57. リユースの精神です
「白い」
「白いぞ?」
騎士達の呟き囁きが、さざめきのように聞こえてきた。
皆驚いているらしい。わたしにはもう見慣れた姿のたまご竜だが、反対側の魔法陣に立つミス・キンセラも、その背後で鏡を持つ騎士達も、全員微妙な顔をして小首を傾げているようだ。
ベイトリーシュは身体の色こそ変えたものの、やっぱり胸部の辺りで前脚を組んで、……耐えている様子だった。目を閉じ、蛇のような頭を下にうつむけている。
「はやく……。早よ、終わって……!」
願望が、ついわたしの口をついて出てしまった。誰にも聞こえないような小さな呟きだったけれど、横脇の方から誰かが……騎士の一人が、あたかも答えるように言う。
「まだだ。……しかし≪呪い≫が紫煙化したと言うのに」
「ああ。なぜ姫は、人間に戻らないでいる?」
さっと横を見ると、二人の騎士が分厚い帳面をのぞきこんでいる。
「まだ、抽出に時間がかかるんじゃないのか?」
「いいや、見てみろ。紫煙はすでに姫の頭上にかたまって、雲を作ったじゃないか。これはもう、≪呪い≫が媒体を離れた証拠じゃないのか? 後はミス・キンセラが吸収するだけで――」
――吸収??
騎士達の囁き声、その最後の部分にわたしは引っかかった。再びベイトリーシュと、ミス・キンセラの方に注意を戻す。
「ドランギエンシュ エヴ コールディア」
女性魔術士は、低く力強い詠唱を続けていた。ベイトリーシュの身体からは今や紫色の輝きはすっかり抜け落ちて、わたしと山頂散歩をした時と同様、いや……それ以上に真っ白く輝いている。
そしてその頭上で、紫色の雲はもくもくと蠢いていた。ふわ、とそれが動き始める。ふわふわ、そろそろ、もくもく……紫の雲は、ミス・キンセラの方へと流れるように移動してゆく。
――もしかして。この紫色のもやもやが、≪竜の呪い≫……?
「ドーリャ・ガン」
小さな雲はミス・キンセラの詠唱にあわせて、どくどくと脈打つような動きを見せながら、細い筋になってたなびいていった。それが……ミス・キンセラを、くるくるっと取り巻いてしまう。えっ?
「ドーリャ・ガン!」
ミス・キンセラの長細い全身が、杖ごと紫の煙に包まれてしまった。除去って……取り出したものに囲まれちゃったら、ものすごく危険なんじゃないのか!?
「あなた! いったい、何をしているのーっっっ?」
女の子の甲高い悲鳴が響いた。魔法陣の中から、ベイトリーシュが叫んだのだ! それで、ミス・キンセラの詠唱だけが支配していた空間、そこにいるわたしと騎士一同は、ふあっと我に返ったのだと思う。
「やめて、やめて今すぐ! そんなことをしたら、あなたが――」
のしのしっ、……一歩二歩、正面にいるミス・キンセラに向かって魔法陣から歩み出たたまご竜は、そこでびくりと立ち止まる。
紫に輝く雲が、いきなり立ち消えたのだ。わたしの目には、ミス・キンセラのしゅッと長細い身体の中に入り込んで消えたように見えた。
「完了」
冷静なる平らかな調子で、ミス・キンセラは言った。
「……のはず、なのですが。ベイトリーシュ姫、どうしていまだにその姿なのです?」
すぐ目の前に迫った白いたまご竜のベイトリーシュを見上げて、ミス・キンセラは少しだけ首を傾げた。
「えっ」
「リリリカの魔女があなたに施した≪竜の呪い≫は、確かに全部取り去ったはずなのに。どうして竜の第一段階であり続けるのです?」
「……」
言葉に詰まってしまった竜人ベイトリーシュに代わり、わたしはどうしても口を挟まずにいられなくなった。
「それは、こっちが聞きたいんですけど。もしかして、何かの取りこぼしがあった、って言うことはないんですか?」
「いいえ、それはあり得ませんよ。≪竜の呪い≫は今、わたしという媒体に完全に移ったのですから」
ひょい、とわたしの方を振り向いて答えたミス・キンセラは、何気ない動作で眼帯をむしり取った。その下から出てきた目が紫色にきらっと光る。
わたしは驚いて彼女を見つめた。眼帯のあった所、その周りには赤黒い傷跡が苔みたいに這っていたのだが……それもまた紫色に輝いている。
「これはすごい、視力が完全に回復している。なんという強力な副作用だ……。諸侯、記録を願いますよ」
「は、はい。ミス・キンセラ」
事務的に言葉を紡ぐミス・キンセラの背中で、何か別のものが蠢いたように思えて、わたしはそこを凝視する。と、騎士達が支えている姿見のひとつに、ミス・キンセラの背中がばっちり映っているのに気が付いた。
カッターシャツの白い背中、そこにぐるりと渦巻く文様が透けている。わたしはぎょっとした。シャツの生地を通して、紫がかったあの黒いつばさの文様、ベイトリーシュの背にくっついていたのと同じものが輝いている!
「……ミス・キンセラ! 除去っていうのは、まさか……」
ベイトリーシュから≪竜の呪い≫を取り上げて、自分のものにするという魂胆だったのか!
「不要な方から、それを必要とする者へ。無駄をなくすべき現代社会において、一番大切なことだと思いますが?」
ず・ばーっっ!
やっぱり平らかに言うミス・キンセラの背中。白いシャツを割って、暗黒の翼が宙に伸びた。




