58. 魔術士、第一竜体へ変容
「み、み、ミス・キンセラっ」
角刈り騎士が、声を上げた。女性魔術士の背から突き出た、巨大な漆黒の翼。羽毛はなくて、こうもりか何かの皮膜のような表面に、ぐるぐる渦巻が入っている。……それは、竜の血脈みたいなものなのだろうか。
白いたまご竜のベイトリーシュは後じさって、今完全に魔法陣の外に出た。わたしはそこに駆け寄り、ベイトリーシュの細長い前脚に手をかける。しゅるん、とベイトリーシュの片翼がわたしをかばうように包む。
「ミス・キンセラ……大丈夫なのですかぁっ?」
「ええ、施術は成功です。カクルス侯」
「ではなくってえぇ! 貴女が痛くないのですが、無事なのですか!? それっ」
角刈り騎士は目をひん剥いて、狼狽している。気持ちはわかった。傍目にはミス・キンセラの背中に、異物が刺さっているように見えるのだから。
「ええ、大事ありません。それよりわたしの軍外套を、確保しておいて下さいね?」
「はっ……はい」
ずご……ぶぐっ!
洞窟内でのベイトリーシュと、同じ変容がミス・キンセラの身体に起こる。わたしはそれを、ベイトリーシュの翼の中から凝視していた。他の生きもの、黒ぐろしい呪いが、ミス・キンセラの身体を割って出てくるのを。
それはやっぱり、悲しい変容だった。ベイトリーシュと違って、ミス・キンセラは自ら望んで呪いを得たわけだけど。それでも滅びを目的とした呪詛が身体の中を駆け抜け、元の姿をめちゃくちゃに作り変えるのだから、痛くないわけがない。
「ミス・キンセラ」
「ミス・キンセラ……」
周囲のリオネス騎士達も、たぶんそのことに気づいた。皆次々に、心配そうな声をかけ始める。少し脇の方では、いかつい角刈り騎士が身を震わせている。
「ミス・キンセラ……」
その口が、≪やめてください≫と言う形に動いたような気がする。けれど角刈り騎士は小脇に女性魔術士のコートをかたく抱えるだけで、それ以上のことは何も言わない。
ミス・キンセラはミス・キンセラで、ぐぐぐと顔を上げ、ずっと高い方向を見ているらしい。片方の眼はやはり紫に光っているが、その眼差しをたどると、格納庫の壁に明るく輝く、上階部分の広窓があった。
ぶあしッ!
平静を装って激痛に耐えていたらしい、ミス・キンセラの端正な顔が、内側から割れた。まるで、くるりと服を裏地に返すように……蛇に似た黒い頭が現れる。首がぬういと伸び、四肢がのびて長く太くなる。
ぱら、ぱら、ぱたた……。
無数の断片になった衣類が、やたら大きな音を立てて床の上の魔法陣に落ちた。黒い竜人と化したミス・キンセラは、長い前脚の先でちっぽけに見える杖を握って立っている。
「……≪竜の呪い≫。第一段階、変身完了」
変わらない声。ミス・キンセラの声で、黒い竜人は言う。
「完全に自我を掌握しています。メアリ・キンセラとして、違和感を全く感じません」
騎士達が、安堵の溜息を低くもらした。
「……前回はここで第二段階に入る前、ベイトリーシュ姫の意志をわたしが支配する予定でした。今回は外部操作の必要がないので、≪竜の使役者決め≫の過程は省きます」
くゆゆ……と長い尻尾をうねらせて、竜人ミス・キンセラはつかつかと歩き出した。魔法陣を出、格納庫の奥へ向かって。
「搬出口を開けて下さい」
「四人、まわれ。それ以外は甲板へ移動ッ」
ぞろぞろ、騎士達は動き出す。わたしとベイトリーシュのことは、もうどうでもいいらしい。
「待って、お待ちになって! ミス・キンセラ」
ぎゅうっとわたしを片翼で巻きながら、ベイトリーシュが黒い竜人に向かって叫ぶ。
「あなたはわたくしから≪竜の呪い≫を奪って……。いったい、何をするおつもりなのですっ!?」
その声に、騎士達はふいと足を止めた。
「何をすると言われましても……。ああ失礼、何も言っていませんでしたね。ベイトリーシュ姫、あなたはもうお引き取り下さって構いませんよ。長年の≪竜の呪い≫の保持、お疲れ様でした」
くるりとこちらを振り返って、黒い竜人は言う。見た目がこんなに怪物じみて禍々しいのに、事務的な口調で言ってくるのがどうにもちぐはぐに感じられた。
「この≪竜の呪い≫は、以降わたしが所持・活用していきます。あなたの身体には残存しないはずなので」
「……あの、しかしミス・キンセラ。あの通り、姫は依然として第一竜体のままなのですが……?」
近くにいた騎士の一人が、恐る恐るといった調子で黒い竜人に言った。大きな頭を長い首の先でうねっと捻って、ミス・キンセラは答える。
「ええ、それだけは少々予定外だったのですが……。わたし側に≪竜の呪い≫が完全移行した以上は、姫にはもう竜の力はないはずなのですよ。思うに今の姫の状態は、水疱瘡のかさぶたのようなものではないでしょうか? 衛生官、あれは結構長く残るものでしたよね」
「は、その通りでありますね。ミス・キンセラ。回復後、数か月残ることもあります」
若い騎士がどこかから答えている。
「なので現時点ではとりあえず、休養されることをおすすめします」
「何やそれっ」
わたしは思わず、小さく突っ込んでしまった。それを聞いてか聞かずか、黒い竜人ミス・キンセラは再び歩き出す。
「……とにかく、竜の力が完全にわたしのものになった、という証明をしてみましょう。さあ諸侯、ハッチを開放してください」




