第50話 ソルテラの授業見学02
イスズの『雨はどうして空から降ってくるのか』という授業を見学していたフローリアンは、次第に困惑を深めていた。
最初のうちは、雨についての話なのだと思っていた。
この世界では、空には水の精霊や水属性の魔力が満ちており、それが雲に集まって雨になる――。
少なくとも、そこまではフローリアンにも理解できた。ところが、イスズが「水蒸気」という言葉を口にしたあたりから、話が分からなくなっていった。
「水は温められると、蒸発して水蒸気になります」
蒸発? 水蒸気? フローリアンは眉を寄せた。
水を温めれば湯になる。それは分かる。だが、そこから水蒸気というものになり、それが空気中へ移っていくという話は、今まで聞いたことがなかった。
しかもイスズは、水蒸気は目には見えないと言う。
それならば、いったい何を見ているのだろう。
「温かい水から出てきた水蒸気が、周囲の空気によって冷やされると、水蒸気の一部が再び水になります」
フローリアンは、さらに混乱した。水蒸気が水になる。その水が小さな水滴になる。そして、その小さな水滴が空気中に浮かぶ。
「それらが空気中にたくさん集まったものが、私たちが見ている雲です」
「……雲が、水滴?」思わず、フローリアンは小さく呟いた。
自分が知っている雲とは、まったく違う。
雲とは、天にあるものだ。そして、その雲に水が集まり、一定量を超えれば雨になる。
それが、この世界で一般的に知られている雨の仕組みだった。ところがイスズは、雲そのものが水の小さな粒の集まりだと言っている。
しかも、その水は地上や海から蒸発して空へ上がったものだという。
「水滴同士がぶつかったりして大きくなり、やがて空気中に浮かんでいられないほど重くなると、地上へ落ちてきます。それが雨です」
フローリアンは、思わずイスズとレオーネを見比べた。
水滴同士がぶつかる?
雲の中で水滴が大きくなる?
そして、重くなったから雨として落ちてくる?
一つ一つの言葉は理解できる。だが、それらがどう繋がっているのかが分からない。
そもそも、なぜ水が空へ上がるのか。なぜ目に見えないものが空気中に存在できるのか。なぜそれが水滴になり、雲になるのか。
どれも、フローリアンには初めて聞く話だった。
「……本当に、そんなことが起こるのかしら」
小さく呟いた声には、困惑が滲んでいた。
雨についての話なのだから、自然現象について教えているのだろう。だが、フローリアンがこれまで学んできた自然についての知識とは、あまりにも違いすぎる。
イスズは何の疑いもなく話を続け、レオーネもまた、それを当然のように聞いている。まるで二人の間では、これが当たり前の知識であるかのようだった。
フローリアンは、次第に自分だけが取り残されているような気分になってきた。
「じゃあ、洗濯物が乾くのも……雨が降るのも、同じ水の仕組みなんですね!」
レオーネが目を輝かせる。イスズも嬉しそうに頷いた。
「その通りです」
フローリアンには、その「その通り」が、ますます分からなかった。
洗濯物が乾くことと、雨が降ることが同じ仕組み? そんなことは、これまで考えたこともなかった。
フローリアンは黙ったまま、もう一度イスズを見る。
使用人たちは、イスズが奇妙なことばかり教えていると言っていた。今なら、その言葉の意味が少し分かる気がした。
ただし――。
「……こんな話、聞いたこともないわ。これが本当に、雨の仕組みだというの……?」
そう呟きながら隣を見ると、ソルテラはまったく違っていた。
目を輝かせ、イスズとレオーネのやり取りを食い入るように聞いている。知らないことを知るのが、純粋に楽しいらしい。
フローリアンはそんなソルテラを見つめ、それから再びイスズへ視線を戻した。
自分にはまだ理解できない。けれど、ソルテラは面白そうに聞いている。そしてレオーネもまた、楽しそうにイスズの話を聞いている。
自分が今まで受けてきた教育とは、まるで違う。その事実だけは、はっきりと分かった。
フローリアンは、このバルカン帝国の学院で、座学に限れば主席の成績を収めた才媛だった。学院にいる頃から勉強を好み、卒業してからも学ぶことをやめなかった。
自然現象についても、それなりに多くの書物を読み、さまざまな学説に触れてきたつもりだった。
それでも、イスズが語ったような話は一度も聞いたことがない。だからこそ、フローリアンは、この話をそのまま受け入れることができなかった。
この授業が終わったら、今日聞いた内容をレオーネの母であるマイアか、伯爵家の家宰に伝えよう。
水が蒸発する。
目に見えない水蒸気になる。
それが空へ上がり、冷やされて水滴になる。
そして雲になり、やがて雨として落ちてくる。
イスズは、それを当然のことのように話している。だが、フローリアンには到底すぐに受け入れられる話ではなかった。
もちろん、イスズが意図的に嘘を教えていると決めつけるつもりはない。
しかし、これまでの常識からあまりにもかけ離れた話を、確かな根拠も示さず、レオーネに事実として教えているのであれば、看過することもできない。
ましてやレオーネは、ソルテラと次期伯爵の座を競う立場にある子供だ。
その教育に関わる者として、疑問に感じたことをそのままにしておくわけにはいかなかった。
――少なくとも、この話は一度、マイア様か家宰に伝えておくべきだわ。
フローリアンはそう心に決めた。
イスズが何を根拠に、これほど奇妙な話をレオーネに教えているのか。
それだけは、きちんと確認しておかなければならない。
あっという間?に50話到達しました!




