第59話 レイバックの街並み
門を出ると、そこには門番が立っていた。ストリーガとアージが手を挙げて挨拶すると、レオーネに気づいた門番は、すぐに姿勢を正して敬礼した。
伯爵邸は丘の上にある。そのため、門を出た途端、レイバックの街並みが眼下に広がった。
「わあ……!」レオーネは思わず声を上げた。
これまで邸の二階や庭から街を眺めたことは何度もあった。しかし、木々や建物、塀などが視界を遮り、これほど広く街全体を見渡せたことはなかった。
その隣で、イスズは街並みをじっと見つめていた。ただ眺めているというより、何かを探しているような目だった。
「レオーネ様、せっかくですから、今日は少し違った見方をしてみましょうか。街をただ眺めるのではなく、まず全体の位置関係を見てくださいね」
イスズに促され、レオーネも改めて街を見渡した。
「……このインプレッサ伯爵様の邸は街の北側にありますね。そして東にはランディ川、西にはカラベル山。その背後にはカマルグ山脈があり……」
イスズの視線が、街の南側へゆっくりと移っていく。
「……なるほど…こうして見ると、この街は面白い造りをしていますね」
イスズの目が、わずかに輝いた。
「レオーネ様。もし、ここを敵が攻めてきたら、どこから来ると思いますか?」
「敵がですか……?」レオーネは街を見渡した。
「うーん……東には川があって、西には山がありますから……南でしょうか?」
イスズは嬉しそうに頷いた。
「その通りです。東西を川と山に挟まれていますから、敵が大軍を率いて攻めてくるなら、南側から進軍するのが最も現実的でしょう。つまり、この地に街を築いた初代インプレッサ伯爵様は、南に敵を想定して、この街の防衛計画を立てられたのではないでしょうか」
それを聞いたストリーガは、思わず苦笑した。
「……さすがですね。まさに、その通りです」
「やはりそうなのですね!」イスズは思わず声を弾ませた。
レオーネが不思議そうにイスズを見る。
「イスズ先生、そんなに嬉しいんですか?」
イスズは少し頬を赤くした。
「え? あ……いえ、その……こういう街を見ると、つい考えてしまうもので」
そう言いながらも、視線はすでに街の南側へ戻っていた。レオーネはそんなイスズを横目に見ながら、改めて街を眺める。
「でも、敵が攻めてきたら、レイバックの街が戦場になってしまうの?」
イスズは少し考えるように南側へ視線を向けた。
「そうとは限りませんよ。むしろ、この街は敵を街の中へ入れる前に、できるだけ弱らせるように造られているように見えます。レオーネ様、あの南側の畑を見てください」
イスズが指を向ける。
「用水路が網の目のように張り巡らされていますよね。しかも、あの一帯は街よりも少し低い土地になっています。東のランディ川から水を引いているのでしょう。そして……ああ、やっぱり。あそこに大きな池がありますね」
イスズは少し楽しそうに目を細めた。
「おそらく、あの池の堤を切れば、畑へ一気に水を流せるのでしょう。敵が進軍してきたところで水を流せば、あの一帯は泥濘になります。歩兵も騎兵も思うように進めなくなるでしょう。特に騎兵には厄介でしょうね。馬が足を取られれば、騎手も動けません」
イスズはさらに南側へ目を凝らして、しばらく眺めたあと、小さく頷いた。
「しかも、あの畑にはいくつか道がありますが……敵が自由に動けるようにはなっていませんね」
「どういうことですか?」
「畑の中を通る道が限定されています。敵が進みやすい場所をこちらで決めてしまえる。ならば、その道筋を射程に収める場所へ弓兵を置けばいい」
イスズは指先で、街へ向かって伸びる道をなぞるように示した。
「敵は道を外れれば泥濘に足を取られ、道を進めば弓兵に狙われる。大軍なら、後ろから次々と兵が押し寄せますから、先頭が止まれば隊列そのものが詰まります。しかも、ここまで進ませてしまえば、次の手も使えます」
「次の手ですか?」
イスズは東のランディ川と西のカラベル山へ視線を移した。
「東の川と西の山です。川の浅瀬や渡河できる場所は、きっと事前に調べられているはずです。カラベル山にも、兵士の方々だけが知る道があるかもしれません」
「山の道ですか?」
「はい。南から進んできた敵が畑で足止めされている間に、東の川を渡った部隊や、西の山道を進んだ部隊が敵の側面へ回り込むのです」
イスズの指が、南から街へ向かう敵の進路を描く。
「正面からは街の守備兵が弓で牽制する。敵がそちらへ対応している間に、東西から別働隊が攻撃する」
そして、イスズは指先を敵の後方へ滑らせた。
「さらに、後ろへ回り込めれば……」
「挟み撃ち?」
レオーネが言うと、イスズは嬉しそうに頷いた。
「そうです。大軍を一度に相手にする必要はありません。先陣と後続を分断して、孤立した部隊から順番に叩けばいい」
「……イスズ先生…なんだか、すごく楽しそうですね」
イスズは一瞬黙った。「そう、見えますか?」
「はい」
少し恥ずかしそうに視線を逸らしたが、街を見つめる目はやはり楽しそうだった。
「でも、まだ終わっていませんよ。今度は敵がここまで突破してきた場合を考えてみましょうか」
イスズは街の中心へ視線を移した。
「……あの大通りですね。あれも気になります」
イスズは街の中心を走る大通りをじっと見つめた。
「左右に並ぶお店は、どれも石造りで、かなり頑丈そうですよね。建物の高さも揃っていますね」
「確かに、同じような造りのお店が並んでいますね」
イスズはしばらく考えた。
「商店街として見れば、少し不思議な造りです。もしかすると、普段は商店として使いながら、戦時には防衛施設として利用することまで考えられているのではないでしょうか」
「防衛施設に?」
イスズは両手を使って、左右の建物を示した。
「はい。例えば、敵が大通りを進んできたとします。そのとき、店と店の間を塞いでしまえば、通りそのものを封鎖できます」
「道を塞ぐ……」
「ええ。敵がこの邸へ向かって大通りを進んできても、途中で道を塞がれれば、そこで足を止めるしかありません」
イスズはさらに建物の屋根へ視線を向けた。
「あら……レオーネ様、あの屋上をご覧ください。少し変わった造りになっていますよね」
レオーネも目を凝らす。
「……本当ですね。屋根の形が少し違います」
「おそらく、屋上から隣の建物へ移動できるようになっているのでしょう」
「そんなことまで?」
「もし私が守る側なら、ぜひ欲しいですね。建物の中や屋上を通って兵を移動させられるなら、敵の頭上や側面から弓を射ることができます。敵が一つの建物を占拠しても、隣の建物から攻撃を続けられる。街の建物そのものを防衛線として使えるわけです」
レオーネがすっかり感心している横で、イスズはさらに大通りへ目を向けた。
「それに、この道は街の中心へ向かって延びています。敵が進めば進むほど、左右の建物から攻撃を受けることになります。しかも、道幅が広い」
「それは、商人や荷車が通りやすいからでは?」
「もちろん、それも理由でしょう。でも……守備兵が移動し、必要な場所へ兵を集めるための道としても使えるのではないでしょうか」
「敵にとっては、広い道なのに進みにくいんですね」
イスズは頷いた。
「そういうことです。広いから兵を動かしやすい。しかし、その兵を左右から攻撃できる。守る側にとっては便利で、攻める側にとっては危険な道です」
「では、敵は大通りを進むことも難しいの?」
「そうですね。仮に突破しても、まだ終わりではありません」
イスズは街の中を見渡した。
「ほら、あそこに広場があります。普段は市場として使いながら、戦時には兵士を集めたり、住民を避難させたりする場所として使えそうです」
イスズは周囲の建物を見回す。
「周囲の建物を拠点にすれば、敵が広場へ入ってきても簡単には制圧できません。広場へ出た敵を四方から攻撃することもできます」
そして、イスズの視線が街の北側へ向かった。
「あとは……レオーネ様、街の北側を見てください。伯爵邸へ近づくほど、少しずつ段差になって高くなっていますよね」
「はい。言われてみれば、そうなっています。よく分かりますね」
イスズの声が少し弾んだ。
「これも面白いですよ。敵が街へ侵入してきたとしても、一気に伯爵邸まで進ませない。段差ごとに防衛線を設けられます」
「防衛線ですか……」
「ええ。低い場所を突破しても、次の段差でまた足を止めさせる。そこに柵や土塁、仮設の壁などを設ければ、敵はその都度、攻め直さなければならない。しかも、高い場所からなら弓も射やすい。敵は下から登ってこなければならない。守る側にとっては、とても戦いやすい地形です」
「本当に、街そのものが防衛のために造られているんですね」
「そう思います」
イスズは最後に、丘の上にある伯爵邸を見上げた。
「そして、ここです。もし街の一部が敵に占領されたとしても、この邸まで簡単には攻め込ませない。街をいくつもの段階に分けて守り、最後にはこの丘で敵を迎え撃つ」
イスズは街全体を見渡した。
「南の畑で敵を止め、街へ入れば大通りで足を止め、さらに奥へ進めば段差ごとに防衛線を張る。そして最後は、この丘です」
その目には、まるで実際に戦場を見ているかのような光があった。
「街の防衛と伯爵家の防衛が、最初から一つの計画として組み立てられているように思えます」
「すごい……。そんなことまで考えられているのですね」
レオーネが感嘆の声を漏らす。
すると、イスズはようやく我に返ったように瞬きをした。
「……あ」
「どうしたんですか?」
イスズは少し恥ずかしそうに頬を赤くした。
「もちろん、実際のところは分かりませんよ。ただ、こういう街を見ると、どうしても『ここならどう戦うだろう』と考えてしまいまして」
その言葉に、ストリーガがとうとう両手を上げた。
「イスズ殿……そこまでお分かりになるとは。驚きました。今お話しになったことは、我がインプレッサ伯爵家が代々受け継いできた防衛構想の要点そのものです」
イスズの表情が固まった。
「……本当ですか?」
「ええ。なぜ、そこまでお分かりになったのですか?」
イスズは困ったように頬を掻いた。
「いえ、そんな大したことではありません。昔、家にあった物語に戦記物がありまして……」
「戦記物?」
イスズは少し照れながら続けた。
「はい。それがとても面白かったのです。それで、戦場では兵がどこを通るのか、どこに兵を置けば有利なのか、どうすれば少ない兵で大軍を止められるのか……そういうことを考えるのが好きになりまして」
「……」ストリーガは絶句した。
「それ以来、このような素晴らしい街を見ると、どのような意図で造られたのかを考えるのが癖になってしまいまして……」
「戦記物を読んだだけで、これほどまでに……」
ストリーガは改めて街を見渡した。この領都レイバックの防衛戦略は、インプレッサ伯爵家にとって秘中の秘である。
地形の利用から敵の誘導、兵の配置、街中での防衛戦、そして最後の籠城に至るまで、代々の当主と重臣たちが練り上げてきたものだった。
それを、戦場を知らないはずの若い女性が、街並みを眺めただけで次々と看破してしまったのである。
しかも本人は、それを特別なことだと思っていない。ストリーガは、イスズという女性に対する認識を、改めて大きく変えざるを得なかった。
一方、当のイスズは、褒められたことが恥ずかしいのか、少し俯いている。
レオーネはそんなイスズを見つめながら、改めて思った。
(イスズ先生って、本当にすごい人なんだな……)
そしてイスズは、再び街並みへ視線を戻した。
その目は、まだ少し楽しそうだった。




