第14話 食卓02
そのまま夕食は続き、家族は食事を進めていた。しばらくした頃、ジャスティが小さな声で兄を呼ぶ。
「……ソルテラおにいしゃま」
ソルテラが顔を上げる。
「どうした?」
「おにく、たべたいでしゅ」ジャスティは自分の皿に残った、大きな肉を指差した。
「うん。いいよ」
ソルテラはそう答えると、自分の皿から食べやすい大きさに肉を切り分け、妹の皿へ置いてやった。ジャスティの琥珀色の瞳が、ぱっと明るくなる。
「ありがとうございましゅ!」
嬉しそうに笑う妹を見て、ソルテラもわずかに口元を緩めた。その様子を少し離れた席から見ていたレオーネも、思わず微笑む。
すると、ジャスティは今度はレオーネの方へ顔を向けた。
「レオーネおにいしゃま! きょうは、なにしていたのでしゅか?」
突然尋ねられ、レオーネは少しだけ考えた。普段なら、どう答えればいいのか迷ってしまうような問いだった。剣の稽古をした。勉強をした。いつもなら、それだけで終わる。
けれど今日は違った。
「今日は……イスズ先生と算数を勉強したんだよ」
その言葉を口にした瞬間、レオーネの淡い緑色の瞳が、少しだけ明るくなる。
「いすずせんせいと、さんすう?」
ジャスティはよく分からないという顔で首を傾げた。それでもレオーネは、続けようとする。
「今日はね、掛け算を――」
「ジャスティ、お食事中ですよ。お兄様たちのお話は後になさい」
そこへ、エレクトラの静かな声が入った。
「……はい」
ジャスティは素直に頷くと、再び皿へ視線を戻した。レオーネもそれ以上は話さず、肉を口へ運ぶ。食卓には、再びいつもの静けさが戻った。
だが、ソルテラはレオーネの方を見ていた。先ほどまで兄が話そうとしていたことが、気になっているらしい。しばらくして、ソルテラが小さな声で口を開いた。
「兄上……その先生は、どんな方なのですか?」
レオーネは少し驚いたように弟を見た。ソルテラはわずかに身を乗り出しており、赤い瞳には純粋な好奇心が浮かんでいる。
「イスズ先生? 面白い先生だよ」
レオーネは少し考えてから、ふっと笑った。
「面白い?」
「うん。今までの先生とは全然違うんだ。分からないことがあっても、すぐに答えを教えるんじゃないんだ。どうすれば分かるのかを、一緒に考えてくれるんだよ」
レオーネは、さらに言葉を続けた。
「覚えられないなら、別の方法を考えればいい。できないなら、できるところから始めればいいって」
ソルテラは興味深そうに聞いている。
「そんな考え方は、僕はしたことがありませんでした」
レオーネは笑った。
「僕もだよ。でも、イスズ先生に教わっていたら、勉強って嫌なことばかりじゃないんだって思えたんだ」
「兄上は、その先生の授業が好きなのですね」
「うん。好きだよ」
レオーネは迷わず頷いた。その答えは、あまりにも自然だった。
ジャスティは話の内容こそ理解できていない。それでも、二人の兄が楽しそうに話しているのが嬉しいのか、琥珀色の瞳を交互に向けながら小さく笑っていた。
「レオーネおにいさま、すごいでしゅ。さんすう、できるんでしゅね」
「え?……まあ、まだ全部できるわけじゃないけどね」
レオーネは少し照れたように笑う。
「それでも、すごいでしゅ!」
「はは……ありがとう」
その時だった。
「……レオーネ」
低い声が食卓に響いた。レオーネの肩がわずかに震える。顔を上げると、父であるレヴォーグがこちらを見ていた。
濃い赤の瞳。普段から何を考えているのか分かりにくい父の視線に、レオーネは自然と背筋を伸ばした。
「最近、家庭教師が変わったそうだな。騎士爵の娘だというが……」
「はい。とても良い先生です」
「そうか」
それだけ言うと、レヴォーグは再び食事へ視線を戻した。レオーネも、それ以上は何も言わなかった。けれど、父が自分のことを知っていたことが、少しだけ意外だった。
向かい側では、エレクトラが黙って食事を続けている。その表情は変わらない。ただ、先ほどから長男と次男が珍しく楽しそうに話していることには、当然気づいているはずだった。
しばらくして、ソルテラが再びレオーネへ顔を向ける。
「兄上、明日も、その先生と勉強をするのですか? ……僕も少し、話を聞いてみたいです」
その言葉に、レオーネは目を丸くした。
「イスズ先生の授業を?」
「はい。どんな先生なのか、少し気になります」
レオーネは、ほんの少しだけ考えた。以前なら、弟に自分の勉強の話をすることなど嫌だったかもしれない。また比べられるのではないか。自分だけができないことを知られるのではないか。そんな不安が、いつも頭の片隅にあった。
けれど今は、不思議とそう思わなかった。
「じゃあ、一緒に授業を受けてみる?」
ソルテラの顔が明るくなる。
「いいのですか?」
「うん。イスズ先生なら、きっと嫌だとは言わないと思うよ」
「ありがとうございます、兄上」
素直に礼を言う弟を見て、レオーネは小さく笑った。以前の自分なら、こんなふうに弟と話すことさえ避けていたかもしれない。
ソルテラは、自分を追い落とそうとしているわけではない。頭では分かっていたはずだった。それでも、弟が優秀であればあるほど、自分との差ばかりが気になった。勉強でも剣でも敵わない。火の魔法まで授かった弟を見ていると、自分には何もないように思えてしまう。だからこそ、レオーネの方から勝手に距離を置いていたのだ。
だが、今は少し違った。
レオーネは、その後もイスズの授業について楽しそうに話していた。今までなら自分から口にすることすらなかった勉強の話を、弟に伝えることが楽しいらしい。
ソルテラも興味深そうに耳を傾けている。ジャスティは話の内容こそ分からないものの、二人の兄が楽しそうにしていることが嬉しいのか、琥珀色の瞳を二人へ向けながら小さく笑っていた。
食卓には、いつもとは違う空気が流れていた。長男と次男がこうして楽しそうに話している。それだけのことだったが、この家では珍しいことだった。
エレクトラは、黙って食事を続けていた。一方のレヴォーグは、珍しく楽しそうに言葉を交わす子供たちの様子を、静かに見守っていた。
少し前まで、レオーネは何かにつけて自信を失っていた。弟と比べられることを恐れ、自分には何もないと思い込んでいた。そんな長男が、今は違う。自分から話し、楽しそうに笑い、弟と自然に言葉を交わしている。
それが家庭教師のおかげなのか、それとも単なる一時的な変化なのか。まだ判断するには早い。
レヴォーグは、すぐに結論を出すつもりはなかった。ただ、この変化がこれからも続くのか。それだけを静かに見ていけばいい。
食事を終えるまでのわずかな時間、レオーネは久しぶりに家族の中で自然な笑顔を見せていた。食卓の向こうで楽しそうに話す長男の姿を、レヴォーグは濃い赤の瞳で静かに見つめていた。




