第44話 魔法の授業03
イスズは、少し考えるように眉を寄せた。
「……少し、お時間をいただけますか?」
レオーネが聞き返すより先に、イスズは小さく頷いた。
「ちょっと考えてみますね」
そう言うと、イスズはその場でぶつぶつと独り言を始めた。
「風を強くするだけじゃなくて……圧縮して……それを薄く広げれば……。力を広い範囲に分散させるより、狭いところに集中させたほうが……」
イスズは自分の指先を見つめる。
「……薄い円盤にして、縁の部分に風を集めて……それを一気に飛ばせば……」
しばらく考え込んでいたイスズは、やがて何かに納得したように小さく頷いた。
「……ふむ。では、ちょっと試してみますね」
そう言って、イスズは周囲を見回し、地面に落ちていた木の枝を一本拾い上げた。
「これで試してみましょう」
イスズは枝を左手に持つと、もう一度、右手の指先を見つめる。
「薄くして……外側に風を集めて……一気に飛ばす。そうすれば、風でも切れるはず……」
もう一度だけ小さく頷くと、右手の人差し指をすっと立てた。
「えいっ!」
可愛らしい声とともに、指先を横へ軽く振る。
シュバッ!
空気を切り裂くような音が響いた。次の瞬間、イスズが持っていた木の枝が、すぱっと切れていた。
「……」
レオーネは目を見開き、トレミーも何が起きたのか理解できないように固まっている。ストリーガに至っては、完全に言葉を失っていた。
イスズは切れた枝を持ち上げ、その切断面を眺める。そして、満足そうににっこりと笑った。
「風の魔法で、こんなこともできそうですね!」
三人は、ただイスズを見つめていた。
目の前で新しい魔法が生まれた。しかも、イスズは誰かに教わったわけでもない。たった今、自分で考え、原理を組み立て、その場で実際に魔法として形にしてみせたのだ。
特にストリーガにとって、それは大きな衝撃だった。
魔法とは、決められた詠唱を覚え、魔法陣を学び、何度も繰り返して身につけるものだと思っていた。それをイスズは、目の前で考えながら組み立ててしまったのである。
ストリーガは、切断された木の枝とイスズを交互に見つめた。その表情には、先ほどまでとは比べものにならないほどの驚きが浮かんでいる。
やがて、ストリーガが低い声で呼びかけた。
「……イスズ殿。今の魔法は……誰かに教わったものですか?」
イスズが振り向く。イスズは首を傾げた。
「いいえ? 今思いついたので、試してみただけです」
ストリーガの表情から、先ほどまでの驚きが少しずつ消えていく。代わりに、険しいものが浮かんだ。
「……そう……ですか。では、今の魔法を……イスズ殿は、誰からも教わっていないのですね? 詠唱も魔法陣もですよね?」
イスズは小さく頷いた。
ストリーガは黙り込んだ。そして、しばらくしてから周囲を見回す。誰もいないことを確認すると、声を落とした。
「イスズ殿。今後、そのような魔法を、人前では使わないでください」
イスズが目を瞬く。
「どうしてですか?」
ストリーガは声を落とした。
「問題は、その魔法が……今の魔法の常識から、あまりにも外れていることです」
イスズは黙ってストリーガを見る。
「通常、魔法は鑑定によって定められた属性をもとに、決められた詠唱や魔法陣を使って発動します。それが、正しい魔法だと教えられている。ところが、イスズ殿の魔法には、それがない。詠唱をせず、魔法陣も使わず、それどころか、その場で思いついた方法を試して、新しい魔法を作ってしまう」
「……」
「そんな魔法が存在するなど、私は聞いたことがありません」
イスズは少し考え込んだ。
「でも、できるのなら、別に問題はないのではないですか?」
ストリーガは、困ったように眉を寄せた。
「それが……そう簡単な話ではないのです。高位貴族の家であれば、まだ話は違います」
「高位貴族ですか?」
「はい。高い魔力を持つ者や、代々魔法を研究している家ならば、長年の研究や研鑽によって、これまで知られていなかった魔法を生み出すことも、稀にはあります」
イスズは黙って聞いている。
「もちろん、そうした新しい魔法が、すぐに世間で認められるわけではありません。ですが、高位貴族には、それを教会と話し合うための人脈も、交渉するための力もある。場合によっては、研究成果として教会に認めてもらったり、教会との話し合いや取引によって、異端ではないと認めてもらうこともできます」
「なるほど……」
ストリーガの表情が険しくなった。
「ですが――イスズ殿の場合は、そうはいきません。失礼を承知で申し上げますが、イスズ殿は高位貴族の出身ではない。爵位も低く、教会や貴族社会に強い後ろ盾があるわけでもありません」
ストリーガは言葉を選ぶように続けた。
「高位貴族であれば、新たな魔法を生み出しても、研究や研鑽の成果として教会と交渉することができます。場合によっては、教会との話し合いや取引によって、異端ではないと認めてもらうこともできるかもしれません。ですが、イスズ殿のような立場の方が、これまで世に知られていない魔法を独自に使っていると知られたら……」
ストリーガは、イスズを真っ直ぐ見つめた。
「研究者としてではなく、異端の魔法使いと疑われる可能性があります」
「異端ですか……」
「はい。そして、そうした者を人々は昔から『魔女』と呼ぶことがあります」
ストリーガは、そこで一度言葉を止めた。
「……あまり大きな声では言えない話なのですが、もし教会から本当に魔女と認定されてしまったら、ただ異端者として扱われるだけでは済みません」
イスズの表情が少し強張る。
「牢獄に入れられるか、良くても教会の研究機関などに拘束されて、魔法の使用を厳しく制限されたうえで、研究対象にされることがあります。本人の意思とは無関係に、人間として扱われるのではなく、まるで実験動物のように、魔法の仕組みを調べるためだけに扱われ、一生をそこで過ごすことになる可能性もあります」
ストリーガは、イスズを真っ直ぐ見つめた。
「そして、教会が危険だと判断すれば……殺されることさえあります」
「……」
イスズは何も言えなかった。
「ですから……この魔法は、あまり人前では使わないほうがいいでしょう」
イスズの表情が、わずかに強張って頷いた。
「……分かりました」
ストリーガは、それを見てようやく息を吐いた。
そのとき、イスズが何かを思い出したように「あっ」と声を漏らした。
「だからなのですね」
ストリーガが聞き返す。イスズは少し嬉しそうに頷いた。
「弟や妹たち、特に長兄のジェミニからは、私の魔法はおかしいから、人前では使わないようにと言われていたんです。特にジェミニから、学院に入る子たちにはかなり念を押していました。私の教えた魔法は『絶対に人前で使わないで』って」
そう言って、イスズは一人で納得したように頷いた。
「そういう理由だったのですね」
ストリーガは、しばらく言葉を失った。
ジェミニが学院へ入学した当初、入学試験で放った魔法があまりにも異質だったため、ちょっとした騒ぎになった。
そのとき初めてジェミニは、これまでイスズから教えられていた魔法と、世間で一般的に使われている魔法が、まったく違うものだと知ったのだ。
そして同時に、イスズの魔法がどれほど異質なものなのかも理解した。
だからこそ、ジェミニはイスズにも、弟妹たちにも、かなり厳しく言い聞かせていた。特に学院へ入る弟や妹たちには、イスズの魔法について余計なことを話さないように、と。
当時のイスズは、それを単に「珍しい魔法だから目立つのだろう」くらいに考えていた。
まさか、その裏に「魔女と疑われるかもしれない」という危険があるとは、考えもしなかったのである。




