第39話 武術の授業06
そして、午後の授業。
「二つ目は、受け身です。武術では、相手を倒すことだけでなく、自分が倒されたときに怪我をしないことも、とても大切です」
そう言うと、イスズはその場で身体を低くした。
「まずは、前受け身からです」
イスズは少し前へ身体を傾け、そのまま身体を前へ倒していく。両腕を伸ばし、次の瞬間、前腕部分で床を打った。前腕で衝撃を受け、その力を分散させる。
「前へ倒れたときは、手のひらだけで身体を支えようとしてはいけません。腕全体を使って衝撃を受け止め、身体に伝わる力を分散させます。腕だけで止めるのではなく、身体全体で衝撃を逃がすことが大切です」
イスズは立ち上がると、もう一度ゆっくりと同じ動きを見せた。
「では、次は後ろ受け身です」
そう言って身体の向きを変えると、イスズはゆっくりと後ろへ身体を倒していった。顎を引いて頭を守り、背中を丸める。そして、両腕を左右へ広げ、床へ打ちつけた。
「後ろへ倒れるときは、まず後頭部を床にぶつけないことが大切です。顎を引いて、頭を守ってください。そして、こうして両腕で床を叩くことで、倒れたときの衝撃を分散させます。背中だけで衝撃を受けるのではなく、腕も使って衝撃を分散させるのです」
そのまま身体を起こし、イスズはすぐに立ち上がった。
その動きの途中で、スカートの裾がわずかに揺れ、足首から膝あたりまでが一瞬だけ見えた。
すぐそばで見ていたストリーガも気づいたが、何事もなかったかのように視線を戻す。
一方、正面にいたレオーネは、そうはいかなかった。
「……」
目の前で突然見えたイスズの脚に、思わず目を見開く。普段のイスズは普通のスカート姿で授業をしている。けれど、これほど身体を大きく動かすことはない。そのため、今まで気にしたことのなかった部分まで目に入ってしまった。
レオーネはどう反応すればいいのか分からず、その場で固まってしまう。
「レオーネ様? どうしましたか?」
イスズが不思議そうに声を掛けた。
「は、はい! い、いえ! なんでもありません!」
明らかに様子がおかしい。けれど、イスズは少し首を傾げただけで、それ以上は気に留めなかった。イスズは後ろ受け身の動きをゆっくりと繰り返した。
「では、もう一度説明しますね。後ろへ倒れたときも、ただ身体を丸めればいいというわけではありません。頭を守り、腕で衝撃を分散させ、できるだけ身体への負担を減らすことが大切です。そして、受け身を取ったあとに、すぐ立ち上がれるようにしておきます」
レオーネは真剣な表情でイスズの動きを追っていた。
「では、レオーネ様もやってみましょうか」
「……はい!」
レオーネは返事をすると、教えられた通りに顎を引き、身体を丸めながらゆっくりと後ろへ倒れていく。
「そうです。上手ですよ」
イスズに声を掛けられ、レオーネは少しだけ安心した。
「ありがとうございます」
一通り後ろ受け身を確認すると、イスズは立ち上がり、少し距離を取った。
イスズは少し腰を落とし、片足を前へ踏み出した。
「そして、もう一つ。前方回転受け身です。前へ倒れたとき、その勢いを利用して身体を丸め、前方へ回転します」
踏み出した足へ体重を移し、身体を丸める。そのまま肩から背中へ滑らかに身体を転がし、勢いを逃がしながら立ち上がった。
「このように、身体を丸くして回転することで、倒れる勢いを一か所に受けず、そのまま前へ逃がすことができます」
レオーネは今度こそ、真剣な表情でイスズの動きを追っていた。
後ろ受け身のときには少し動揺してしまったが、これは武術の授業だ。しっかり覚えなければならない。
そう思い直し、イスズの足の運びや身体の丸め方、立ち上がるまでの動きを一つ一つ目で追っていく。
「最初は無理に速く回る必要はありません。身体を丸めて、頭を守りながら、滑らかに転がることを意識してください」
「はい」
レオーネは頷いた。
イスズは、もう一度前方回転受け身を見せた。踏み込み、身体を丸め、前方へ回転する。その瞬間、スカートの裾がふわりと揺れ、膝のあたりと太腿の一部が一瞬だけ見えた。
「……!」
レオーネの思考が止まった。
さっきは一瞬だった。だから、気のせいだと思っていた。けれど、今度ははっきりと目に入ってしまった。
「…………」
イスズは何も気にせず、そのまま立ち上がる。
「この動きは、最初はゆっくりで構いません。無理に勢いをつける必要はありませんから――」
「……」
レオーネは、返事すらできなかった。
さっきまで真剣に追っていたイスズの身体の動きが、頭の中からすっかり抜け落ちている。イスズはそんなレオーネの様子にも気づかず、さらに説明を続けようとした。
そのときだった。
「……あれ?」
ストリーガがレオーネの顔を見て、眉を上げた。レオーネの鼻から、一筋の赤いものが流れている。
「レオーネ様?」
「……え?」
呼ばれて、レオーネはようやく気づいた。慌てて鼻に手を当てると、指先に赤いものが付いている。
「ええっ!?」
イスズも驚いて振り返った。
「レオーネ様!? どうしたのでしょう? どこかぶつけましたか?」
「い、いえ! どこにもぶつけていません!」
レオーネが慌てて答えるより早く、トレミーが駆け寄った。
「レオーネ様、じっとしていてください」
トレミーは懐からハンカチを取り出すと、流れている鼻血を手早く拭った。けれど、それだけでは止まりそうにない。そこでハンカチを細く裂き、丸めると、レオーネの鼻にそっと詰めた。
「これで少し押さえておきましょう」
「は、はい……」
レオーネは顔を真っ赤にしながら、言われるままにしている。
イスズは心配そうにその様子を見つめていた。
「本当に大丈夫ですか? どこか痛いところはありませんか?」
すると、トレミーがにっこりと笑った。
「大丈夫ですよ、イスズ様。ただ、少しのぼせただけですから」
「のぼせたのですか?」
「はい。身体を動かしたうえに、少し熱がこもったのでしょう」
トレミーは何食わぬ顔で答えながら、レオーネの鼻の様子を確認する。
「しばらくこうしていれば、すぐに治まると思います」
「そうですか……」
イスズはまだ心配そうだったが、トレミーの言葉を聞いて少しだけ安心したように頷いた。
「それなら、無理をさせないほうがよさそうですね。今日はここまでにしましょう」
「はい……」
レオーネは鼻を押さえながら、小さく頷いた。
けれど、その表情には、ほんの少しだけ名残惜しそうな色が浮かんでいた。
それを見たトレミーは、そっと口元を手で隠す。
「ふふっ……」
「トレミー?」
「いえ、何でもありません」トレミーは笑みを隠すように顔を背けた。
その様子を見ていたストリーガは、何とも言えない表情でレオーネを見つめていたが、結局、何も言わなかった。
「では、服装を整えてから、また続きをしましょう」
イスズがそう言うと、レオーネは「はい」と返事をした。
それでも、しばらくの間、その顔の赤みは消えなかった。




