第28話 人間の体について03
「……」
ストリーガは、しばらく言葉を失っていた。イスズはそんな彼を気にする様子もなく、静かに続けた。
「では、ここまでのお話を踏まえて、もう少しだけ人体についてお話ししましょう」
そうしてイスズは、今度は人間の身体の仕組みについて、一つずつ説明していった。
人間の身体は、骨や筋肉、血だけでできているわけではないこと。
身体の大部分は水分でできており、その水分が不足すれば身体は正常に働かなくなること。
呼吸によって取り込んだ空気もまた、身体が生きていくために必要なものであること。
骨は身体を支え、筋肉はその骨を動かして身体を動かしていること。
さらに、身体には神経が張り巡らされており、脳からの命令を身体へ伝えたり、身体で感じたことを脳へ伝えたりしていること。
そして、人間の身体そのものを形作っているのが、目には見えないほど小さな「細胞」というものだということ。
食べ物から得た栄養が消化され、身体を動かすための力や、身体を作る材料になることまで――。
「して、もう一つ。これは、とても重要なことなので、よく覚えておいてください」
イスズはそう言うと、腕を指先で示した。
「血が身体中を巡るための血の管は、太いものから細いものへと枝分かれしながら、全身に張り巡らされています。ちょうど、大きな木の枝が何本にも分かれ、最後には葉へと至るように、血の管も身体の隅々まで伸びているのです」
三人は黙ってイスズの話を聞いていた。
「そのため、皮膚のどこかを傷つければ、すぐに血が出ます。皮膚のすぐ下にも、細い血の管が通っているからです」
そこでイスズは一度言葉を切り、三人の顔を見回した。
「これは、これから先も関わってくる大切なことです。ですから、しっかり覚えておいてください」
イスズは一つひとつ、レオーネにも分かるように言葉を選びながら説明していった。どれも簡単な説明ではあったが、三人にとっては初めて聞く話ばかりだった。
レオーネはもちろん、トレミーもストリーガも、いつしか口を挟むことなく、真剣な表情でイスズの話を聞いていた。
「ちなみに、ノートを取ったりする必要はありませんよ」
レオーネが目を瞬かせる。「せっかく教わったのに、ですか?」
イスズは微笑んだ。
「今日のお話は、すべてを覚える必要もありません。ただ、こういう仕組みが人間の身体にはあるのだと、なんとなく理解しておいてください」
そして、少しだけ間を置いて続ける。
「それだけでも、いつか皆さんの人生の中で、何かの役に立つかもしれませんから」
三人は黙ってイスズを見つめた。イスズは、少し困ったように笑った。
「それに――これは、かなり異端な学説であり、知識でもあります。今の世の中では、私が何を話しているのか理解してもらえない人のほうが多いでしょう。話したところで、信じてもらえないかもしれません」
そう言って、イスズは肩をすくめる。
「だから、最初に他言無用とお願いしたのです」
そして最後に、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。
「皆さんが今日知ったことは、皆さんの中だけにしまっておいてくださいね。私が今日お話ししたことが本当に正しいのかどうかは、これからの人生で、皆さん自身がその真実を見極めてください」
その言葉に、レオーネたちは静かに頷いた。
「さて――ここまでが、人間の身体についてのお話です」
イスズはそう言って、レオーネを見つめた。
「血が身体の中を巡っていること。骨が身体を支えていること。筋肉が骨を動かしていること。そして、それらが細胞という小さなものの集まりによって成り立っていること」
レオーネは、今日教わったことを思い返すように頷いた。
「では、レオーネ様。これらを、何のために覚えてもらったと思いますか?」
「……え?」レオーネが首を傾げる。人体について知ることが大切なのは分かる。だが、それが何とどう関係するのかまでは分からない。
イスズは、そんなレオーネを見て微笑んだ。
「先ほど、皆さんの人生の中で、何かの役に立つかもしれない、と言いましたよね。実は、この知識があると、とても深く関係してくるものがあるのです」
イスズは、そこで一度言葉を切った。
「――魔法です」
「魔法?」レオーネが目を丸くする。
「はい。人間の身体の仕組みを理解していれば、魔法はもっと効率よく使えるのです」
「効率よく……?」
「今まで教わってきた魔法とは、少し違います。魔力をただ身体から外へ放出するのではありません。身体の中を流れる血や、筋肉、骨の働きを理解し、それに合わせて魔力を巡らせるのです」
「それだけで……ですか?」
イスズは頷いた。
「正しく扱えば、今までより、はるかに少ない魔力で同じ魔法を使えるようになります」
その言葉に、レオーネの表情が変わった。
「……どれくらい?」
イスズは少しだけ間を置いてから、答えた。
「今までの、およそ十分の一程度になると思います」
「……十分の一?」
レオーネは、思わず聞き返した。その隣では、ストリーガも驚愕の表情を浮かべていた。
イスズはそんな二人を見ながら、何気ない調子で続ける。
「確か、レオーネ様の魔力は平民並みだと聞いています。普通の貴族の半分以下。高位貴族の平均から見れば、四分の一以下だとも」
その言葉に、レオーネは顔を伏せた。
自分でも、それは分かっている。魔法の授業でも、周囲の子供たちに比べて明らかに使える魔力が少ない。それは、レオーネにとって長い間、気にしていることだった。
しかし、イスズはそんなレオーネを気にする様子もなく、穏やかに続けた。
「でも、この人体の構造を知り、魔力を正しく扱えるようになれば、必要な魔力は十分の一程度になるのです。そうなれば、レオーネ様は、高位貴族の平均を大きく上回るほどの魔法を使えることになります」
レオーネが顔を上げた。イスズは、少しだけいたずらっぽく笑った。
「ここだけの話ですが……もしかすると、皇族を凌駕するほどの力を持つようになるかもしれませんよ」
「……皇族を?」レオーネが呟く。
ストリーガは、ますます険しい表情になっていた。
だが、イスズはさらに声を落とす。
「それと、これも内緒のお話なのですが、レオーネ様は風の魔法がお使いになれると聞いています。そして、このインプレッサ伯爵家は火の魔法に優れているそうですね」
「はい」
「ですが、風の魔法でも火の魔法を使うことはできます。もちろん、水の魔法も使えますし……もしかすると、雷の魔法も使えるかもしれませんよ」
「雷の魔法……?」
ストリーガの表情から、先ほどまでの驚きが消えた。代わって浮かんだのは、明らかな警戒だった。
雷魔法。
それは帝国の歴史書や魔法学の文献にすら、ほとんど記されていない。実在したのか、それとも古い伝承にすぎないのか。それすら定かではない、まさに伝説の魔法だった。
「……レオーネ様……申し訳ありません。イスズ殿も申し訳ない。ですが、ここから先は聞かせないでほしい」
ストリーガは、静かに手を上げた。
レオーネが驚いたようにストリーガを見る。
「どうしてですか?」
ストリーガは少し困ったようにレオーネを見つめ、それからイスズへ視線を戻した。
「私はバルカン帝国に仕える騎士です。インプレッサ伯爵様にお仕えする身ではありますが、皇帝陛下から叙任され、騎士となった者でもあります」
ストリーガは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「もし今のお話が事実なら、レオーネ様の魔力や、この人体についての知識は、単なる一人の少年の教育という範囲を超えている。ましてや、皇族を凌ぐ可能性があり、伝説とされる雷の魔法まで使えるとなれば……それを知ってしまえば、私は、帝国に仕える騎士として、何らかの判断を迫られることになるでしょう」
レオーネは黙ってストリーガを見つめていた。
「知ってしまえば、私はそれを伯爵様や帝国へ報告せざるを得なくなる。ですが、私は先ほど、この授業の内容を秘密にすると剣に誓いました。その私が、知った情報を帝国へ持ち帰るわけにはいきません」
ストリーガは、腰に差した剣へ手を添えた。
「だからこそ、これ以上は聞かないことにします。知らなければ、この秘密を守ることができるのです」
そして、イスズへ向き直った。
「ですから、ここで退出させていただきます」
「ストリーガ……」レオーネが声をかける。
「授業が終わるまで、私は扉の外で見張っております。誰にも邪魔はさせません」
そう言って、ストリーガは一礼した。
「どうか、続きをお聞きください。私は何も聞いていないことにいたします」
それだけ告げると、ストリーガは静かに部屋を出ていった。
閉じた扉を見つめながら、レオーネはしばらく何も言えなかった。
自分のために、知らないという選択をした。
それが、ストリーガなりの忠誠なのだと、レオーネにも分かった。




