ。食べ物そのものが傷んでいる可能性もありますし、用心するに越したことはありません」


イスズはそう念を押してから、レオーネの顔を覗き込んだ。


「ところで、レオーネ様。お腹は減っていますか?」


尋ねられたレオーネは、素直に頷いた。


「はい。減ってきました」


「そうですか。では、少し早いですが、ここでお昼にしましょうね」


イスズは少し離れた場所にいるエルキャパへと目を向けた。


「エルキャパ様、お昼はいかがなさいますか?」


エルキャパは首を横に振った。今は食事をするつもりがないらしい。


「承知いたしました」


イスズは頷くと、ストリーガ、アージ、トレミー、そしてレオーネに向き直った。


「それでは、今日のお昼はこの露店で買って食べましょう」


「本当ですか?」レオーネの顔がぱっと明るくなった。


これまで貴族の子供として暮らしてきた彼にとって、露店で食べ物を買って昼食にするというのは、珍しい経験だった。並んでいる料理を眺めるだけでも、どこか心が弾むのだろう。


「ただし、どのお店で買うかは、きちんと考えなければなりませんね」


イスズは広場を見渡し、赤い看板を掲げた串焼きの店と、黄色い看板のスープの店に目を留めた。


「ストリーガ様、アージ様。お願いしてもよろしいでしょうか。まずストリーガ様は、あの赤い看板の串焼きのお店へ。アージ様は、あそこの黄色い看板のスープのお店へ行って、味を確かめてきていただけませんか?」


二人は顔を見合わせたあと、頷いた。


「承知した」「わかりました」


まずストリーガが串焼きの店へ向かった。店先では、肉を串に刺して焼いており、立ち上る煙と香ばしい匂いがあたりに漂っていた。店の前には何人かの客が並び、焼き上がった串焼きを受け取っては、満足そうにその場を離れていく。


ストリーガは店主に声をかけ、串焼きを買うと、イスズたちのもとへ戻ってきた。


それを確認してから、今度はアージがスープの店へ向かう。大きな鍋の中では、何やら具材が煮込まれていた。見た目だけでは、何の肉が入っているのか、どんな材料が使われているのか、はっきりとはわからない。


アージは店主からスープを受け取り、イスズたちのもとへ戻ってきた。


「では、お二人とも、試食をお願いします」


イスズに促され、ストリーガとアージはそれぞれ買ってきたものを口にした。


串焼きは、見た目こそ決して上等とはいえない。肉の種類も、香辛料の使い方も、ひと目ではわからなかった。しかし、ひと口食べたストリーガの目が見開かれた。


「……これは」


口に広がる香ばしさと、肉の旨味。焼き加減も悪くない。見た目から想像していたものより、ずっとおいしかった。


一方、アージもスープをひと口飲んだ途端、目を見開いていた。


「こちらも、なかなかの味ですね」


何が煮込まれているのか、詳しいことはわからない。それでも、具材の旨味が溶け込んだスープは味わい深く、思わずもうひと口飲みたくなる味だった。


二人は夢中で食べ進め、気がつけばあっという間になくなっていた。


その様子を見て、イスズは満足そうに頷いた。


「お二人とも、おいしかったようですね」


「はい。見た目からは想像できないほどでしたな」


ストリーガが率直な感想を述べると、アージも同意するように頷いた。


「スープも、なかなかのものです。具材ははっきりしませんでしたが、味は良いですね」


「それはよかったです。では、アージ様。その器とスプーンを、あのお店に返してきていただけますか?」


「器とスプーンを、ですか?」


「ええ。返却すると、代金の一部が戻ってくるはずです」


アージは不思議そうに首を傾げながらも、スープの器とスプーンを持って店へ向かった。


そして店主に返却すると、確かに一枚の鉄貨が返ってきた。


アージが戻ってくると、レオーネは不思議そうにその手元を見つめた。


「本当にお金が戻ってきたのですね。どういう仕組みなのですか?」


「このような露店では、器やスプーンを持たずに商売をしているお店も多いのです。そこで、食器を使う代わりに一枚の鉄貨を余分に支払い、食べ終わった器とスプーンを返してもらうと、その鉄貨を返却する仕組みにしているのでしょう」


イスズは、先ほどアージが返してきた器を指し示した。


「実際、あの器やスプーンそのものに、一枚の鉄貨ほどの価値はないと思います。それでも、お客さんにとっては、返せばお金が戻ってくるのですから、わざわざ持ち帰る理由がありません。一方、お店は食器を繰り返し使えます。お客さんが食器を返してくれれば、店主も新しい器を用意する費用を抑えられます」


「なるほど。お客さんに返してもらうために、お金を使っているのですね」


「そういうことです。お客さんにとっても、お店にとっても都合がよい。よく考えられた仕組みですよね」


「本当ですね。こういう商売の方法もあるのですね」


レオーネは感心したように頷いた。料理の味だけでなく、食器を返却させる仕組みにも、商売の工夫があるのだ。


イスズはそんなレオーネを見て、にっこりと微笑んだ。


「さて、試食で、あのお店の食べ物がおいしいことはわかりましたね。では、今度はレオーネ様ご自身で、同じものを買ってきてください」


「えっ、僕が一人で、ですか?」レオーネは驚いてイスズを見上げた。


「はい。今回は、レオーネ様がご自分で露天で買い物をする練習です。私たちは少し離れたところから見守っていますから、困ったことがあればすぐに声をかけてくださいね」


イスズは優しく微笑んだが、レオーネは緊張した様子で、赤い看板の串焼きの店と、黄色い看板のスープの店を交互に見た。


「まずは、ご自分の分を一人前ずつ買ってきてください。どちらのお店から行くかも、レオーネ様が決めていいのですよ」


そう言われ、レオーネは改めて二軒の露店に目を向けた。それから、意を決したようにイスズへと向き直る。


「わかりました。では、行ってきます」


「はい。いってらっしゃいませ」


イスズに送り出され、レオーネは一歩を踏み出した。


その後ろ姿を、ストリーガとトレミーは少し距離を空けて見守りながら追いかけていく。二人とも、すぐに手を貸せる距離は保ちつつ、レオーネが自分で買い物を済ませられるよう、必要以上に近づかないようにしていた。


一方、アージはイスズのそばに残り、彼女とともにレオーネから離れた場所で周囲に目を配っていた。人通りの多い広場では、レオーネの様子を見守るだけでなく、周囲への警戒も怠るわけにはいかない。


レオーネは露店へ向かいながら、これから自分がしなければならないことを頭の中で整理していた。


自分で店を選び、店主に声をかけ、欲しい品物を注文する。そして、代金を確かめてお金を支払う。


どれも難しいことではないはずだ。けれど、普段は侍女や従者が代わりにしてくれるため、自分で買い物をする機会などほとんどなかった。


けれど、今日は違う。


イスズは、レオーネが自分の力でできることを一つずつ増やしていけるよう、こうして実地で学ぶ機会を作ってくれたのだ。


レオーネは小さく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


そして、二軒の露店をもう一度見比べると、黄色い看板のスープの店へと足を向けた。緊張で少し強張った顔のまま、店先に立つ店主へと近づいていく。


いよいよ、自分一人での露天での買い物が始まるのだった。

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