60. 魔術士メアリ・キンセラの陥落
『諸侯。どなたか、マーチャス殿下を止めて下さい。少々興奮しておられるようです、――≪ブリジット≫を運転しているのは誰ですか? ルーフを閉めて、今すぐ着地するように』
「メアリ、メアリ! 君は僕の騎士なんだから。だから主君の命令は、きいてくれよッ」
竜の言葉にも、王子様の飛翔機は全く反応しない。同じ宙点に静止したまま、浮いている。見かねたのか、甲板上の騎士らが何人か、さっと動いて軍用飛翔機の中に乗り込んでいった。
「……ウーニャさん。危ないですわ……。ミス・キンセラは魔術士であり、リオネス騎士なのだから」
ベイトリーシュが、わたしを片翼で抱いたまま、そろそろと後ろへ下がる。
「えっ?」
「本当にまじめな忠誠の騎士なら。たぶん皇子の命令には逆らえません……。≪竜の呪い≫が、あの皇子の支配下に置かれてしまうやも。わたしと、母みたいに」
「……!」
「エアナフロイに乗って。逃げるんです、ここから――」
ミス・キンセラの……竜の身体、お腹や四肢に紫色の光が強く瞬き始めた。さっき変身を終えた時と同じくらいに、まばゆく。
わたしはさっと後ろを見た、自分のエアナフロイの赤い機体を認めて、そこに走り寄って行く。ベイトリーシュは白いつばさを広げて、わたしをかばうようにしてついてきた。操縦席に飛び乗り、キーを回す。
『殿下、やめてください。諸侯、殿下をとめて――』
エンジンをかけながら横目に見上げると、竜はぐにゃぐにゃと首を振って、どこか……何かに抵抗しているように見えた。
『このままでは、≪支配≫がわたしの元から……殿下に、移ってしまう!』
びくーん! 頭の先から翼の先端まで、波打つようにして竜の巨体がのたくった。一瞬遅れて、その全身表面にちかちかと紫の光が輝き始める。
おおおおおお、……お――――っっっ!!
ミス・キンセラの声じゃない。周囲一帯を圧倒する竜の咆哮、その一喝に大気が震えた。
「うっ」
ぐいん、と数メートル浮上したところだったわたしのエアナも、その衝撃を受けて後ろ向きに揺れる。すぐに安定できたのは、ベイトリーシュが後部座席の辺りをぐわしっと前脚で支えてくれていたからだ。ぐらぐらぶれる視界の中、エアナより格段に重量のあるはずのリオネス軍用飛翔機がいくつか、くるっと甲板の上で裏返ってしまったのが見えた。
「あっ」
竜がその両翼を、ぐいと垂直方向にさし上げた。
「ウーニャさん! シートベルト装着ぅっっ」
「してるー!」
ば……ふうううん、ぐるぎゃあああ――――ッッッ!!
すさまじい音を立てて、黒い竜は両翼を振り下ろした。わたしのまずしい効果音、後半部分はもうどう表現していいかわからない爆音だった。
叩き下ろした竜の翼先端が、派手に空母の甲板をひっぱたく。そこから爆発が噴き出していた。
「――!!!」
ぐぎーっとアクセルを踏み込んで、最大出力での急上昇。ベイトリーシュに支えられて、わたしのエアナは竜を見下ろせる高さにまで昇りつめた。
ばうううん! 竜はもう一度、同じ動作を繰り返したらしい。甲板上に駐機してあったいくつもの軍用飛翔機、その中の栗油に引火して黄色い炎と灰色の煙が昇り始めた。
「ちょっ……ミス・キンセラ、やっぱ支配できひんくなってもうたん!?」
んご、ごおおおお! 獣としか思えない声で、また竜が鳴く。咆えてから、竜はくるうり……と浮いたままで時計回りに一回転した。
ばッ! ぶばッッ! その翼と長い尻尾にはたかれて、竜の周りにどうにか浮いていたリオネス軍用飛翔機が二体、次々と撃墜される。
ふわり、と竜は移動のための羽ばたきを起こした。ぐうっと上へ行くらしい、しかし上昇も移動も目に見えてとろい。
「一体、何がどうなってるん……? ミス・キンセラは全部わかっていて、こんなことを……?」
「いえ、ウーニャさん。だめです、……たぶん彼女も閉じ込められてしまったんだわ。≪竜の呪い≫の中に」
「えええっ」
途方に暮れる。この場合わたしはどうしたらいいのだろう? ベイトリーシュの呪いは解けたのか、そうでないのか丸きり中途半端なままだし、あんがい全面的にリオネス側のやらせ演出と言うおちも、……ないか。
とりあえず竜は上空ずっと先に行ってしまったから、一度甲板に降りてみることにした。とりあえず人がおらず、炎も及んでいない端のほうへエアナを着地させる。
煤と油に汚れまくった騎士達が、消火器の管を手に、炎と格闘していた。
「負傷者、救助ーッ」
「負傷者、搬送ーッ」
「ロスカ先生のところへ、至急ーッ」
栗臭い煙がそこらじゅうにたなびく中を、わたしとベイトリーシュは立ちすくんで茫然と眺めた。こんな災害現場で、わたしにできることなんて……。
「たすけて。たすけてええええ」
……耳に流れ込んできたかぼそい声に、ぎくりとわたしの全身が震える。




