第27話 人間の体について02
イスズは続ける。
「そして、水分も同じです。人間は大量の水分を失えば、体の働きそのものが維持できなくなります。汗を大量にかいたとき、激しい下痢や嘔吐が続いたとき、あるいは水を飲めない状態が続いたときなどです」
「水を失うだけで……ですか?」
レオーネが首を傾げる。
「はい。人間の体は、それほど水を頼りにしているのですよ」
イスズは水差しから杯へ水を注いだ。
「だから、傷を負ったときに血を止めること。そして、必要なら水分を補うこと。それだけでも、人の命を救える場合が多いのです」
三人とも黙って聞いていた。やがて、イスズの声が少し低くなる。
「さらに、もう一つ重要なことがあります。傷口から、目には見えない小さな生き物が入り込むことがあります」
「生き物ですか?」
レオーネが首を傾げる。
「はい。前にもお話ししましたが、あまりにも小さいので、普通の目では見ることができません。そして、それが体の中で増えると、傷が腫れたり、膿んだり、熱が出たりすることがあります」
ストリーガの眉が動いた。「……だから、傷口が腐ることがある、と?」
「その可能性があります。だからこそ、怪我をしたら傷口をできるだけ清潔にして、血を止め、清潔な布などで覆う。これは、とても大切なことなのです」
「……魔法で治せば、それで終わりではないのですね」
トレミーが小さく呟く。
「その通りです。魔法は素晴らしいものです。けれど、魔法があるからといって、人間の体そのものを知る必要がなくなるわけではありません」
少し間を置いて、イスズはストリーガへ目を向けた。
「たとえば――首への強い圧迫によって、人が突然意識を失うことがあります」
ストリーガの顔が険しくなる。
「模擬訓練などで、見たことがあるのではありませんか?」
「……ある」
確かに、首の周囲を強く締められた者が、突然力を失って倒れることがある。彼自身も、それは単純に息ができなくなるからだと思っていた。
「人間の首には、脳へ血を送る大切な血の管があります。そこを強く押さえると、脳に血が届かなくなり、意識を失うことがあるのです。ですから、人間の体の仕組みを知ることは、とても大切なのですよ」
イスズはストリーガを見て、少しだけ笑った。
「たとえば――レオーネ様のような子供でも、こうした知識を知っていれば、大人を危険な目に遭わせてしまうことがあります」
「……」
レオーネが黙ってイスズを見る。
「もちろん、これは人を傷つけるための知識ではありません。自分や他人の命を救うためにも使える、とても大切な知識です。ですが、使い方を間違えれば、人を傷つけることもできてしまう」
イスズの表情から、先ほどまでの柔らかさが少しだけ消える。
「だから、今日の授業を最初に『他言無用』と言ったのです」
その言葉に、ストリーガは何も言えなかった。
「私は、人体の知識そのものが悪いと言っているのではありません。むしろ逆です。本来ならば、これはすべての人が知っておくべき知識だと思っています」
レオーネへ視線を戻し、イスズは続ける。
「水分が失われれば危険になる。大量の血を失えば命に関わる。傷口を放置すれば、目に見えないものが原因で病気になることがある。そうしたことを知っているだけで、救える命はきっとあります。ですが、この世界では、まだこうした知識を知っている人はほとんどいません。だから今は、誰にでも教えていい知識ではないのです」
しばしの沈黙が流れた。ストリーガは、もはや反論しなかった。
帝国学院で学んだ知識が間違っていたわけではない。ただ、自分たちが知らなかっただけなのだ。
魔法があまりにも便利だったから。治癒魔法やポーションという答えが先に存在していたから。
その奇跡が、いったい何によって成り立っているのか。誰も、その根本まで調べようとはしなかった。
イスズが語っているのは、魔法そのものではない。魔法がなくても存在する、人間の体というものの仕組みだった。
しばらくして、ストリーガが小さく息を吐く。
「……なるほど」
それ以上の言葉は出てこなかった。イスズはそんなストリーガを見て、ほんの少し微笑んだ。
「ね? レオーネ様」
「……はい」
レオーネは真剣な顔で頷いた。今日の授業で知ったことは、あまりにも多かった。
人間の体は、半分以上が水分でできている。血が流れている。目には見えない細胞が、数え切れないほど集まっている。
そして、その体は、自分が思っていたよりずっと繊細で、ずっと複雑だった。
「……では」
ストリーガが、ふと口を開いた。
「……イスズ殿は、人を簡単に殺す方法を、いくつもご存じなのですか?」
「ええ」
イスズはあっさりと頷いた。
その答えに、ストリーガは少し考えてから、恐る恐る尋ねる。
「では……イスズ殿のような女性でも、例えば、私のような大男を簡単に死なせてしまう方法もあるのですか?」
イスズは一瞬だけストリーガを見た。それから、何でもないことのように指を一本立てる。
「一つ」
二本目の指が立つ。
「二つ」
さらに、三本目。
「……四、五、六、七、八、九……」
ストリーガの顔が引きつった。イスズはそこで指を止め、小さく頷く。
「先ほどお話しした首の血の管。心臓。太腿を通る太い血管……身体には、傷つければ命に関わる場所がいくつもあります」
ストリーガの表情がわずかに強張る。
「それだけではありません。心臓――ええと、この胸のあたりですね。ここに強い衝撃が加われば、心臓の働きが乱れて、命に関わることもあります。それに、草や魚などから得られる毒もありますし、煙や火によって呼吸ができなくなれば、それだけでも命に関わります。武器がなくても、人は簡単に命を失うことがあるのです」
イスズは指を下ろした。
「もちろん、今ここで詳しい方法をお話しするつもりはありません。ですが、だからこそ知っておいてほしいのです。人体の仕組みを知るということは、人を傷つける方法を知ることだけではありません」
「……」
「自分の身体のどこが危険なのか。何が起きれば命に関わるのか。そして、誰かが傷ついたとき、どうすれば助けられるのか。それを知ることでもあるのです」
イスズは三人を見渡した。
「知識は、使い方次第で人を殺すこともできます。ですが、同じ知識で、人を救うこともできるのですよ」
イスズは三人を静かに見渡した。
「だからこそ、正しく知ってほしいのです。今日のお話が、皆さん自身と、大切な人の命を守るための知識になればと思っています」
そう言って、イスズはレオーネへ優しく微笑んだ。
「今日のお話は、そのための最初の一歩です」




