第46話 ファーゴ・エルミオ
ヴァンガード辺境伯騎士団の遠征部隊。
その中に、ファーゴ・エルミオはいた。
エルミオ家の五人兄妹のうち、ファーゴは三番目。長兄ジェミニと次姉アスカに続く、アスカの一歳下の弟だった。
魔の森に近いヴァンガード辺境伯領は、常に魔物の脅威にさらされている。バルカン帝国における、魔物との戦いの最前線ともいえる領地だ。
だからこそ、この国でも特に優秀な兵士たちが集まっている。
帝国第二騎士団とヴァンガード辺境伯騎士団。この二つの騎士団は、帝国でも並び称されるほどの精鋭部隊だった。
そこへ入団して二年。今年で三年目を迎えようとしているファーゴは、今日も魔物の討伐から戻ってきた。
ファーゴは、騎士団の中では身長が低い。
精鋭揃いの騎士団だけあって、体格にも恵まれ、身長の高い者が多い。その中にあって、ファーゴは周囲より頭一つ分ほど小さかった。
ただし、小さいとはいっても、騎士団の中で一番小さいというだけだ。平民の中に入れば、決して珍しくない、平均的な身長である。
そもそも、屈強な男たちが集まるこの騎士団に、普通程度の体格しか持たないファーゴが入団できたこと自体が異例だった。
その理由の一つが、同級生だった辺境伯家の三女、プレイオネだった。
ファーゴとプレイオネは、学院時代の初め頃には、ほとんど関わりのない二人だった。爵位も違えば領地も遠く、辺境伯家の三女であるプレイオネと、別の辺境にある騎士爵家のファーゴでは、接点などほとんどなかった。
そんな二人が初めて関わったのは、学院全体で行われた合同の武術授業だった。上級生に因縁をつけられて対峙したファーゴが大怪我を負い、授業の一環として治療にあたっていたプレイオネが、偶然その傷を聖魔法で治したのだ。
それがきっかけとなり、その後も生傷の絶えないファーゴを、プレイオネが治療する機会が増えていった。怪我をしては治療され、また怪我をしては治療されるうちに、二人は少しずつ言葉を交わすようになり、やがて友人になった。気づけばプレイオネは、ファーゴの傷を治す専属のような存在になっていた。
そんなファーゴだが、学院では見かけによらず、勉強でも成績上位に名を連ねていた。特に魔法と槍術の腕は優れており、学院内でもその実力は知られていた。
そして、ファーゴだけではない。一つ上の姉であるアスカも、翌年に入学してくる妹のフィリーも、学院では有名な存在だった。
エルミオ兄妹は、普段から目立つ生徒たちだったわけではない。
教室で騒ぐわけでもなく、貴族の子弟たちのように社交の場で目立つわけでもない。それなのに、勉強の試験や魔法、武術の大会になると、決まって『エルミオ』の姓が上位を占める。
勉強の試験でも、魔法の大会でも、武術の大会でも、エルミオ兄妹の誰かが一位になる。そのため、いつしか兄妹は学院内でも知られた存在となっていた。
しかも、それほどの実力を持つエルミオ兄妹が、高位貴族の家の出身ではない。辺境の、それもほとんど名も知られていない騎士爵家の子供たちだった。
それもまた、学院では異質なことだった。
そして、プレイオネがファーゴの槍術と魔法の腕を見込み、ヴァンガード辺境伯騎士団へ入るよう勧めた。そういう意味では、プレイオネがファーゴをスカウトしてきたと言っても過言ではなかった。
もともと辺境伯領は、常に魔物の脅威にさらされているからこそ、ヴァンガード辺境伯家は、バルカン帝国中から屈強な男たちを常に欲していた。
しかし、危険な最前線へ自ら赴こうとする貴族は少ない。そのため、騎士団を支えているのは、領内の領民たちを中心とした兵士たちだった。
そんな中で、下級貴族とはいえ、貴族の子でありながら、魔物との戦いに自ら身を投じるファーゴは、騎士団にとって貴重な存在だった。
ファーゴの槍術と魔法の腕は、騎士団の中でも飛び抜けている。
最近では、同僚たちから『始終の槍』と呼ばれることも増えていた。魔獣を見つければ、真っ先に飛び出す。まず火の魔法を叩き込み、そのまま槍を構えて突っ込んでいく。
そのため、魔獣との戦いで一番槍を務めるのは、だいたいファーゴだった。
豪快で、怖いもの知らず。誰よりも先に魔獣の群れへ飛び込んでいく。
しかも、ファーゴは『体力の化け物』と呼ばれるほどの体力を持っていた。だからこそ、最後の一撃を任されることも多い。
魔獣が弱った瞬間を見極め、最後に最も確実な一撃を叩き込む。
抜群の槍術と魔法の腕があるからこそ、それを任せることができるのだ。
つまり――。
始めるのもファーゴ。終わらせるのもファーゴ。
ただ、プレイオネだけは知っていた。ファーゴが一番危険な場所へ飛び込んでいくのは、怖いもの知らずだからだけではない。
仲間を守るために、自分から一番危険な場所へ飛び込んでいるのだ。
そして、その日。
魔物の討伐から戻ってきた翌日のことだった。騎士団の宿舎に、プレイオネがいつものようにやって来た。
ファーゴの部屋の前まで来ると、遠慮なく扉を叩く。
「ファーゴ!」
返事を待つことなく、扉を開けて中へ入っていく。そのすぐ後ろから、プレイオネの侍女と護衛が慌てて追いかけてきた。
「プレイオネ様! まだ結婚前なのですから、むやみに男性の部屋へ入ってはいけません!」
しかし、プレイオネはまったく気にする様子がない。
部屋の中では、ファーゴがベッドの端に腰を下ろしていた。昨日の討伐で背中に傷を負ったらしく、上半身は裸のまま、背中には白い包帯が巻かれていた。
「ファーゴ!」
プレイオネは、ずかずかと近づいていく。
「また怪我をしたと聞きましたわ! しかも、相変わらず一番初めに魔物の群れへ突っ込んでいったそうですわね! あなたは、なぜそうなのですか!」
「いや、それは……」
「早く、そのまま横になってくださいませ! 私が治癒します!」
「おい、ちょっと待――」
「まったく! 学院の頃から、これで四十六回目ですのよ!」
ファーゴは、首を竦めた。
「全部覚えてるのかよ……」
「当然ですわ!」
そう言うと、プレイオネはファーゴの背中を、ドンッと押した。
「うおっ!」
不意を突かれたファーゴの身体が前のめりになり、そのままベッドへ手をつく。
「いてぇなぁ……」
「動かないでくださいませ」
プレイオネは気にすることなく、ファーゴをうつ伏せにした。そして、すぐに聖魔法の詠唱を始める。
護衛が慌てて声を上げた。
「プレイオネ様! ファーゴ殿は上半身裸なのですぞ! プレイオネ様はまだ婚約者もいらっしゃらないのですから、どうか自重を!」
しかし、プレイオネは詠唱を止めない。
やがて淡い光がファーゴの背中を包み、傷が少しずつ癒えていく。その最中、プレイオネは平然と言った。
「これは医療行為です」
「しかし――」
「医療行為では、患者が裸なのは当たり前ではないですか」
「そういう問題では……!」
プレイオネは、ファーゴの背中を見ながら、あっさりと言った。
「それに、ファーゴの裸など、私はもう、頭の先から足の先まで見ております」
「……」
治療を受けているファーゴは、確かに学院時代から、身体のあちこちの怪我をプレイオネに治してもらってきた。
だからこそ、何も言い返せなかった。
「この背中の傷、もう少し深ければ大変なことになっていたのですよ!」
プレイオネが、ファーゴの背中を見ながら叱る。
ファーゴは、何も言えなかった。普段からファーゴは、それほど饒舌なほうではない。そのため、二人でいると、いつもプレイオネが一方的に話すことが多かった。
それはプレイオネも同じだった。
普段の彼女は、清楚で深窓の令嬢然としており、それほど口数が多いほうではない。それなのに、ファーゴと相対すると、いつの間にか自分ばかりが話している。
そんな二人だった。
そして、数度の聖魔法によって、ファーゴの背中の傷が塞がっていく。それを確認したプレイオネが、ようやく小さく息を吐いた。
「背中ですから、少し傷は残りますが……もう大丈夫だと思いますわ」
そう言って、プレイオネは額に浮かんだ汗を拭おうとする。すると、すぐそばにいた侍女が布を差し出し、その額の汗をそっと拭った。
その間に、ファーゴがむくりと身体を起こした。
「その…プレイオネお嬢様…、ありがとうございます」
そう言って、ファーゴが頭を下げる。すると、プレイオネがすぐに言った。
「お嬢様はやめてって、いつも言っているでしょう!」
「もう、学院の頃とは違うんだよ。この辺境伯騎士団に入団したんだし、お前は辺境伯家のお嬢様だろ。それに、呼び捨てにすると……他の団員からのやっかみが激しいんだよ…」
ファーゴは、ばつが悪そうにぼそりと呟いた。
プレイオネは少しだけ頬を膨らませたが、すぐに何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば、ファーゴに手紙が届いているようですわよ」
そう言って、侍女が一通の手紙を取り出してファーゴへと差し出した。すると、侍女がプレイオネの顔を見て、ほんの一瞬だけクスッと笑った。
「女性の方からですよ」
その一言に、プレイオネの身体がぴくりと反応した。なぜか動揺した様子で呟く。
「そ、そうですの……」
侍女はそんなプレイオネを見て、もう一度小さく笑うと、その手紙をファーゴへ差し出した。
「ファーゴ様、どうぞ」
ファーゴは何気なく手紙を受け取った。
そして、封を開けて読み始める。しばらくすると、普段はあまり笑わないファーゴの表情が、少しずつ変わっていった。
やがて、その顔に笑みが浮かぶ。
「そうか……イスズ……マミーが……」
ファーゴは、誰にも聞こえないほど小さな声で、ぽつりと呟いた。そのため、プレイオネには何を言ったのかまでは聞き取れなかった。
「ファーゴ…その……手紙は、どのような内容なのです?」
さきほどまでとは打って変わって、妙に詰問するような口調だった。
「その女性とは、どのようなご関係なのです? もしかして、親しい女性の方からですの? それとも、誰か女性を紹介するとかいう内容ですの?」
侍女が困ったように口を挟む。
「お嬢様。ファーゴ様の個人的な手紙ですので、そこまで詮索しなくても……」
「友人として気になるではありませんか!」
プレイオネは顔を真っ赤にして言い返した。その様子を、侍女と護衛が何とも言えない顔で見つめている。
ようやく手紙を読み終えたファーゴが、顔を上げた。
「アスカというのは、俺の姉さんだよ」
「……お姉様?」
プレイオネの表情から、わずかに力が抜けた。
学院時代から知っている、ファーゴの姉だ。それならば、何もおかしなことはない。
「では、内容は? 誰か女性を紹介するとでも?」
それでも、プレイオネは気になって仕方がないらしく、もう一度尋ねた。
侍女も護衛も、思わず苦笑する。
ファーゴはそんな二人を気にする様子もなく、手紙を見ながら答えた。
「イスズ姉さんが、インプレッサ伯爵の長男の家庭教師になったって知らせてきたんだよ」
プレイオネが目を瞬かせる。
「まあ……ファーゴが言っていた、なんでもできる才媛のお姉様のことですか? 学院にも通っていないのに、勉強も、武術も、魔法も、領政もできる才女のお姉様ですわね」
ファーゴが頷いた。そして、少しだけ嬉しそうに言った。
「今、俺がいるのは姉さんのおかげだからな」
その瞬間、プレイオネはファーゴの顔をじっと見つめた。その表情は、いつものファーゴとは明らかに違っていた。
魔物と向き合っているときの険しい顔とも違う。普段、プレイオネと話しているときの、どこか無愛想な顔とも違う。
姉の話をするときだけ、ファーゴはこんな顔をするのだ。
どこか嬉しそうで。どこか誇らしそうで。
そして、姉を心から大切に思っていることが、その表情から伝わってくる。
それを見ていたプレイオネは――。
なぜだか、胸の奥がざわついて、素直にその笑顔を見ていられなかった。




