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学院にも行けなかった貧乏騎士爵令嬢、家庭教師として育てた伯爵家長男に人生で初めて愛されました  作者: 太童好喜


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第12話 掛け算の授業02

しばらく休憩を挟んだ後、再び授業が始まった。


先ほどまでの授業で、レオーネはすっかり算数に対する見方を変えてしまったらしい。


以前なら、算数の授業と聞いただけで表情を曇らせていたというのに、今では黒板とイスズの顔を交互に見ながら、次に何を教えてくれるのかと待ち構えている。


そんなレオーネの様子を見て、イスズは嬉しそうに微笑んだ。


「では、今度は少し大きな数字を使ってみましょうか」


そう言って、イスズは黒板へ大きく数字を書いた。


『五百四十三 × 三』


「レオーネ様。これを、掛け算を使わずに計算できますか?」


「えっ……?」


レオーネは黒板を見つめた。


「五百四十三を三倍……ですか?……できません。そんな大きな数字の掛け算なんて、僕には無理です」


レオーネが困ったように首を横へ振ると、イスズは楽しそうに笑った。


「大丈夫ですよ。これは、難しい掛け算を覚えていなくても、ちょっとした足し算ができれば答えを出せます」


イスズは黒板の数字を指した。


「では、まず五百の『五』の部分を見てください」


そう言って「五」の下に、縦線を五本引いた。続いて「四」の下には四本、「三」の下には三本の縦線を引く。


5 4 3

│││││ ││││ │││


そして今度は、それぞれの縦線と交わるように、横線を三本ずつ引いていく。

─────

─────

─────


黒板には、線と線が交わった場所がいくつもできた。

┼┼┼┼┼─┼┼┼┼─┼┼┼

┼┼┼┼┼─┼┼┼┼─┼┼┼

┼┼┼┼┼─┼┼┼┼─┼┼┼


レオーネは目を丸くして、それを覗き込む。


イスズは左側を指した。

「では、この交わったところを数えてみましょう。五本の縦線と三本の横線ですから、交わる場所は十五個あります」


次に中央を指す。「四本と三本なら十二個」


そして右側。


「三本と三本なら九個です」「十五、十二、九……」


レオーネが呟く。イスズはその数字を黒板へ書き込んだ。


十五(五 × 三 = 十五)

十二(四 × 三 = 十二)

九(三 × 三 = 九)


イスズは九のところを指した。


「ここからが大事ですよ。まず一の位は九です」


次に十二を指す。


「十二は十と二に分けられますから、二を十の位へ置いて、十のほうは一つ上へ繰り上げます」


そして十五を指した。


「十五に、さっき繰り上がった一を足すと十六。ですから、百の位は六になり、さらに一つ繰り上がります」


最後に千の位へ一を書き入れる。


「そして千の位が一。つまり――」


イスズは答えを大きく書いた。


『五百四十三 × 三 = 千六百二十九』


「千六百二十九です」


「……!」


レオーネは、しばらく黒板を見つめたまま固まっていた。


「線の交わったところを数えて、それを足しただけ……? それだけで、こんな大きな掛け算が……?」


「そうです」


「ええ。もちろん、普通の筆算を覚えているなら、そのほうが早い場合もあります。でも、今の方法を知っていれば、掛け算そのものを知らなくても、答えへ辿り着けます」


隣で見ていたトレミーも、思わず黒板へ身を乗り出していた。


まさか、線の本数と交点を数えるだけで、四桁の答えまで求められるとは思っていなかったのだ。


「……こんな方法があるんですね」


「算数には、こういう考え方もあるんですよ」


イスズはそう言うと、今度は別の数字を書いた。


-----------------

七 × 九

-----------------


「では、これはどうでしょう?」


レオーネは先ほどの方法を思い出そうとしたが、イスズはすぐに首を振った。


「今度は、線を使わなくてもできますよ」


「……?」


「七を十個集めたら、いくつですか?」


「七十です」


「では、七を一つ減らしたら?」


「六十三……あっ!」


レオーネの顔がぱっと明るくなる。


「七掛ける九は、七掛ける十から七を引けばいいんですね!」


「その通りです」


イスズは続けて黒板へ書いた。


-----------------

七 × 九

七 × 十 = 七十

七十 − 七 = 六十三

-----------------


「九の段は、十倍した数字から元の数字を引けば簡単に求められます。八掛ける九なら八十から八を引いて七十二。六掛ける九なら六十から六を引いて五十四です」


「……九の段が、こんなに簡単になるなんて」


レオーネは感心したように呟いた。イスズはそのまま次の問題を書いた。


-----------------

十二 × 五

-----------------


「これはどうしましょう?」


レオーネは少し考えた。


「十二を五回足す……?」


「もちろん、それでも正解です。でも、もっと簡単にできます」


イスズは十二を半分にした。


「十二を半分にすると六ですね」


「はい」


「そして六を十倍すると?」


「六十……」


「つまり、十二掛ける五は、六掛ける十と同じ六十です」


-----------------

十二 × 五

六 × 十

六十

-----------------


レオーネは目を輝かせた。


「五を掛けるより、十を掛けるほうが簡単だから、先に半分にしたんですね!」


「そういうことです。計算しにくいものを、計算しやすい形へ変えてしまえばいいんですよ」


「なるほど……!」


イスズはさらに黒板へ数字を書き足した。


-----------------

十三 × 七

-----------------


「これも、いきなり十三掛ける七と考えなくていいんです。十三を十と三に分けましょう」


そして、

-----------------

十三 × 七

= 十 × 七 + 三 × 七

= 七十 + 二十一

= 九十一

-----------------

と書いた。


「大きな数字でも、知っているところまで分解してしまえばいいんです。十三は十と三。二十三なら二十と三。五十七なら五十と七。分けて、それぞれを計算してから足せばいいんですよ」


「……だったら、大きな数字でも怖くないですね」


「ええ」


イスズは頷いた。


「もう一つ、こんな方法もあります」


今度は、

-----------------

九十七 × 六

-----------------

と書いた。


「九十七は、百に近いですね」


「はい」


「だったら、百掛ける六を先に考えます」


-----------------

百 × 六 = 六百

-----------------


「でも、九十七は百より三少ない。だから、三掛ける六を引けばいい」


-----------------

三 × 六 = 十八

-----------------

六百 − 十八 = 五百八十二

-----------------


「ですから、九十七掛ける六は五百八十二です」


レオーネは黒板を見つめながら、何度も頷いた。


「百を使って考えたほうが簡単だから……そこから足りない分を引いたんですね」


「その通りです」


イスズはチョークを置き、レオーネを振り返った。


「算数は、答えそのものは一つです。でも、そこへ辿り着く方法まで一つとは限らないんですよ」


レオーネは黙ってイスズの言葉を聞いている。


「他の先生方が教えてくださった掛け算の方法も、もちろん正しいです。公式や決まった計算方法を覚えておけば、早く、確実に答えを出せますからね。でも、人の考え方は一つではありません。十倍してから引いてもいい。数字を分けてもいい。大きな数字を小さな数字に変えてもいい。線を引いて、交わったところを数えてもいいんです」


イスズは黒板へ目を向けた。そこには、いくつもの計算方法が並んでいる。


「大切なのは、分からなくなった時に『できない』で止まらないことです。知っている計算まで戻って、そこからどうすれば答えへ近づけるのかを考えるんです」


そして、レオーネへ微笑みかけた。


「要するに、考え方次第で、計算はいくらでも簡単にできるんですよ」


レオーネはしばらく黙っていた。やがて、黒板に並ぶ数字を見ながら、ぽつりと呟く。


「……算数って、面白いんですね」


「はい。面白いですよ」


イスズが笑う。


するとレオーネは、先ほどまでとはまるで違う顔で黒板へ向き直った。


「先生、次は僕がやってみたいです!」


「もちろんです。では、これはどうでしょう?」


イスズが新しい問題を書く。


レオーネは嬉しそうに答えを考え始めた。


その隣では、トレミーも黒板を眺めながら、すっかり授業に引き込まれていた。これまで算数とは、決められた方法を覚え、決められた手順で答えを出すものだと思っていた。それなのに、同じ答えへ辿り着くために、これほど多くの考え方があるとは知らなかった。


一方、部屋の隅で腕を組んでいたストリーガだけは、どこか納得のいかない顔をしていた。


「……答えが出せるなら、それでよいのではないか」


小さく呟いた声に、トレミーがちらりと視線を向ける。


「どういう意味ですか?」


「掛け算を覚えているなら、そのほうが早い。わざわざ線を引いたり、数字を分解したりする必要などないだろう」


ストリーガは黒板を見ながら続けた。


「計算なんてものは、正しい答えを早く出せれば、それで十分ではないのか」


トレミーは何も答えなかった。確かに、それも一理ある。


けれど、黒板の前で楽しそうに問題へ取り組んでいるレオーネを見ると、それだけではないようにも思えた。


以前のレオーネなら、数字が並んだだけで顔を曇らせていた。


それが今は、答えを出すことそのものを楽しみ、どうすれば答えに辿り着けるのかを、自分から考えようとしている。


イスズは、そんなレオーネを嬉しそうに見守りながら、次の問題を黒板へ書き始めた。


「では、次は少し難しくしてみましょうか」


「はい!」


レオーネは嬉しそうに黒板へ向き直った。


もう、算数の授業が始まることを怖がってはいなかった。



※本場面の数学的説明について。

イスズはレオーネに「掛け算とは何か」を感覚的に理解してもらうため、複数のアプローチを用いて説明しています。

そのため、ここでの説明は厳密な数学的定義や証明を目的としたものではなく、あくまで初学者向けの理解を助けるための説明です。

数学的な厳密性よりも、作中におけるレオーネの理解しやすさを優先しています。

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