55. 皇子マーチャスのご登場
機内と言うのは、すなわち空母の床下部分のことだった。
いかつい騎士らとミス・キンセラに囲まれ、エレベーターで下ったのは、格納庫のような場所である。ベイトリーシュの脇、わたしは気を張って周囲を確認していたけれど、『ボワ・ボワーズ』記者の彼女の姿はどこにも見当たらない。別の場所へ行ってしまったのだろうか。
それにしても、広大な格納庫だ。わたしが働く飛翔機専門店の修理ガレージ部分を十倍以上に広げたら、こんな感じになるかもしれない。明らかに修理・整備スペースとわかる一画に、ずらりと大型軍用機が連なっていて、いつものわたしならたぶん胸をときめかせていただろう。今この状況では無理だけど。
「こちらです、ベイトリーシュ姫。魔法陣があるでしょう?」
「……ええ、……?」
ミス・キンセラに言われてベイトリーシュは答えたが、同時に首を傾げてもいた。電気照明に煌々と照らされた室内。真っ黒い床の中央に、妙な図面が蛍光塗料で描かれていた。これが魔法陣?
魔法陣というものを、わたしは伯母の蔵書の挿絵でしか見たことがない。どういう図形がデフォルトなのかわたしが知るわけはないのだけど……。でも、円形なんじゃないのだろうか。洞窟で無理やり竜に変身させられた時も、ベイトリーシュは円い図形の描かれた布に座っていたと思う。
「……あのー。なんでこんな、眼鏡みたいな形なんですか? この魔法陣」
ちょっと違うかもしれないが……。目の前にあるそれは同じ大きさの円が合体寸前にくっつき合う形をしているのだ。円を成しているのは線ではなく、びっしりと書き込まれた文字である。アルファベットそれ自体はなじみのあるもの、けれどわたしにはさっぱり読めない。古代リリリカ語か何かなのだろうか。
「ええ、確かに眼鏡に似ていますね! マクナマラさん」
わたしの質問が生徒みたいだったから、それに合わせたのか。ミス・キンセラは教師調で答えてきた。でも嫌味や皮肉でなし、ごく自然にそう言う。
「円陣が二つあることに、驚かれましたか?」
「はい。……どうして?」
「通常、魔法陣は円一つで独立しています。と言うのも、魔術を発動させるその対象ひとつに対して、術の威力を最大限高めるという目的があるからです。……しかし今回は」
ミス・キンセラの背後で、リオネス騎士達がばたばたと準備に奔走している。
「わたしが発動させる呪いの解除は、かなり複雑で大掛かりなのですよ。術の対象であるベイトリーシュ姫用とはまた別に、施術者自身の補助をするという意味で、わたし用の魔法陣を描いたのです」
杖の先で魔法陣の円形を大きくなぞりながら、ミス・キンセラは言った。
「今回は、時間帯による効果促進を計算に入れずに施術しますしね。本音を言えば前回のように、真夜中まで待ちたいところですが。それだと空母≪エドナ≫への不可視効果のほうが、覚束なくなりますから」
すらすら説明するミス・キンセラの口調は、板についた先生のそれだった。異論なんか差し挟む余地のないほど。彼女の言っていることは教科書に載っている文言と同じ、疑ってかかるのは労力の無駄と思えるほどに、真実としか聞こえなかった。
「では、さっそく取り掛かるとしましょう。お心の準備はよろしいですか、ベイトリーシュ姫? ちなみに機内には、もちろんお手洗いもあります。そこの白い扉がそうですから、どうぞお使い下さい」
「い、いいえ。よろしゅうございます」
「そうですか。ではそちら側の円陣中央に立って、楽になさって下さい」
先生から一転、今度は医者みたいに平らかに話すようになったミス・キンセラに促されて、ベイトリーシュはわたしを見る。
きゅっとうなづいてから、ベイトリーシュは片方……わたしから見て左側の魔法陣の中心にむけ歩く。ミス・キンセラは杖を騎士に預けると、黒いコートを脱いだ。後ろにいた角刈り騎士がそれを受け取る、……いかつい顔に何だか心配そうな表情を浮かべて、女性魔術士にうなづいている。
しかしミス・キンセラは、非常にかっこうよろしいカッターシャツ姿となって、張り切っているような感じだった。大技の魔術実践を前に、気合を入れているというところだろうか。再び杖を手に握ると、もう一つの円陣の中につかつか歩いてゆく。
「メアリ、がんばってね」
のんきな声援がかけられた。その場にいた全員、わたしもベイトリーシュも、ミス・キンセラの後方に視線を向ける。
「僕、ここで見ているからさ!」
いかつい騎士達の間に挟まれて、若い男性がにこにこと笑っていた。蛍光ライン入りの騎士上衣を着ていない……と言うことは、軍人ではないのだろうか。金髪を上品きれいになでつけたその青年は、むちゃくちゃ高そうな紺のカジュアルスーツを着ている。どう見たってぼんぼんだ、サラリーマンじゃない。見習い美容師トミー君が見たら、超いけてんなと評するだろうか。
「殿下。万が一の場合に備えて、階上からご閲覧いただくようにとお願いしたばかりですが」
「いいじゃない! メアリが魔法をかけるんだ、危ないことなんてあるわけないさ。それにやっぱり、ご挨拶をしときたくてね」
硬い声で言ったミス・キンセラを後目に、青年はひょいひょいっと歩いてベイトリーシュの魔法陣のすぐ手前に立った。
「どうも、こんにちは! あなたがリリリカ公女の、ベイトリーシュ姫ですよね?」
ぶひ、と困惑満載にベイトリーシュは胸の前で合わせた両手を揉みしだいている。
「僕、リオネス帝国第十七皇子のマーチャスと申します! 今日はまた、すてきな農家スタイルでお越しですね? とってもお似合いですよ~」
「ごごごごきげんよう」
――皇子って……おうじ?? リオネスの王子様?
わたしは目を点にした。何じゃそりゃ、と突っ込みたい。
「殿下。ひらにお願いします、別室へご移動ください!」
ミス・キンセラの声は明らかに焦っていた。懸命に冷静を装っているが、ここまで平らかだった彼女が微妙に動揺しているのに気づいて、わたしはおやっと思う。
「どうして? 僕の信頼するメアリが、失敗するわけないじゃない。君はいつだってかっこいいんだし、何と言ったって――」
ミス・キンセラは両手こぶしを腰に当てて、王子様に向かい首を傾げた。わたしの方には背を向けているから、表情はわからない。けれど……。きっちりと結い上げられたシニョン髪が、美しく傾いていた。毛嫌いしているあほんだら上司の御曹司に対して、行う仕草じゃないと思う。
「わかったよ、もう~。それじゃ上から見ているから……。ベイトリーシュ姫、呪いが解けた後にでも、お茶をご一緒にどうでしょう。じゃあまた、ごきげんようー」
殺伐とした格納庫の中を、リオネスのぼんぼん王子は春風のようなうららかさで去って行った。取り巻きっぽいのが数人、ぞろぞろ後を追う。
わたしは毎日、全国紙のリオネス王族ゴシップ欄にも一応目を通していたけど、あんな人がいたとは知らなかった。と言うか第十七皇子と言っていたし……。そんなにたくさんいるのでは、醜聞集めのパパラッチ記者だって疲弊して追う気をなくしそうだ。むしろそれを狙っての、子だくさん王室とか? ……それはないか、さすがに。




