第57話 領の運営
四日目の授業。
この日も、レオーネはいつものようにイスズの前に座っていた。
これまでの三日間で、レオーネは領地の仕組みや市場、税の役割について学んできた。
領民が働き、物を作り、商人がそれを運び、市場で売買する。そして、そこから得られた収入の一部が税として納められ、領地の運営に使われる。
それぞれが別々の話ではなく、すべてつながっていることも、少しずつ理解できるようになっていた。
そんなレオーネを前に、イスズは穏やかに微笑んだ。
「では、今日は少し趣向を変えてみましょうか。これまでは、領地を治めるために何が必要なのかをお話ししてきましたよね。今日は、それを実際に考えてみましょう」
イスズはそう言うと、黒板へ向かった。
「では、実習です。実際に小さな町を、レオーネ様が領主となって運営してみましょうね」
イスズがそう言うと、レオーネだけでなく、トレミーもストリーガも、そしてエルキャパまでもが驚いた顔をした。
「実際に……ですか?」
「はい。もちろん、本当に領地を動かすわけではありませんよ。あくまで勉強のための実習です」
そう言って、イスズは黒板へ向かった。そして、まずは貨幣の単位を書き出していく。
鉄貨の欠片――おおよその量によって変わる。(注:数十円程度)
1鉄貨(注:約百円)
10鉄貨=1銅貨(注:約千円)
10銅貨=1銀貨(注:約一万円)
10銀貨=1金貨(注:約十万円)
10金貨=1大金貨(注:約百万円)
「ちなみに、パン一個は鉄貨一枚くらいです。そして、一般的な庶民の一月の稼ぎは、だいたい金貨二枚ほどと考えてください」
そう説明すると、イスズは懐から財布を取り出した。
「実物も見てみましょうか」
財布の中から、まず鉄貨を一枚取り出す。続いて、銅貨、銀貨を一枚ずつ取り出し、机の上へ並べていった。
「これが鉄貨。こちらが銅貨で、こちらが銀貨です」
レオーネは目を輝かせた。
「これが鉄貨……。こっちは銅貨で……」
並べられた貨幣を一枚ずつ手に取り、表と裏を確かめるように眺めている。
イスズはそんなレオーネを微笑ましそうに見ていたが、ふと財布の中を覗き込んだ。
「……あ、金貨なら私も持ったことがありますが、大金貨となると……実物を手にしたことがありませんので、そこは想像してくださいね。うふふ」
「大金貨って、そんなに大きなお金なんですか?」
「はい。金貨十枚分ですからね」
そう答えると、レオーネはますます興味を引かれたようだった。
イスズは財布を懐へ戻すと、黒板へ向き直った。
「では、ここからが実習です」
今度は黒板に、大きく数字を書いていく。
〈人口一万人のレオーネ町(仮)〉
「レオーネ様が、このレオーネ町の領主だと思ってください。この町には一万人の人が暮らしています。そして、この町を一年間運営するために使える予算は、全部で大金貨五百枚ほどあるとします」
イスズは黒板の端に、もう一度「大金貨五百枚」と書いた。
「では、この五百枚を、実際にどう分けるのか考えてみましょう」
レオーネはしばらく悩んだ。だが、なかなか答えが出てこない。
「……難しいです」
「ふふ。では、参考までに、私が考えてみましょうか」
イスズはチョークを手に取った。
「私も、実際の領地の予算について詳しく知っているわけではありません。ですから、これはあくまで一例ですけれど……まずは、必要になるものを一つずつ考えてみましょう」
そう言って、黒板に「道」と書いた。
「人口一万人の町なら、町の中だけでなく、周囲の村々とも道でつながっている必要がありますよね。仮に、町と村を結ぶ道を合わせて、五十キロメートルほどあるとしましょう」
「五十キロ……」
「ええ。ただし、毎年すべてを作り直すわけではありません。雨で削られたところを直したり、土を足してならしたりする程度です」
イスズは少し考えた。
「そうですね。一年間に二十五キロほどを整備するとして、一キロあたり金貨三枚ほど。すると、年間で金貨七十五枚。大金貨七枚と金貨五枚ほどになります」
「道だけで、それくらいかかるんですね」
「はい。では、次は橋です」
イスズは「橋」と書いた。
「五十キロほどの道があれば、川を渡る場所もいくつかあるでしょう。大きな橋が二本、小さな橋が六本ほどあると仮定します」
「そんなに……」
「もちろん、地形によって変わりますよ。大きな橋なら一本につき金貨十枚ほど、小さな橋なら三枚ほど。ただし、これも毎年建て直すわけではありませんから、年間の修繕費として考えれば――」
イスズは橋の数と修繕費を頭の中で組み合わせる。
「橋で大金貨二十枚ほどでしょうか。それに、水路の修繕や維持にも大金貨三十枚ほど見ておきましょう」
黒板に、『橋・水路の修繕――大金貨五十枚』と書いた。
「この町には、農地もありますからね。水路を放っておけば、農作物が作れなくなってしまいます」
「なるほど……」
レオーネは、少しずつ数字の意味が分かってきたようだった。
「次は、治安維持です」イスズは「治安維持」と書く。
「人口一万人なら、町の中だけでなく、周辺の村や街道も見回る人が必要です。仮に兵士を二百人ほど置くとしましょう」
「二百人……」
「一人あたり、給金や食事、装備の維持費などを含めて、年間金貨五枚ほど。二百人なら金貨千枚ですから、大金貨百枚になります」
「そんなにかかるんですね……」
「人を雇うというのは、それだけお金がかかるものなんですよ」
黒板に、『治安維持――大金貨百枚』と書き加える。
「それから、火事や災害への備えも必要です。消防の道具や消火用の水を確保したり、大雨や洪水が起きたときのために備えたりします。これも、年間で大金貨四十枚ほど見ておきましょう」
続いて「行政職員」と書いた。
「税を集める人、記録を管理する人、住民の届け出を扱う人など、町を運営するための人たちも必要です」
「何人くらいですか?」
「人口一万人なら、五十人ほどでしょうか。一人あたり、給金や仕事に必要なものを含めて年間金貨二十枚ほどと考えれば、こちらも大金貨百枚になります」
「治安維持と同じだ……」
「そうですね」
イスズはその横に、『行政職員の人件費――大金貨百枚』と書いた。
「ほかにも、市場や集会所、共同で使う倉庫などの公共施設があります。建物は使っていれば傷みますから、年間の修繕費として大金貨四十枚ほど」
「蓄えも必要ですよね?」
「はい。よく気づきましたね」
イスズは備えを「備蓄」と書いた。
「凶作や災害が起きたときのために、穀物などを蓄えておきます。人口一万人なら、それなりの量が必要ですし、古くなったものは入れ替えなければなりません。そう考えると、年間で大金貨四十五枚ほどでしょうか」
「大金貨四十五枚……」
そして最後に、「領主への上納」と書いた。
「それから、この町だけで使えるお金というわけでもありません。領主へ納める分もありますから、仮に大金貨五十枚ほどを見ておきましょう」
イスズは、ここまで書いた数字を眺めた。イスズが指で数字を追っていく。
「……少しだけ調整しましょうか」
いくつかの数字を書き直し、全体の合計を確認する。そして最後に、合計の欄へとチョークを走らせた。
「これで、ちょうどですね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
道路整備――十五%、大金貨七十五枚。
橋・水路の修繕――十%、大金貨五十枚。
治安維持――二十%、大金貨百枚。
消防・災害対策――八%、大金貨四十枚。
行政職員の人件費――二十%、大金貨百枚。
公共施設――八%、大金貨四十枚。
備蓄――九%、大金貨四十五枚。
領主への上納――十%、大金貨五十枚。
合計――大金貨五百枚。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イスズは黒板を見ながら、付け加えた。
「もちろん、実際には土地の広さや道の状態、橋の数、兵士の給金、物価などによって変わります。ですから、これが正解というわけではありませんよ」
レオーネは黒板を見つめた。
「でも……こうやって、一つずつ必要なお金を考えていけばいいんですね」
イスズは微笑んだ。
「そうですね。必要なものを考えて、それぞれにどのくらい必要なのかを積み上げていくのです。そうすれば、最初はただの五百枚だったものが、少しずつ意味のある数字に変わっていきますから」
そのときだった。
「……イスズ殿。その数字と割合……今すぐ消していただけますかな」
エルキャパの声が、静かに響いた。
イスズが振り返り、思わず目を瞬かせた。
「はい?」
エルキャパは黒板を見つめたまま、少し言いにくそうに続けた。
「レオーネ様も、この数字の割合はノートには書かないでいただきたい」
イスズは不思議そうに尋ねた。
「……どうしてですか? 私は、あくまで仮の話として考えただけなのですが……」
エルキャパは、しばらく言葉を選んだ。
「その仮の数字の割合が問題なのです。その予算配分が、この領で実際に行われているものと、ほぼ同じなのです」
「……え?」
イスズの目が丸くなった。レオーネも、トレミーも、ストリーガもエルキャパを見る。
「ほぼ……同じですか?」
エルキャパは黒板を指した。
「…はい。道路整備が十五%、橋と水路の修繕が十%。治安維持と行政職員の人件費が、それぞれ二十%。消防や災害対策が八%、公共施設が八%、備蓄が九%、そして領主家への上納が十%です」
エルキャパは、黒板に書かれた数字を一つずつ指で示していった。
「項目だけではありません。割合まで、ほとんど一致しております」
「で、でも……私は、この領の予算を知りませんよ?」
「承知しております。だからこそ、驚いているのです」
エルキャパは、改めて黒板を見つめた。
「これらは、この領地を運営するうえで、実際に必要とされている支出です。領地の広さや人口、地形、施設の状態などを踏まえて調整された数字なのです。それを、イスズ殿は何の資料もなく、必要なものを考えて積み上げただけで、ここまで近い配分を導き出された……」
そこでエルキャパは、わずかに表情を引き締めた。
「……この支出の配分が、他領に知られるのはあまり好ましいことではありませんね。領地の運営において、何にどれだけの費用を割いているのかという情報は、領主にとって重要なものです。これほど具体的な割合が他領に知られれば、こちらの財政状況や領地運営の方針まで推し量られる恐れがあります」
エルキャパはイスズへ視線を向けた。
「この件は、ここにいる者たちだけの秘密としておいたほうがよいでしょう」
「……そんなに、すごいことなのですか?」
レオーネが尋ねると、エルキャパは静かに頷いた。
「少なくとも、私には偶然だけで片づけられるようには思えませんな」
その言葉に、トレミーとストリーガは改めてイスズを見た。レオーネもまた、黒板に並ぶ数字を見つめている。
「……イスズ先生、どうして分かったんですか?」
イスズは少し困ったように笑った。
「……分かったわけではありませんよ。先ほどレオーネ様と一緒に数字を積み上げたように、その規模の町を運営するなら何が必要なのか、そこにどのくらいお金がかかるのかを一つずつ考えていっただけです」
イスズにとっては、本当にそれだけだった。
レオーネは黒板を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
五百枚の大金貨。それは、ただの数字ではない。
道路を直すためのお金であり、橋や水路を守るためのお金であり、町を守る人々の給金であり、火事や災害に備えるためのお金でもある。
そして、その一つ一つが、一万人の人々の暮らしにつながっている。
レオーネは黒板に並んだ数字を、もう一度見つめた。
「……イスズ先生、すごいですね。実際の予算と、ほとんど同じなんですよ!」
レオーネはもう一度、黒板を見る。
「……町を運営するって、こういうことまで考えないといけないんですね」
「はい。領主になるということは、町で暮らす人たちの生活を支えるということでもありますから」
レオーネは黙って数字を眺めた。先ほどまでは、ただの数字だと思っていた。
けれど今は、その一つ一つが、町で暮らす人たちの生活につながっているように見えた。
エルキャパは、そんな二人を黙って見つめていた。
そして、もう一度だけ黒板へ目を向ける。そこに並んでいるのは、イスズが何気なく書いた数字だった。
けれどエルキャパには、それがただの数字には見えなかった。




