44. おばさまお姫様だっこですわ
ふわあん!
エアナフロイなみの静けさ、及びなめらかな機動加速でそれは……白い竜は、わたしの前あたりへ飛んできて着地した。大きな大きな背中の翼を、ひょいとたたむ。
「……ベイトリーシュ?」
わたしはぽかんとして、口に出す。
同じくぽっかーんと口を大きく開けたまま、白い竜人間の長ひょろい前脚に、伯母は抱っこされていた。ともかく、わたしは伯母に手を貸して地面に立たせる。
「おけがありませんか」
ベイトリーシュの声で、竜がしゃべる。やはり間違いない。
「だ、大丈夫やよ……何ともない。けどあんた、ベイたん……!」
いきなりの危機と飛翔とで、伯母の腰は抜けていた。そう……ベイトリーシュはものすごい速さで伯母の元へ飛んだ。そして木の下の伯母を抱え、向こう側の上空へと逃げていたのだ。
わたしに取りすがりつつ、伯母は竜を見上げる。
あの島の石柱洞窟で、無理やり呪いを発動させられた初めの時と同じ。ちょっと大きくなってはいるけれど、ほぼ人間大の≪竜人間≫は、長くのびた首の先にやっぱり蛇みたいな頭をつけていた。……けれど。
「色がぜんぜん、違ってへんか……ベイトリーシュ?」
ところどころ紫色に光っていた、黒っぽい竜の姿ではない。形こそ前回と同じ、けれど今のベイトリーシュはたまごみたいな白っぽさで、つやぴかしている。大きな青い瞳は、そのままベイトリーシュだ。筋ばった身体やつばさのあちこちが、金色の粉をまぶしたように輝いていた。
「一体、何があったん。誰も何も、魔術使うたりしてへんよね……?」
「わからないんですの。おばさまと、助けに行ったウーニャさんが、木の下敷きになるのが絶対いやって思って……。そう思ったら、こうなっていました」
竜人間は大きな瞳を閉じてうつむいた。そののっぺりした顔つきに、極度の恥じらいを見て取ったわたしは、伯母を支えていない方の右手をのばしてベイトリーシュの頬あたりに触れる。
「ありがとう……ありがとう。ベイトリーシュ!」
はっとしてわたしを見る大っきな双眸が、泣き出しそうに潤んでいる。
「そうやあ、ベイたーん! あんた、わたしの命を救ってくれたんやないかああああ」
がしーっっ!! 小さなとりがら伯母は、二本後ろ脚で立つ人型竜のその角ばった胸部に抱きついた。
「他の誰でもない。あんたなんよ! わたしを助けてくれたんはっ」
わたしも、両腕いっぱいに蛇みたいな竜の頭を抱きしめた。たまごっぽい竜人間の頭は、温かかった。作ったばかりのゆでたまごみたいに。
「に・してもベイた~ん! このまんまでは家に、ちーっとばかし入りにくいのと違うかっ?」
「ぶひ。あ、あの」
伯母は気分の切り替えも、たいへん素早い人である。頭の中に物語の登場人物が何百名と棲みついている故、それを作品としてさばくために自分自身の感覚を倍速にして生きているから云々、と伯母本人は日ごろから主張しているが、要するにせっかちなだけだ。
何と言うか、割と感極まってじんわり来るべきところなのだろうけど。それでわたしも、はっとする。
「そうやね、……えーと。前回みたいにとりせつ呪文を唱えれば、また時間を巻き戻してもとに戻れるのやろうかっ」
農作業着の袖口をぐいっとまくって、わたしは左手首のブレスレットに触れた。
「ええと、あのう。ぶひ」
ベイトリーシュがもじもじ、ぶひぶひ言っている。
「せやせや、早う戻しておやり! ウーにゃんっ」
「ウリス、エヴ、デルシャ、リ・ヴァース!」
伯母に急かされて、わたしは祖父の魔法呪文を唱えた。と言うか前回同様、ブレスレットの裏側に刻まれた謎の文言を読み上げる。いまだに意味は全然わからないままだ。
とたん、明るい緑に輝く光の組み紐が周囲にふわりと出現する。それはベイトリーシュの身体にやさしく巻きついて、大きく膨らんだ。まばゆい光に包まれて、竜の翼が縮み、がっしりした四肢がひょろんと長いだけの手足に変わる。最後にふわりと金髪おかっぱが揺れて、いつものベイトリーシュ自身の姿になった。
「……」
自分の着ているサーモンピンクのつなぎ農作業服、袖に胸に手を当ててみてから、ベイトリーシュはわたしと伯母を見た。丸顔が真っ赤になっている。
「あ~、あ~。良かった。ちゃんと元に戻れたったわー。きも冷えたわぁ」
危険な倒木と伐採現場はもうそのままにして、わたし達はそこを離れる。伯母はやはり動揺しているようだし、中型トラクターにはベイトリーシュに同乗してもらって、屋敷に向かわせる。
わたしは一人、エアナで上空を飛んだ。地上十五メートルから見ると、裂けた木は傍らの老木を道連れにして完全にぶっ倒れていた。残っていた半身も、いつのまにか初めに倒れた半身の上に倒れていた。わたしと伯母がベイトリーシュの竜人化にあたふたしている間に倒れ込んだのだろうか。全然、気が付かなかったけれど。
そしてその老木たちの後ろ、まさにすれすれと言う所に若木は無事だった。長くのばした蛍光ロープは草の上、上空からでもぎらぎら目立つ。溜息をついて、わたしは母屋の方へとエアナの頭を向ける。
・ ・ ・
もはやお茶入り砂糖の領域、激甘にした濃いお茶を二杯飲んで、伯母はようやく落ち着いたと言う。何はともあれ、と栗農協に電話をかけ始めた。
「そうなのよ、八十年代のが。雷おちたのとー、巻き添えで二本倒れちゃってぇ。……え~? いま、伐採班四人しかいてないの? ついてな~い~」
廊下からきゃんきゃん聞こえてくる甲高い声を聞くに、グレン栗農協の伐採班は当分来られないようだ。たぶん他の農家でも、昨日の嵐で倒れてしまったマロニエがたくさんあるのだろう。
「まあ、もう倒れてる以上は動かないし。ぐらぐら危ないってわけじゃないから、そんな緊急事態ではないよね」
「ええ。……それにしても倒れる樹って、とても怖いのですね」
空になったマグカップを両手で握りしめるようにしながら、ベイトリーシュは言った。お姫様はあの後何となく、言葉少なになっている。倒木と変身と、立て続けにショックだったのだから当たり前だろう。
「お代わりあげようか?」
「ぶひ。ください、……」
台所食卓の上で手をのばし、ポットからお茶を注いであげるとベイトリーシュはうなづいた。
「……不思議やね」
「?」
「今回のベイトリーシュは、たまごみたいに白かったやん。それに、元に戻っても寝んかったし」
「え、ええ……」
そこか口ごもるようにして、ベイトリーシュはお茶をすすった。今日も優美な手つきでカップを支えている。
「でも。こんな風に変身しても、すぐにわたしが元に戻せるんやってわかったし。腕輪はいつも大事に持ってるから、……ベイトリーシュはなんも心配しなくて、ええよ」
「……」
「おばちゃんのこと、助けてくれて。本当に、ありがとう」
心からそう思って言った。あんな風に伯母を失くしていたら、……わたしはどうなっていただろう。想像するのさえ怖いくらいだ。
食卓の角を挟んで向こう側にいるベイトリーシュが、……ぷひっと口角をあげて笑った。どうしてなのだかすごく恥ずかしそうにして、それでもわたしに向けて優しく、微笑んでくれた。




