38. それは恋だったのでせうか
「ベイトリーシュは。わたしのじっちゃんのこと、好きだったん?」
ばちばちばち、ベイトリーシュはわたしを正面に見たまんま、青い目を盛大にしばたたいた。その顔がさらに赤くなる。苺ジャムどころか苺本体のように鮮やかに。
「ぶひ」
苦し紛れにうめいたような、……そのぶひは否定じゃないし、でも積極的な肯定でもない。
「ごめん、……変なこと聞いてしもて。気にせんでええし、……忘れたって」
聞いたわたしの方こそ、日焼け顔を赤くしていたのだと思う。
「お茶、頼んでこよう」
「ええええっと、ウーニャさん! あのですね、そのですねッ」
席を立ちかけたわたしの腕を、身を乗り出してきたベイトリーシュの右手がぐわしッと掴んだ。それでわたしのお尻は、ぽすんと椅子に再着地する。
「むしろその件に関しましてッ! ご一緒に考えていただけますかッ」
「はいー?」
「と、申しますのもねッ。自分でもよくわかりませんの! ユーリ様は、本当に優しくてしゅしゅしゅッとされていて、涼やか笑顔の素敵な長身の魔術士で~、最強にかっこうよろしかったのです。でもお隣には、たいてい……そのう、女性のかたがついていらして。お二人の間には、目には見えないけれど……絆といいますの? 本当の信頼関係があると、よくわかりましたから」
ぼそぼそもそもそ、早口でまくし立ててから、ベイトリーシュはしゅうんと失速した。
「だからユーリ様には、もう……ベイトリーシュがどうこう入り込める隙間なんてない、手の届かない神さまみたいな方なのだと。初めから、それはわかっていたのです……」
赤い顔でうつむきかけたベイトリーシュを見つめつつ、わたしはぽかんとした。
「女性?」
「ええ。やっぱり同じような、お召し物を着ていらして。わたくしの擦り傷や切り傷を、丁寧に手当してくださいました」
「……やっぱり、細長い感じで背が高かった?」
「はい!」
わたしは愕然とした。祖母だ。何てこった、とうめきたい……。わたしが三つの頃に他界して、祖母の思い出はあまりない。けれどどことなく、祖父に雰囲気のよく似たおばあさんだった、とだけ憶えている。医療看護師だったと聞いていたけど。
――二人そろって、リオネスで外国人傭兵やってたんかいッ!
「えーと。……それで……? じっちゃんはベイトリーシュを封印の島に運んだんよね」
「はい。軍用車というのを乗り継いで、最後は地元漁師さんに舟をお借りして」
ベイトリーシュは、少し声を落として続けた。視線が少し遠くなって、当時のことを思い返しているのがわかる。
「それで……。それでですね、あの洞窟の中で封印の魔法をかけていただいた時も。心配しなくって大丈夫、戦争と竜の被害のほとぼりが冷めた頃に、また迎えに来るからね! って。そうお別れしたのが、最後でしたの……」
その後はわたしも知る通り、ベイトリーシュは魔術の繭の中で長い眠りについた。暗い洞窟の中ではあったけれど、祖父ユーリの明るい言葉を信じて疑わなかったベイトリーシュは、特に怖いとか不安を感じたりはしなかったと言う。
お姫様は深い眠りについていたが、六十年の間にはうつらうつらと目の覚めかける瞬間もあったらしい。しかし本当に目覚めることはなくて、ベイトリーシュはまぶたの裏側に穏やかで優しい夢を見ていた。果てしなく広がる青い空の下、もうすぐ迎えが来るのかなというかすかな予感を持って立つ印象。それをわずかに感じ取っては、また眠りに落ちていったのだ。
「その辺りでユーリ様のことを夢に見ていたのなら、これが恋なのかしらとも思えますでしょう?」
やっぱり真っ赤な顔のまま、……しかし持ち前のまじめさで恥ずかしさを押しのけているのだろうか。真剣な表情で、ベイトリーシュはわたしにそう言った。
「どうなんやろう」
対してわたしはあいまいである。言い出しっぺのくせに。
「ですからね、……わからないんですの。わたくし確かに、命を救っていただいたユーリ様に憧れたと思いますわ。けれどその先、一歩すすんで殿方として恋情をいだいたのかどうかは、……わかりませんの」
言葉の最後をすぼめるようにして言うと、ベイトリーシュはまたうつむく。
――い~~や~~、ベイたん! あんた、そらもうぶっちぎりに恋やで! うつくしき騎士道精神にのっかった、まごうことなき至高のプラトニックおラブや~~!!
わたしの脳内で、伯母が高らかに声を上げた気がした……。あの人がこの場にいたなら、たぶんそう言うだろう。でもわたしは、わからないと言っているベイトリーシュ本人の混乱のほうが気になる。
「……前に、付き合った人とかいてへんの?」
「いません」
ここは、しゃきっと即答してくる。
「機会なかったん? 王宮に閉じ込められて」
「いえ、そういうわけでは」
リリリカ王宮の王子王女らは、高貴族の子弟達と学舎を共にしていたから、外部の人間と交流がなかったわけではない、とベイトリーシュは言う。実際に彼女の異母姉妹は、いいとこ貴族のぼんぼん達と青春を謳歌し、交際の末に降嫁(初めて聞いたなこの表現)していった人も多いそうな。
「でもわたくしは、……その。これのことがありましたし」
ベイトリーシュは手をひらめかして、優美に自分の背中を示す。うっ、とわたしは息のつまる思いがした。
「男の子とも女の子とも、決して親しくなってはならぬ、と母にきつく言われておりましたの。実際、母と弟の世話をしなければなりませんでしたから、ほとんど外には出られなくて。家庭教師の先生方に来てもらうばかりでしたわ」
またしても、わたしの胸のうちに怒りが湧く。ベイトリーシュを……実の娘に呪いをかけて、最後の切り札兵器にした諸悪の根源。彼女の不幸の源、ベイトリーシュの人生をめちゃくちゃに壊した大悪人の母親め。
「だから、これが恋なのだというはっきりした想いを持ったことは、本当にないんですの。自分でもずうっとわだかまっているのですけど、……わたくしユーリ様が好きだったのかしら、って。ウーニャさんは、どう思います~?」
「うーん……」
どう思う、って……。わたしには、難しすぎる質問だ。ベイトリーシュよりちょこっと上ではあるけれど、わたしだって二十一年しか生きていない小娘なのだから。すぱっと答えられるような経験なんてなし……。普通の人なら、何て言ってあげられるだろう? くそまじめに恋を問うてくる、乙女のお姫様に。『そうですよー、お姫様は自分を救ってくれた魔術士に恋をしたんですよ~』とか? ……けどそう言った途端、ベイトリーシュは失恋することになる。相手は天寿をまっとうしてもうこの世にいない。そして彼の孫であるわたしという存在そのものに、苦い印象を持つのではないか。好きになった人が別の人を選んで生きた、その証明そのものに見えるかもしれない。
「……ベイトリーシュがわからへん、て言うのなら。それはもう、永遠に解けない謎みたいなもんかもしれへんね」




