第17話 牛乳の授業03
そして、イスズは子供たちの顔を見渡すと、楽しそうに微笑んだ。
「では、次はヨーグルトとチーズを作ってみましょうか」
「ヨーグルト?」
レオーネとソルテラが、揃って首を傾げる。
その一方で、ガーラは目を見開いていた。
「イスズ殿……チーズを作るおつもりなのですか? しかし、あれは各工房が製法を秘匿しているものですぞ。まさか、作り方をご存じなのですか?」
ガーラの声には、驚きがはっきりと滲んでいた。
イスズは少し考えるように首を傾げてから答える。
「そうですね。チーズには、いろいろな作り方があります。ただ、私がこれから作るのは、長い時間をかけて熟成させるものではありません。数日ほどで食べられる、簡単なチーズです」
「……数日で、チーズができるのですか?」
ガーラは思わず聞き返した。その表情には、先ほどまでの驚きとは違う困惑が浮かんでいる。
乳を加工する職人たちが長年の経験を積み、工房ごとに製法を工夫して作るもの。それがチーズだと、ガーラは考えていた。
それを、数日ほどで作れると言う。
しかもイスズの口調は、特別な秘術を披露するというものではない。ただ、子供たちに新しい料理を教えるような、いつもと変わらない穏やかなものだった。
「イスズ殿……。それほど容易に作れるものなのですか?」
イスズはにっこりと笑った。
「実際に見ていただければ分かりますよ」
「今日は、牛乳がどんなふうに変わって、チーズになっていくのかを、みんなで観察してみましょう」
ガーラは、しばらく言葉を失った。
そして、これまで少し離れた場所から授業を見守っていた料理長は、ゆっくりとイスズのそばへ歩み寄った。
「……本日は、一歩も離れませんぞ」
その声には、先ほどまでの警戒とは別の熱が込められていた。
イスズはそんなガーラに小さく笑みを返すと、改めて子供たちの方へ向き直った。
「では、まずはヨーグルトから説明しましょうか」
イスズがそう答えると、レオーネが待ちきれないように手を挙げた。
「イスズ先生。ヨーグルトというのは、いったい何なのですか?」
「簡単に言えば、牛乳を発酵させたものです」
今度はソルテラが首を傾げた。
「はっこう? それは何ですか?」
イスズは少し考え、子供にも分かるように言葉を選んだ。
「牛乳の中には、目には見えない、とても小さな生き物がいます。乳酸菌という生き物です。その乳酸菌が牛乳の中で働くと、牛乳の味や状態が少しずつ変わっていきます」
「どう変わるのですか?」
「牛乳の中にある糖を使って働き、その代わりに酸を作るんです」
「酸を?」
「そう。酸が増えてくると、今度は牛乳の中にあるたんぱく質が固まり始めます。そうして、さらさらだった牛乳が、だんだんとろりとしてくるんです」
レオーネが牛乳の入った器を覗き込む。
「それが……ヨーグルト?」
イスズは笑って頷いた。
「そうですよ。つまり、目には見えないくらい小さな生き物が牛乳の中で働いて、牛乳をヨーグルトへ変えてくれるんです」
「すごい……そんな小さな生き物が、食べ物を変えてしまうのですか?」
ソルテラが目を丸くした。
イスズは頷いた。「ええ。これが発酵です。発酵というのは、こうした小さな生き物の働きを利用して、食べ物を別のものへ変えることなんですよ」
「ヨーグルト以外にもあるのですか?」
イスズは指を一本立てた。
「もちろんです。例えばパン。パンを膨らませるときにも、小さな生き物の力を借ります。お酒を作るときにも使いますし、チーズなどにも、こうした小さな生き物の働きが関わっています」
「パンにも……?」
レオーネが驚いたようにパンを見る。
「はい。目には見えなくても、ちゃんと働いているんですよ」
イスズはそこで少し考えるように首を傾げ、それから楽しそうに笑った。
「そうそう。キノコもそうですよ」
「キノコも?」レオーネが目を丸くする。
「ええ。キノコは、実は菌が作る大きな体のようなものなんです。普段食べている部分も、その菌の体の一部なんですよ」
「えっ……」
子供たちは一斉にキノコを想像する。
イスズはそんな反応を楽しそうに眺めながら、くすりと笑った。
「うふふ。そう考えると、ちょっと不思議でしょう? 私たちは普段から、目に見えない小さな生き物の力を、いろいろなところで借りているんですよ」
イスズはそこでまた笑った。
「それに、面白いことが一つあります」
レオーネが身を乗り出す。
「何ですか?」
「発酵と、腐ること、これは、『腐敗』というのですが、実はとてもよく似ているんです」
子供たちだけでなく、ビークロスやガーラまでイスズを見る。
「どちらも、目には見えない小さな生き物が、食べ物を変えて起こります。ただ、人間にとって美味しくなったり、食べやすくなったりする変化なら『発酵』と呼びます。逆に、食べられなくなったり、嫌な臭いや味がしたりするような変化なら『腐敗』と呼ぶんです」
「じゃあ……同じようなことなのですか?」
レオーネが驚いたように尋ねる。
「ええ。似たような仕組みで起こるんですよ。だから、面白いでしょう? 人間にとって嬉しい変化なら『発酵』。困る変化なら『腐敗』。同じように食べ物が変わっているのに、人間にとってどうなのかで呼び方が変わるんです」
「なるほど……」
ソルテラが感心したように頷く。
「小さな生き物が働いているのは同じでも、食べる人にとって嬉しいか、困るかで違う名前になるんですね」
「そういうことです」
イスズが頷く。
レオーネは、まだ不思議そうに牛乳の入った器を見つめていた。
「では、この牛乳も……乳酸菌に働いてもらえば、ヨーグルトになるのですか?」
「ええ。ちゃんと美味しいヨーグルトになりますよ」
子供たちの目が、一斉に牛乳へ向けられた。
その様子を見ていたビークロスも、思わず牛乳へ視線を落とした。
「発酵という言葉は知っていましたが……」
そこで言葉を止める。
「乳酸菌や細菌というものがいて、それが牛乳を変えているとは……初めて聞きました。それに、発酵と腐敗が、あれほど近いものだとは……」
ビークロスは驚きを隠せない様子だった。
ガーラもまた、牛乳の入った器を見つめたまま、しばらく黙っている。
ガーラはゆっくりとイスズへ顔を向けた。
「まさか、そのようなところまでご存じとは……」
イスズは少し困ったように笑った。
「そう難しいことではありませんよ」
ガーラは首を横に振った。
「いや……私には、とてもそうは思えませんな」
ビークロスも頷く。
発酵という言葉そのものは知っている。だが、その中で何が起こっているのか。なぜ牛乳がヨーグルトになり、チーズができるのか。そして、発酵と腐ることが、どこか似た仕組みで起こることまで知っている。そんな知識を、イスズがまるで当たり前のことのように語ったことに、二人は驚いていた。
イスズはそんな二人の様子を眺めながら、静かに器具を並べ始める。
「では、今度は実際に作ってみましょうか」
その言葉に、子供たちの顔がぱっと明るくなった。
すると、イスズのそばにいたジャスティが、待ちきれないとばかりにぴょんと跳ねる。
「またおいちいものが、たべれるんでしゅね!」
「ふふっ。そうですね」
ジャスティは嬉しそうに両手を広げ、期待に目を輝かせる。
その様子を見て、イスズは思わず笑みをこぼした。
※本作中の授業における説明は、子供たちにも分かりやすいよう、
複雑な仕組みや現象を簡略化して表現している場合があります。
(以下同)




