第67話 パンの購入
「坊ちゃん。では、パンを購入しましょうね」
イスズがそう声をかけると、レオーネは元気よく返事をした。
「はい!」
「まずは、普通の買い物を実演してみます。私がやってみますので、よく見ていてくださいね。ふふふ」
そう言うと、イスズはわざわざ店の外へ出て、改めて扉を開けて入ってきた。
「こんにちは。今日はパンを買いに来ました。今日の夕飯と明日の朝食用に、黒パンを二つとブドウパンを一つ買いたいのですが、いくらですか?」
「黒パンが二つ一鉄貨、ブドウパンが一つ二鉄貨だよ。合わせて四鉄貨だね」
プローブが答えると、イスズはうなずいた。
「わかりました。では、黒パンを二つとブドウパンを一つください」
そう言ってから、イスズは何かに気づいたように、わざとらしく声を上げた。
「あっ! 今日はカゴを持ってくるのを忘れちゃったわ! 仕方がないから、ハンカチに包んで持って帰りますね。プローブさん、そのまま渡していただいて大丈夫ですよ!」
「はいよ。黒パンが一つとブドウパンが一つだね」
プローブはイスズから四鉄貨を受け取ると、金額を確かめてから、棚に並んでいたパンを手渡した。
「確かに四鉄貨、受け取ったよ。はい、これで間違いないね」
「ありがとうございます」
イスズはパンを受け取ると、すぐには包まず、まずは手元のパンをじっくりと確かめた。注文したものと種類も数も合っている。傷んでいる様子もなかった。
それから持参したハンカチで二つのパンを包み、バッグにしまった。
「ありがとうございました。また買いに来ますね!」
「毎度あり! また来ておくれよ!」
プローブの声に見送られ、イスズは店を出ていった。
そして、少ししてから、再び店の扉が開いた。
「坊ちゃん、いかがでしたか?」
ニコニコしながら戻ってきたイスズに尋ねられ、レオーネは先ほどのやり取りを思い返した。
「ええと……だいたいわかりました!」
「ふふふ。では、今の実演をもとに、買い物をするときに気をつけたいことを説明しますね」
イスズはそう言って、レオーネの目を見た。
「まずは、挨拶をすることです。これは、実はとても重要なんですよ」
「挨拶、ですか?」
「はい。初めて入ったお店でも、まずは挨拶をして、相手の反応を見ることが大切です。挨拶をすれば、お互いに相手の様子を見るきっかけになりますからね。きちんと挨拶が返ってくれば、少なくとも、こちらに気づいて応対してくれることがわかります」
そこで、イスズは少しだけ言葉を切った。
「ただし、挨拶をしたときの反応だけで、お店の良し悪しを判断してはいけませんよ。特に職人さんのお店では、ものを作ることは得意でも、接客は苦手という方もいらっしゃいます。そういうお店でも、作っているものはとても優れていることがありますからね」
「坊ちゃん、うちの旦那がまさにそうだよ! 挨拶も接客は苦手だけどね、パンの味と安さは保証するよ!」
プローブが笑いながら口を挟んだ。奥でパンを焼いていたコルサは、こちらにちらりと目を向けると、苦笑いを浮かべた。
「ふふふ。そういうこともある、ということですね」
イスズは楽しそうに笑った。
「それに、同じお店に何度も通うようになれば、挨拶はますます大切になります。お店の人と顔なじみになれば、お互いに気持ちよく買い物ができますからね。挨拶は、そうした関係を築くための第一歩でもあるのですよ」
レオーネは、なるほどという顔でうなずいた。
「そして、次は自分が何を買いに来たのかを伝えます。これが買い物の第一歩です。今回なら、私が『黒パンを二つとブドウパンを一つ買いたい』と伝えましたね」
「はい。何を買いたいのか、伝えるんですよね」
「そうです。そして、値段を確認します。お店によっては値札がついていないこともありますから、いくらなのかを尋ねるのです。複数の商品を買うときは、それぞれの値段だけでなく、合計金額も確認しましょう」
イスズは、先ほどのやり取りを振り返るように、指を一本立てた。
「今回は黒パンが二鉄貨、ブドウパンが二鉄貨でしたね。合わせて四鉄貨です。こうして合計金額を自分でも確かめておけば、渡すお金が足りているかどうかもわかります」
「なるほど。自分でも計算するんですね」
「はい。そして、値段に納得したら、何をいくつ買うのかを改めて伝え、購入する意思をはっきりと示します。今回なら、私が『では、黒パンを二つとブドウパンを一つください』と言ったところですね」
レオーネは先ほどのやり取りを思い返しながら、うなずいた。
「それから、お金を払うときにも気をつけたいことがあります。まず、買いたい商品が実際にあることと、値段が合っていることを確認してから代金を渡すのです」
「商品があることを確認する……?」
「ええ。たとえば、品物を見せてもらう前に代金を渡してしまうと、思っていたものと違う品物を渡されても、気づくのが遅れてしまうかもしれません。もちろん、普通のお店なら、店主を信頼して取引することも大切です。ただ、初めての相手との取引では、支払う前に商品や値段を確かめておくと安心ですよ」
「えっ! お金を払ったのに、商品をもらえないこともあるんですか?」
レオーネが驚くと、イスズはうなずいた。
「残念ながら、そういうこともあり得ます。特に、見知らぬ相手との取引では注意が必要です。露店などでも、商品を確認してから代金を渡すようにすれば、そうした失敗を防ぎやすくなります」
「なるほど……」
「ただし、必ずお金を先に渡すとも、必ず商品を先に受け取るとも限りません。お店によっては、先に商品を渡してから代金を受け取ることもあります。大切なのは、商品と代金の両方が確実に受け渡されることなのです」
イスズはそう説明してから、もう一つ付け加えた。
「それから、高価な品物を買う場合は、支払いの前に現物をしっかり見せてもらうことも重要です。見た目や状態を確かめ、自分が納得してから購入するのです。これは食品に限らず、どんな買い物にも通じることですね」
「高いものほど、よく確かめるんですね」
「そうです。たとえば、布を買うなら、色や模様だけでなく、生地に傷みがないか、織り方に問題がないかも確かめます。道具なら、きちんと使えるかどうかも大切ですね。買うものによって、確認すべきことは変わるのですよ」
レオーネは感心したようにうなずいた。
「そして、お金を払ったら、次は商品を受け取ります。そのときには、注文したものと種類や数が合っているかを確かめましょう。今回なら、黒パンが二つ、ブドウパンが一つ、という具合ですね」
「はい!」
「それから、渡したお金の金額も確認します。今回は四鉄貨ちょうどを渡しましたから、お釣りはありません。でも、たとえば一銅貨を渡した場合は、六鉄貨のお釣りが戻ってくるはずです。そうしたときは、お釣りが合っているかも確かめるのですよ」
「なるほど! お金を渡して終わりじゃないんですね」
「ええ。お金も商品も、受け渡しがきちんと済んだことを確認するまでが買い物です」
イスズはそう言って、レオーネに微笑みかけた。
「もちろん、商品を受け取ったあとも、必要に応じて状態を確認します。食品なら、傷んでいないか、見本と大きく違っていないかなどですね。ただし、お店が混んでいるときに、いつまでも商品を調べていては、後ろのお客さんを待たせてしまいます。必要なことはきちんと確認しつつ、周りの状況にも気を配ることが大切ですよ」
「わかりました」
レオーネは真剣な表情でうなずいた。
「それから、もう一つ。わからないことがあれば、お店の人に尋ねてもよいのですよ」
「尋ねてもいいんですか?」
「もちろんです。値段だけでなく、商品の違いや保存方法など、気になることを聞けば、買い物の失敗を減らせます。ただし、お店の人も仕事をしていますから、忙しそうなときには、尋ねる内容やタイミングにも気を配りましょうね」
「はい。わからないことを、そのままにしないんですね」
「そのとおりです。自分だけで判断できないときは、詳しい人に尋ねる。それも大切なことですよ」
イスズは満足そうにうなずくと、今度は自分のバッグを軽く叩いた。
「そして最後に、買ったものをどうやって持ち帰るのか、前もって考えておくことです」
「あっ、カゴですね!」
レオーネが答えると、イスズは嬉しそうにうなずいた。
「そうです。普段の買い物なら、カゴを持参するのが便利ですね。少量なら手で持って帰ることもできますし、今日の私のように布で包む方法もあります。お店で必ず包んでもらえるとは限りませんから、何に入れて持ち帰るのか、自分で考えておく必要があるのですよ」
「なるほど……。買うときのことだけじゃなくて、持って帰るところまで考えておくんですね」
「そのとおりです」
イスズは満足そうに微笑んだ。
「もちろん、今お話ししたことを、毎回一つずつ思い出しながら買い物をする必要はありません。慣れてくれば、買う人も売る人も、そのほとんどを自然に判断するようになります」
「自然に、ですか?」
「ええ。たとえば、初めてのお客さんが店に入ってきたら、お店の人は、その人が何を求めているのか、どんな対応をすればよいのかを考えます。一方、お客さんも、お店の様子や店主の受け答えを見て、安心して買い物ができそうかを判断します。お互いに、短いやり取りの中でいろいろなことを見ているのです」
イスズはレオーネに優しく語りかけた。
「だからこそ、最初の挨拶が意外と重要なんですよ。挨拶は、ただ礼儀としてするだけではありません。お互いが気持ちよくやり取りを始めるための、大切なきっかけなのです」
レオーネは、先ほどの実演を思い返しながら、覚えなければならないことを小さな声で繰り返し始めた。
「挨拶をする。何を買うか伝える。値段を聞く。合計金額を確かめる。商品を確認して、お金を払う。それから商品を受け取って、注文したものと合っているか確かめる。お釣りがあれば、それも確認する……。持って帰る方法も考える……」
その様子を見ていたプローブは、感心したように目を丸くした。
「なるほどねぇ……。確かに、言われてみればイスズさんの言うとおりだよ。私たちは、ものを売り買いするときに、そんなことをいちいち考えているつもりはなかったけどね。お客さんの様子を見て、どんな人なのか、何を求めているのかを自然に判断していたんだねぇ」
「そうですね。私たちも、いつの間にか身につけていることが多いのでしょうね」
イスズが答えると、ストリーガやトレミーも納得したようにうなずいた。
レオーネはまだ、覚えるべきことを小声で繰り返している。買い物という行為にも、これほど多くの判断が含まれているとは思ってもいなかったのだろう。
その真剣な姿を見て、イスズは微笑んだ。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん。実際に自分で買い物をしていけば、少しずつ身についていきますからね」
「はい! 頑張ります!」
レオーネは元気よく返事をした。




