49. これまで言えなかったこと
「その人は、明るくて誰とでも話せて、成績抜群のできる人やった。わたしは今以上に口下手……と言うか、ねくらやったから。そういう人気者の彼女に心底あこがれて。誰にも知られんように、ってびくびくしながら想ってたんよ」
「ぶひ」
何となく、竜人ベイトリーシュの大きな瞳が点になっている……。
「けどそういう人って、周りからの妬みやっかみも受けやすいから。人気者が一転して、ある日いじめられるようになった」
きっかけが何だったのか、わたしは知らない。でも彼女が全国規模の古国語作文コンクールで入賞して、名誉の越境進学をすると確定したあたりから、嫌な噂が回ってくるようになった。曰く、あんなにすごい古文が書けるのは、古国語の先生と寝ているからだ、とか。入賞したのは、むしろその先生の作品だったのだ、とか。彼女の母親が校長先生とできている、という話まで伝わってきた。めちゃくちゃだ。
そんなあほな、と一笑に付すような言いがかりだったと思うけれど、一部の男子がそれを真に受けて、彼女のことを『きたねぇ』と嘲笑するようになった。それ以来、女子の陰湿いじめが加速加熱していったように思う。
あらゆる所で仲間外れと無視。授業中のつるし上げ。それでも彼女はひるまなかった。けれど体育の後の女子更衣室である日、服をごっそり取り上げられた時、ついに彼女はめがねを外して涙をこぶしで拭った。
≪あんたの服なぁ。古国語じいさんとこへ、届けといたわー!≫
≪あとで自分で、引き取りに行きや。どうせ慣れとんのやろ? やらしい恰好で迫るんにはぁ≫
あははは、ははは。は…… 笑いさざめいていたうちの一人を、わたしは乱暴に押しのけて彼女の傍に立った。自分のジャージ上下をくるっと脱いで差し出し、次いで彼女を背にして立った。
≪何や、ウーニャ。救世主きどりかい、お前は? だんまりのくせに≫
≪お前の服も、ほかしたろか?≫
≪ふだん何も言わん奴が、何きばっとるん≫
冷たく深く突き刺さって来る嘲笑と視線とを、わたしはうつむいてやり過ごそうとしていた。自分の後ろ、下着姿で泣いていた彼女が安心してくれたらそれでいい、……とだけ思っていた。
寒い季節ではなかったし、スポーツブラとパワータイツで帰宅するのはそんなに苦でもなかったのだ。
「……確かに鍛えているウーニャさんのお腹は、むっつに割れてらっしゃるし。どこもかしこも神々しいくびれ方ですけれど……。往来でお腹をさらすのは、さすがにお辛かったのではッ?」
「ベイトリーシュ、なんでわたしのお腹割れ知ってるん?」
「え、だってお風呂の前後はいつもお腹だしてらっしゃるから。ずん胴ベイトリーシュとしては圧倒されっぱなしですわ」
「うん……お風呂前に腹筋するから。その時も走って家に帰ったし、他の人にはランニング女子にしか見えなかったと思うんよ。けどね」
彼女を守れてうれしかった、と思えたのは次の日までだった。
≪だんまりウーニャが秀才を救ったんはぁ。他でもない、女どうし惚れてるから~≫
≪きんにく見せつけて、お姫さまを守った騎士きどり~? いや、きもッ≫
遠くから近くから、そう言う囁き声が波のようにわたしに押し寄せるようになった。要するに迫害対象が、彼女からわたしにシフトしていた。
その当時も身体は鍛えていたし、父親伝授の護身術もあったから、物理的に手を出す輩はいなかった。それでも言葉の矢と槍に突っつかれて、わたしの心は痛かった。
この国では同性婚が認められて長いし、同じ性別の人を好きになっても、誰にも何にも文句を言われないはずなのだ。新聞や雑誌でも、はたまた授業でもそう聞いていたから、わたしは自分自身のことを≪わるい≫とは思っていなかった。
けれどわたしの周りにいた同級生たちだけは、……若い世代なのに古臭い倫理観を盾にして、わたしを散々面白がった。そこで初めて、自分がおかしい、わるい異物なのだと思い込み始めた気がする。
≪先生ー。わたしら女子生徒全員、次の体育ボイコットしまーす≫
中年の女性教師は、言われて困っている。
≪は? なんで??≫
≪だってぇ。密室で変質者に襲われたら、めっちゃ逃げ場ないやないですか~? 身の安全が確保できないとこで、裸になったり着替えたりはできませーん≫
そう言って笑う十数名分の視線が、……教室後方にいるわたしに集中する。あほくさ、……と思ってわたしは何気なく、彼女たちをぼんやり見返した。
その中に、彼女の視線があったのだ。
眼鏡の奥で、きらきら理知的な瞳がきらめいていた。明るい茶色の巻き髪が、今日もすてきに彼女の顔を囲んでいる――。憧れて夢にも見た、その形のよい唇が、にいっと上がって言った。
≪ほんと、困るんですよね。あの人時々、変な目で見てくるよってぇ≫
わたしの頭の中が、真っ白になった。
「……その後から、学校に行けなくなってしもうたんよ。親にも心配されたけど」
「……」
竜人のつばさ皮膜が、いつの間にかわたしの背と腕にぴったり添っていた。
「同年代の、若い女の子の顔と姿がね。全員、彼女に見えるようになってしもてんか」
「え、えええっ?」
ベイトリーシュは、びっくりして頭をかしげた。




