第42話 魔法の授業01
今日は、庭の片隅にある訓練場での授業だった。
イスズはレオーネの前に立つと、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「おはようございます。今日は魔法の授業をします」
そう言って、イスズは授業を始めた。
以前、イスズは一度だけ、レオーネに魔法を教えたことがある。
身体の中にある血管へ魔力を流し、その流れを利用して、最も弱い風魔法である『アウラ』を発動させる方法だった。
まだ魔力の扱いに慣れていなかったレオーネでも使えるように、イスズが考えた簡単な魔法だった。
その様子を見ながら、ストリーガはふと考える。
普通、魔法を教えるのは、高い魔力と優れた技術を持つ魔法使いだ。
教師が実際に魔法を発動してみせる。生徒はその詠唱や魔法陣、完成した魔法を見て覚え、詠唱を一言一句暗記する。そして、魔法陣を何度も描いて頭に焼きつける。
そして、自分でも同じ魔法を発動できるようになるまで、ひたすら繰り返し練習する。
それが、どこの学院でも行われている、一般的な魔法教育だった。だからこそ、魔法教師には、生徒に手本を見せられるだけの高い魔力と技術が求められる。
しかし――。
ストリーガは、目の前のイスズを見る。
イスズは、平民の間で使われている生活魔法しか使えないはずだった。少なくとも、ストリーガはそう聞いていた。そんな彼女が、貴族であるレオーネに魔法を教える。
改めて考えてみても、不思議な話だった。
「もうご存知かもしれませんが、私は生活魔法しか使えません」
イスズはそう言って、右手の人差し指を軽く立てた。
すると、その指先に小さな炎が灯る。続いて、手のひらに少量の水が集まり、ぽたりと地面へ落ちた。
今度はイスズの掌の上に土が集まり、小さくまとまって固まっていく。やがて、小さな土の塊がころりと掌の上に残った。
さらにイスズが掌を開くと、そこに小さな光の玉が浮かんだ。続いて指先を軽く動かすと、その周囲だけがすっと暗くなる。
最後にイスズが手を軽く振ると、そよ風が生まれ、レオーネの頬を撫でた。
「でも、生活魔法が使えるということは、弱いながらも、いろいろな魔法を使えるということなんですよ」
ストリーガは、そこで初めて違和感を覚えた。
何かがおかしい。イスズの魔法は、これまで自分が見てきた魔法とは何かが違う。だが、それが何なのかまでは分からなかった。
そして、イスズはにっこりと笑って、レオーネを見る。
「今までレオーネ様に教えてきたことを応用すると、こんなこともできます」
次の瞬間だった。
イスズの手のひらに、拳ほどの火の玉が現れた。
詠唱はない。魔法陣を思い浮かべるための間すらない。気づいたときには、すでに火の玉が完成していた。
それをイスズが軽く手を振って放つ。火の玉は一直線に飛び、三十メートルほど先の離れた石の的に命中した。
轟音とともに、石の表面が弾け飛ぶ。
「……!」
ストリーガは思わず目を見開いた。
「その威力で、無詠唱なのか……魔法師団の魔法使いに匹敵しそうだぞ……」
漏れた声には、驚きが滲んでいた。
レオーネも、呆然とその跡を見つめていた。そのとき、先ほどから感じていた違和感の正体に気づいた。
――そうだ。
イスズの魔法には、詠唱も、魔法陣を思い浮かべるための時間もなかったのだ。
「学院に入ったら、普通の魔法も習うでしょう。それはそれで、入学してから覚えていけばいいと思います。でも、私の教える魔法も覚えていて損はないと思います。大人になってから、どちらが身体への負担が少ないのか、どちらが臨機応変に使えるのか。それを比べて、使いやすいほうを選べばいいんです」
そして、少し首を傾げた。
「選べるものは、多いほうがいいでしょう?」
イスズは、まるで当たり前のことを話すように続けた。
「たとえば、レオーネ様が夕食を食べるとします。その夕食がパンだけだったら、どうでしょう?」
「……パンだけですか?」
「ええ。他にも魚がある。動物の肉もある。魔物の肉もある。もしかしたら、今日は野菜だけにするかもしれません。体調によって変えてもいい。昨日は何を食べたから、今日は別のものにしよう、と考えてもいい」
イスズは穏やかに笑った。
「選択肢が多いほうが、人生は豊かになります」
そして、今度は魔法の話へ戻る。
「それと同じということではありませんが、いざどうしても戦わなければならなくなったときも同じです。剣しか使えないより、槍も使えたほうがいい。火の魔法も使えるなら、それも選択肢になります」
イスズは先ほど生み出した風を思い出させるように、指先を軽く動かした。
「レオーネ様の風の魔法なら、相手を遠くへ吹き飛ばしたり、風の壁を作って攻撃を遮ったりすることもできるかもしれません。風を鋭く凝縮すれば、攻撃しようとする手を切ることもできるでしょうし、身体に風を纏わせて、一気に距離を取ることだってできるかもしれません」
イスズは、レオーネをまっすぐ見つめた。
「ほかにも、工夫次第では、いろいろな使い方もできるかもしれませんよ」
そして、レオーネをまっすぐ見つめる。
「いざというときに選べる方法は、多いほうがいいんです」
そこで、イスズはふと思い出したように付け加えた。
「それから、もう一つ。私の魔法は、気づいたかもしれませんが、無詠唱です」
普通の魔法は、詠唱だけでは発動しない。詠唱と同時に魔法陣を頭の中へ思い浮かべ、そこへ魔力を流し込む。それで、ようやく魔法が発動する。
だから魔法使いは、詠唱を一言一句覚え、魔法陣を頭の中へ鮮明に思い浮かべられるようになるまで、何度も何度も練習する。
一流の魔法使いでさえ、威力のある魔法を使うには数秒かかる。それに比べて、イスズの魔法はほとんど一瞬だった。
それなのに、三十メートル先の石の的を砕くほどの威力を持っていた。
――あれが、生活魔法なの?
レオーネは、改めて先ほどの火の玉を思い出した。
イスズの魔法は、自分が今まで見てきた魔法とは、根本的に何かが違う。
そう、初めて理解した。




