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学院にも行けなかった貧乏騎士爵令嬢、家庭教師として育てた伯爵家長男に人生で初めて愛されました  作者: 太童好喜


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第26話 人間の体について01

今日は、体についての授業だった。


いつものように、レオーネ、トレミー、ストリーガの三人が揃ったところで、イスズが授業を始める前に静かに口を開いた。


いつもとは違う真剣な声だった。


「今からの授業は、他言無用です。もしも、それを守れない方がいるのでしたら、今のうちに外へ出てください」


レオーネも、トレミーも、ストリーガも困惑した顔を見合わせる。


いったい、これから何を教えるつもりなのか。三人とも動かないのを確認すると、イスズは念を押すように続けた。


「三人とも外へ出ないということは、これからお話しすることを誰にも話してはいけない。それに同意したと考えてよろしいのですね?」


レオーネたちは顔を見合わせたあと、それぞれ頷いた。


イスズは三人を見回した。


「ありがとうございます。ですが、念のためにもう一つだけ。これからお話しすることは、かなり重要な内容になります。ですので、口約束だけではなく、剣への誓いを立てていただいてもよろしいでしょうか?」


「剣への誓い……?」


レオーネが首を傾げる。


「はい。ストリーガ様の剣をお借りします」


イスズがストリーガを見ると、彼は少し考えたあと、腰の剣へ手を添えた。


「分かった」


ストリーガは剣を鞘から抜くと、刃を上へ向けて両手で支えた。


「私からでよいか?」


「お願いします」


ストリーガは静かに剣を見つめる。


「我が剣と騎士の名にかけ、この場で知り得たことを、許しなく他者へ漏らさぬことを誓う」


そう言って、ゆっくりと剣を鞘へ戻した。


イスズは頷くと、レオーネへ視線を向ける。


「レオーネ様も、よろしいですか?」


「はい」レオーネはストリーガから剣を受け取ると、少し緊張した面持ちで両手に持った。


「僕も……この場で知ったことを、誰にも話さないと誓います」


「はい。ありがとうございます」


続いて、トレミーも剣を受け取った。


「私も、この場で知ったことを、決して他の方へ漏らさないと誓います」


三人の誓いを聞き終えると、イスズは満足そうに頷いた。


「ありがとうございます。それでは、始めましょう」


イスズはいつもの穏やかな笑顔に戻り、授業を始めた。そして、最初の質問は唐突だった。


「レオーネ様。人の体は、何でできていると思いますか?」


突然の質問に、レオーネは少し考え込んだ。やがて、思いついたものを順番に口にする。


「えっと……骨と、肉と、血?」


イスズは、ふふふ、と笑った。


「確かに、それも正解です」


そう言ってから、少し楽しそうに続ける。


「私の知っている本には、女の子は『お砂糖と香辛料と、すてきな何か』でできていて、男の子は『カエルとカタツムリと子犬のしっぽ』でできている、と書かれているものもありました」


「……え?」


レオーネの顔が引きつった。トレミーも目を瞬かせ、ストリーガまで怪訝な顔をする。


そんな三人を見て、イスズはくすりと笑った。


「うふふ。それは絵本でのお話です」


「……冗談だったのですか」


レオーネは、ようやくイスズにからかわれたのだと気づいたらしい。


「はい。ですが、今からお話しすることは冗談ではありません」


イスズは表情を改めた。


「人間の体は、大人であれば半分以上が水分でできています」


レオーネが驚いたような顔をした。


「人間の体は、骨や筋肉、血、内臓などからできていますが、その中には非常に多くの水分が含まれているのです」


イスズは卓上の水差しに目を向けた。


「血も、その大部分は水です。大人の体には、およそ五リットル前後の血が流れていると考えてください」


「五リットル……」


レオーネが呟く。イスズは、そばに置かれていたコップを手に取った。


「このコップが一杯で二百ミリリットルほどですから……大人の体には、このコップ二十五杯分くらいの血が流れていることになります」


「二十五杯も……?」レオーネが目を丸くする。


「はい。そして、一度に大量の血を失えば、命に関わります。たとえば、このコップ五杯分――つまり一リットルほどの血を失えば、すでに危険な状態になることがあります」


イスズはコップを五つ並べるように指で示した。


「これだけです」


「……たった、これだけ?」レオーネの顔から驚きが消えない。


「はい。もちろん体格によって違いますし、出血の量だけで決まるわけでもありません。ですが、人間の体にとって血がどれほど大切なものなのかは、覚えておいてください」


レオーネは、目の前のコップをじっと見つめた。


普段なら何気なく飲んでいる一杯の水。それと同じ大きさのコップ五杯分。それほどの血を失うだけで、人は命の危険にさらされるのだ。


「……たった五杯分の血を失っただけで、そんなに危険になるんですね」


イスズは優しく微笑んだ。


「そうですね。だからこそ、怪我をしたときに血を止めることが大切なのですよ」


後ろに控えていたトレミーも、思わず息を呑んだ。ストリーガも黙ってイスズを見ている。彼も初めて聞く話だった。


この世界では、怪我や病気を治すとき、まず魔法やポーションが頼られる。傷口に回復魔法を施せば肉は塞がり、薬を飲めば熱が下がる。


魔法があまりにも便利だからこそ、誰もが「どうやって治ったのか」より、「どうすれば治せるのか」を重視してきた。


そのため、人体そのものの仕組みを細かく調べる学問は、イスズが知る限り、十分に発達していなかった。


そして、イスズはさらに話を続けた。


「人間の体は、先日も少し説明した通り、目には見えないほど小さな『細胞』というものが集まってできています」


「細胞……」レオーネが呟く。


「そして、人間一人の体には、それが数十兆もあると言われています。およそ三十七兆個ほどです」


「三十七……兆?」レオーネは完全に言葉を失った。


「帝国の人口が仮に百万人だとしましょう。それと同じ人数の国を、三千七百万集めたくらいの数です。それほど途方もない数の細胞が、たった一人の人間の体の中に詰まっているのですよ」


レオーネの目が完全に遠くなる。さすがに想像できなかったらしい。


そのときだった。突然、ストリーガが声を上げた。レオーネがびくりと肩を震わせる。


「イスズ殿! 待て! そのような嘘を、レオーネ様に教えるなど不敬ではないか!」


ストリーガはイスズを睨んだ。


「私は帝国学院を卒業している。騎士として必要な人間の体についての知識も学んだのだ。しかし、そんな話は一度も聞いたことがない! 人間の体の半分以上が水だと? 目に見えない細胞が三十七兆もあるだと? そんなこと、俺は今まで一度も聞いたことがないぞ!」


イスズは、しばらくストリーガを見つめていた。そして、やがて穏やかに微笑む。


「なるほど。帝国学院で学ばれたストリーガ様であれば、そう思われるのも無理はありません」


「ならば――」


イスズは、静かに言葉を重ねた。


「ですが、誇り高き騎士であるあなたに、一つお伺いしたいのです」


ストリーガが眉を寄せる。


「あなたが戦場で傷ついたとき、あるいは病に倒れたとき。傷を癒やし、命を繋いできたのは何でしょうか?」


「それは……」


「回復魔法や、ポーションでしょうか?」


「……そうだ」


「そうです。この世界では、それで多くの命が救われてきました」


イスズは穏やかな口調のまま続ける。


「ですが、考えてみてください。傷口に手をかざせば傷が塞がる。薬を飲めば熱が下がる。そういう魔法や薬が当たり前に存在するこの世界で、わざわざ『な傷が塞がるのか』『なぜ熱が下がるのか』を、一から調べようとする人がどれほどいたのでしょうか」


ストリーガは答えなかった。


「必要がなければ、学問はなかなか進まないものなのです」


イスズはそう言って、少しだけ笑った。


「ストリーガ様が帝国学院で学ばれたことが間違っているのではありません。帝国学院では、必(・)要(・)と(・)さ(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)知(・)識(・)を教えているのでしょう。けれど、そこに載っていないからといって、それが存在しない証明にはならないのです。この世界では、魔法があまりにも便利だった。そのため、人々は『治す方法』を知ろうとしても、『人間の体そのものがどうなっているのか』までは、深く調べる必要がなかったのではないでしょうか?」


イスズはレオーネへ視線を向けた。


「だから私は、魔法が発動するよりずっと手前にある、人間の体そのものの仕組みを教えているのです」


そして、今度はストリーガへ目を向けた。


「一つ、お聞きします。傷ついた者が回復魔法やポーションで傷口を塞いだにもかかわらず、そのまま亡くなってしまったところを見たことはありませんか?」


ストリーガの表情がわずかに強張った。


「傷そのものを塞ぐことと、失った血を元に戻すことは、同じではないのですよ。傷口は閉じた。けれど、その人がすでに大量の血を失っていたのなら、体の中を流れる血そのものが不足している。そうなれば、たとえ傷が塞がっていても、命が危険になることがあります」


「……」ストリーガは答えなかった。騎士となった以上、戦場に立った経験がない者は少ない。


当然、ストリーガも幾度となく戦場へ赴いている。そして、思い出した。傷口は確かに回復魔法で塞がった。


それなのに、兵士の顔から血の気が引き、身体が冷たくなっていったことがある。当時は、なぜ傷が塞がったのに助からなかったのか、その理由が分からなかった。


だが――。


「……あれは、傷が治らなかったのではなく……血を失いすぎていた、ということなのか」


ストリーガが、ぽつりと呟く。イスズは静かに頷いた。


ストリーガは、これまで知らなかった「血を失う」という意味を、初めて理解した。







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