63. 竜の懇願
竜を見ると、ぐるんとその場で一回転をした後に大きく羽ばたき、再び北を目指して移動を始めている。
――何や、今の。ミス・キンセラが魔法を使った……? 白飛翔機隊を振り払って、クランドルハの国軍をまくために?
「……あの杖。ミス・キンセラに同化してもうたのかな」
「たぶんそうです。あの竜は、魔法を使えるのですわ」
空母の上では、まるで逆上したみたいに暴れたのに。ミス・キンセラはやっぱり、今でも自我を保っているのだろうか? それなら、なぜ……。
わたしとベイトリーシュが早朝散歩に来る山並みの連なり。そこの一角、山頂にばさりと竜はとまった。本当に、……巣にとまる鳥のように。
エアナをサイレントモードにして高度を上げ、わたしはそうっと竜の背後にまわる。ベイトリーシュも音なくつばさをそよがせながら、操縦席のすぐ脇に浮いていた。
どかッッ! 前脚で軽く山頂の岩肌を叩き払い、一応の平らな面にすると、竜は口にくわえていたものをそこにゆっくりと置く。
――ああ、やっぱり。
それは大型飛翔機≪ブリジット≫から竜がかじり取ったらしい、後部座席のひとかたまりだった。上質な皮革仕様の席中に鎮座していたのは、あのちゃらい王子様だ!
『かかかか考え直してください。ででで殿下』
巨大な頭を震わせながら王子様につきつけて、竜は交渉している。
『こここのままでは本当に、わわわたしはリオネスも周辺諸国も、ややや焼き尽くすしかなくなる。わわわわたしの自我が、ののの残っているうちにどどどどうか命令の解除を』
竜は、……ミス・キンセラは相当に苦労して、人間の声を発しているようにわたしには思えた。彼女の苦心はありありとわかるけれど、ひどい声。時々とぎれとぎれに獣っぽい雑な声調が混じる様子は、電波の不安定な谷間道を行く時のトラックラジオみたいに聞こえる。それも大音量の。
「冗談じゃあないよ、メアリ!」
ちゃらい王子様も、咆えるように言い返した。
「さあ、さっさと僕を乗せて帝都へ飛ぶんだ。追ってくるやつ、歯向かってくる者は全部たたきつぶしちまえ。リオネス城の高鐘楼てっぺんに僕を移して、まわり三百六十五度をぐるりと焼き尽くそう!」
わたしは、ちらりと脇のベイトリーシュを見た。
「……三百六十度、と仰りたかったのでしょうね」
「根本的にあほうな王子様や。あかん」
竜も一瞬、何か突っ込みたそうに長い首先を振ったが……再び途切れがちな声、冷静を装った人間の声で話を継ぐ。
『……そそそそんなことをしたら、マーチャス殿下。こここ郊外のお宅に並べてある殿下の≪ブリジット≫コレクション二十四台も灰になりますし、おおおお取り巻きの女子八名も死んでしまいます。ししし私費を投じてアイリッシュ・セッター牧場を作る計画を、すすす全ておじゃんにしてよろしいのですか?』
「うっ!」
王子様は言葉に詰まったようだ。いいぞ、ミス・キンセラ! わたしはハンドルを握る手に、力を込めた。
『ああああなたを名誉幹部に据えることでどうにか存続できている、いいい違法すれすれのいぶし銀世代出会いの会も、そそそそれを生き甲斐に老衰と戦っている皆様も、ひひひ非業の死を迎えるのです。ややや優しい殿下に、本当にそんなことができるのですか?』
ふ、ふふふふふ……。調子の外れたような変な声で、王子様は笑い始めたらしい。
『まままマーチャス殿下』
「いいんだよー! メアリ。そうやって一生けんめい優しいふりをして、明るい未来を無理やりこさえて! 死ぬまでの暇つぶしを考えなくちゃならないってことから、僕はとうとう解放されるんだぁーっっっ! あっはははは、……」
王子様の高笑いとともに、竜の頭がびくーんと震える。ああ、また巨大な身体が紫色に輝き始めた!
『ででで殿……下……まままマーチャス君……』
「いいんだよ! メアリ、きみがいてくれればさぁ! きみさえいればそれでいい! さぁ全部をぶっ壊しておくれ。このしけた世界を跡形もなく消し去って、そのあと最後に僕をつぶすんだ。あっははははは……。やったね。ようやく生まれた意味をひしひし感じるよ~」
あははははは、はーははははは。
清々しく、けれどどこか寂しい王子様の笑い声も、紫に色づいているみたいだった。びくーん、と宙に差し伸ばした巨大な翼、その先端まで竜はぎらぎらと輝いている。
『まままマーチャス君……』
「メアリ! 僕のメアリ先生、破壊のメアリ。僕はきみが大好きなんだ!」
ぐおおおおおーん!!!
竜の咆哮と、ベイトリーシュががしりと後部座席に貼りついたのとは、ほぼ同時だった。




