65. たまご姫竜、巨大竜に挑む
「ふッ。諦めるのは早いですわよ、ウーニャさん!」
ベイトリーシュが、おどけたように言う。無理をしているのがわかった。わかるよ。
「わたくしも炎をもどした経験上、ちょこっとわかりますの。どば~と吐く瞬間、他のことがどうとも感じられなくなって、気が緩むのです! おしも出す時と同じですわ!」
「はああ?」
「竜が炎を吐くその瞬間に、ユーリ様の呪文をかけてみれば効くのではないかしら?」
「……」
つまり全力攻撃の時に薄くなる、防御の隙をつけと言うことか。反論の余地はない。と言うか竜だった当事者が言うのだから、そこに賭けてみるしかないのだ、たぶん。
「ようし、じゃあこのままぺたっと貼りついていって、炎を吐くときに狙おうか……」
言ったが、わたしの声は震えかけた。全身の毛穴がぎゅうとつぼまった気がする。竜はどこまで行く気なのか。方向としてはリオネス帝都を目指しているらしいけど、ここからゆうに八百キロはある。エアナの栗油はほぼ満タンだけど、どんなに頑張っても連続飛行百五十キロが限界なのだ。このまま森林地帯を伝っていくなら給油スタンドなんてあるわけがないし、都市部を通ったら通ったで、竜はそこを焼き尽くし破壊するかもしれない。
「いいえ。今ここで、他のどなたも来ないうちに、お始末をつけましょう!」
たまご竜は、きりっと言った。
「ベイトリーシュが、元祖≪竜の呪い≫当事者として、ミス・キンセラに引導をお渡しします。うまいこと竜の気を引いて、炎を吐かせるように仕向けますから! そこにずばっと、ウーニャさんは呪文でまほうです!」
頭の後ろから聞こえてくるベイトリーシュの声は落ち着いて、はっきりしている。肝が据わって、……お姫様の威厳がそこにあった。
「わかった。それで行こっ」
ち・りりりりり! わたしが答えた時、エアナの警告アラームが響く。
「あかん、限界高度エリアに来てる!」
当たり前だけど、エアナの飛べる高度には限りがある。上昇する竜の背中にくっついていたわたし達は、いま地上から二千メートルを超えかけていた。
「じゃあ、ここで勝負ですわ! 行きますわよウーニャさん、ぜったい絶対、呪文を発動させてくださいっ」
ぎゅううう! 長い首を巻きつけて、一瞬の間ベイトリーシュがわたしの肩のあたりを抱きしめた。その身体が、ぶるっと震える。
「そうして、できれば忘れないでいて下さい。一番大事なあなたのこと、だ――い好きなベイトリーシュのこと!」
え?
胸の奥に、どきりと痛みが走った時。ベイトリーシュの温かい身体はわたしとエアナからはがれて、ふいと飛び立っていった。
わたしはミス・キンセラの竜の背、ぎざぎざ山並みのような背びれ近くに並行したままで、たまご色のベイトリーシュがしゅうっと飛んで行くのを目で追う。巨大な竜に対して、たまご竜はあまりにも小さい。蛇に立ち向かう、ありんこ粒だ。
――気を引くって、……どうやって。
ぼすっっっ!!
その小さい竜は、巨大竜の頭の左脇にまわると、空中からながーい後ろ脚で飛び蹴りを入れた。
「うえーっ、ちょっ……何やその正攻法!」
ぼす、ぼす、ぼぼぼぼぼ!
白いつばさをひらめかせて、空中でくるくる回ったりしつつ、巨大な竜の左眼に向けてベイトリーシュは蹴りだのパンチだのを入れている!
……いやしかし、全然効いていないし。ミス・キンセラの巨大竜は、どこ吹く風でゆったり上昇もやめない。
「こつを、つかみましたわ~ッッ」
と、お姫様の咆哮が前方から流れてきた。
「と・あ――ッッ!」
くるっと後ろ向きに一回転、とんぼ返りをしざま両脚をそろえて、たまご竜は巨大竜のまぶたを蹴り上げた……。
ぶんッッ! 竜の頭が、右向けにぶれる。
「なんでいきなり、そないに威力が上がるのッ」
確かにすんごいサマーソルトだったけど!?
「ほ・あった――ッッッ」
ものすごい速さでベイトリーシュは飛び、今度は巨大竜の頭右脇に回り込んで、前向きに宙がえり!
がつぅッッ。
今度こそ、硬いもの同士のぶつかり合った壮絶な音。ベイトリーシュの揃えたかかとが、ミス・キンセラ竜の右まぶたに炸裂して食い込んでいた。と、たまご竜の尻尾が家畜鞭みたいにびいんとしなって、ミス・キンセラ竜の右頬を張り飛ばしたのである。テールびんた!
ぐおおおおおお!
それで巨大竜は、怒ったと見える。ぐるっと頭をいからせたから、その隙に急加速して、わたしは竜の頭の上に出た。ぶわんと両翼を大きく広げて、立ち泳ぎ状態になった巨大竜は上昇をやめていた。
ぎゅわあっ!
まさに獣の喰いつき方、竜は小さな白い竜を前にして、咆えるように口を開けた。その鼻づら……ていうか口先? に、ベイトリーシュはがしっと両前脚を添えている。
「六十年ぶんの、年季のちがいですわぁ――ッ」
ぶぶぶぶぶ……!
わたしは緊張でおかしくなりそうだった。ベイトリーシュは確かに、竜のでっかい上唇をつかんで……大小ふたつの竜は、空中で拮抗しているように見える。
気を引く、とベイトリーシュは言ったけど。どころじゃない、これじゃ正面衝突がち勝負ではないか!
今にもベイトリーシュを食べてしまいそうなのに、なぜかミス・キンセラは動かない。めきめきと身体じゅうに青筋……紫色のすじを立てて、相当に力を入れている巨大な竜が、小っさなたまご竜に押さえ込まれている?
「世界を滅ぼすなら。このわたくしを滅ぼしてからになさいましッ」
お姫様は、威厳こめこめの声で言っている。
「どうしたのですッ。逆鱗である口先を突かれては、災いの炎も出ませんかッ」
めきめきめき、ベイトリーシュの前脚が竜の鼻孔ふちをつかみ、ひん曲げていく!
きぃあ――っっっ!
つんざくような叫びをあげて、ベイトリーシュを鼻先にくっつけたまま、竜は苦しそうに頭を振り上げた。その時、巨大竜の尻尾がびりっと紫に輝く。高く差し上げたその先端から、くあぁッとまばゆい閃光がほとばしった。
「きゃあ、あああ――っ!!」
悲鳴とともに、その紫がかった閃光がベイトリーシュの身体にぶつかった。ぶしゅーっと嫌な音がして、次の瞬間ベイトリーシュの周りから黒っぽい煙が噴き上がる。
「ベイトリーシュ!」
雷だ。ミス・キンセラ竜が使った魔法の雷撃に、ベイトリーシュは打たれてしまって……ゆらりとよろめく。が、ぷるっと頭を振った。
「まーだ、まだまだ! こんなもんじゃ、ありませんッ」
白かった身体は茶褐色に焼け焦げて、ぶすぶす煙を出している。それなのに、お姫様は声を張り上げた。
「わたくしが、めちゃくちゃにした人々は! もっともっと、辛い思いをしたんですのよッ。あなたに、それを背負える勇気がありますか!? ミス・キンセラ!」
再び、閃光が走る。二度、三度、立て続けに雷に打たれるベイトリーシュを……わたしは見ていられない。両眼に涙があふれて、……それでも無理やり目で追っていた。
――やめて……もうやめて、ベイトリーシュ! そんなぼろぼろずたずたになって、いくら竜人でも死んでまうのと違うか!
けれどわたしは、≪やめて≫と叫べない。……お姫様の気持ちはわかっていた。いや、どうしたって他人のこと、完全にわかるのは不可能だ。けれどベイトリーシュをわかりたいわたしには、彼女の意志がみえた。今ベイトリーシュは、過去の罪を償おうとしている。彼女自身の意に反して、無理やりに犯させられた大罪を!
竜人ベイトリーシュの身体は、それこそ雷に打たれたマロニエ老木みたいにひしゃげていた。つばさの皮膜は焼け取れてしまったのだろうか、虫食いカーテンみたいな断片が骨にかかっているだけ。それでもベイトリーシュは、竜の鼻先をぎりぎり締め上げ続けている。
「あの災厄は、わたくしで終りです。他の誰にも、あなたにも、絶対に引き継がせない!」
ぐぐぐ……。
巨大竜の鼻づらを、ほぼ抱きしめるようにしてベイトリーシュは竜の眼とにらみ合っている。竜どうしの会話は、わたしにもぼんやりと伝わってきていた。
≪滅ボセ≫
「いいえ。わたくしの幸せがあるこの世界に、二度とあんな悲しみは持ち込ませませんっ」
≪滅ボセ。コノ世ノ一切ヲ、滅ボセ≫
「滅びるのは世界ではありません。わたくしと呪い、……あなたですわ!」
ふあっ、いきなりベイトリーシュは前脚を離した。そこへ巨大竜は、頭を持ち上げる。
「今ですわ、ウーニャさあああああああん!!」




