66. 竜の呪いの終焉
「ウリス、エヴ、デルシャ、リ・ヴァース……」
エアナのハンドルを握りしめた両手の感覚がなくなる程に力を込めて、ミス・キンセラ竜の頭上からわたしは叫んだ。
――じっちゃん。じっちゃん、……じっちゃん! わたしとベイトリーシュを、助けたって!
巨大な竜がぶるる、と頭を振った。自由になった機会をついて、ベイトリーシュに炎を浴びせようとしている。ちょっとだけ上向きになったその口元から、びかっと紫の光があふれかけるのが見えた。
「ウリス、エヴ、デルシャ、リ・ヴァース!」
――けれど……けれど、こんな近くじゃベイトリーシュは……あんなにぼろぼろになったベイトリーシュが、炎の直撃を避けられるわけが……!
わかっている。全部わかっている、わたしは……救い出したはずのわたしのお姫様を、なくすことになる。
ベイトリーシュは再び、がしっと竜の鼻づらをつかんだらしい。そのまま、紫の炎を吐き出そうとしている竜の口ごと、ぐーんと下の方へ引っぱって――あんな枯れ木みたいになってしまったつばさで、どうしてそうして飛べるのか――竜の頭を、その前脚の間へと向けさせた。
ど・ぶああああああ――――
「ウーニャさん、言って――!!」
炎の大轟音の中に、ベイトリーシュの絶叫が混じる。
「……なたのいる、この世……を、ほろぼさせは……たしません! ……願いを、……か! かなえ……せて……」
それでわたしは叫び返した。
「ウリス、エヴ、デルシャ、リ・ヴァ――――ス!」
紫色の業火の中に、ベイトリーシュの小さな影は揺らめいて見えなくなる。その周りにずんずんぼんぼん、白い爆発が起こってもいるが、涙の氾濫でわたしにはもう何が何なのか、判別できなかった。
けれどわたしの周りから、あの緑色の組み紐文様の帯がするりと伸びていき――それがぐるぐるりとミス・キンセラ竜の巨体に巻きついていくのだけは、よくわかった。
きひ・いいいいいいいいいん――――!
竜の叫び声。紫と緑が混じりあい、周りの青天は闇に変わる。
・ ・ ・ ・ ・
ミス・キンセラ竜にまとわりついた緑色のきらめく帯は、その全体を覆い尽くして、空中に巨大な繭を作っていた。それが小さく小さくなってゆき、やがてひとつの人間の形になる。
それがベイトリーシュでないとすぐにわかってしまったから、わたしは動けなかった。ゆっくりと降下してゆくそれを受け止めようと言う考えそのものが頭に浮かびもしなくて、わたしはおろおろと周りを見回し始める。
巨大な竜は消えた。
小さなたまご竜も、一緒に消えてしまった……。
「そんなわけ、ないよね……?」
うそだ嘘だうそ嘘、……ベイトリーシュが。
ひゅうーっ! 宙に停止したままのわたしのエアナの下を、リオネス軍機の黒い≪ケイズリーン≫がすり抜けて行った。
「ミス・キンセラあああーっっっ」
ルーフ部分を開けて、乗り出した人がゆるゆる落下してゆく人影にむけ両腕を差し出している。たぶん、あの角刈り騎士だろうな。
操縦席から腰を浮かせて、わたしは周りをぐるぐると見渡す。
――どこや、ベイトリーシュ。
「いま、迎えに……」
言いかけて、また涙が出た。
≪あなたのいるこの世界を、滅ぼさせはいたしません≫
業火の中からとぎれ途切れに届いた、あのベイトリーシュの最後の叫びが、いま頭の中にもう一度再生される。ベイトリーシュの、いつものあの優しい言い方で。
≪……わたくし、長いこと眠ってて良かったです。ウーニャさんに会えたから≫
下の方から話し声が流れてきたけど、わたしの耳にはもう意味が入ってこなかった。
「……うぐ。カクルス侯……?」
「ぬおおっ、ミス・キンセラ! 気が付かれましたかああっ」
「なぜ、わたしは人間の姿に戻っているのです?」
「えー……」
「それにどうして、あなたのマントを着ているのです。預けたわたしの軍用コートはどうしました」
「は、どさくさに紛れて取り落としまして……面目ありません。本官の汚い外套ではご不満でしょうが、あなたを裸でおいとくわけには参りませんのでッ」
「……マーチャス殿下は?」
「……山頂から、みずから滑落なさいました。空母エドナ内に、安置してあります」
「……」
「あの、えー、そのう。ぎいっ、手巾が見当たらん、つうか持っとらんッ。ミス・キンセラ、本官のくっさい胸でよければ存分にお使いくださいッ」
「カクルス侯」
「なんでしょうかあああっ、メアリさんっっ」
「ついでに、背中を見てもらってもいいですか」
「はっ、って。ぎいああああああ」
「そこに何が見えますか、カクルス侯」
「うっっつくしい背骨肩甲骨に、うっっつくしい濃いめ産毛が神々しいでありますッ」
「……呪いは?」
空の青さの中に、わたしの涙がぐずぐずと融けてゆく。ベイトリーシュは自分で自分の呪いを解いたんだ、……そういう気がした。けれどこんな解き方で?
胸の奥が痛い。ずんずん痛い、わたしはぼたぼたと涙が落ちるがままに任せた。
竜のつばさを持ったお姫様は、遠くへ行ってしまった。そこでたぶん、再び眠りについている……。どれだけわたしが頑張っても、二度と目を覚ますことのできない永遠の眠りに。
八月の空がこんなに悲しいなんて、知らなかった。
見上げる視界いっぱいに、青。
ベイトリーシュの目、たまご竜の瞳と同じ深い青。
・ ・ ・ ・ ・
「……完、おわり」




