37. モコムートンふれあい牧場
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エアナフロイのトランクに伯母のセーター包みを入れて、わたし達はアトリエ直営店の少し先にある、≪モコムートンふれあい牧場≫へ歩いた。
隣接している農場は、アトリエが提携している牧羊園のひとつだ。白木の柵の向こう、なだらかな丘陵の上に、白いもこもこがたくさん散っている。
「……」
ベイトリーシュは口を開けて、手前で草を食んでいるどでかい雌の羊に見入った。生まれて初めて見る生きた羊に、衝撃を受けているのだろうか。
何も言わずにひたすら凝視、わたしはそっと横顔を盗み見ているが、お姫様は真剣そのものだ。やがて、……もぐっもぐっっ、とあごを動かし始める。
「えーと、ベイトリーシュ。これが羊やねんか」
「ぶひッ!」
ふあっと我に返ったように、ベイトリーシュは慌ててわたしにうなづいた。
「つい協調してしまいましたわ。意外と渋い表情ですのね? 目が合ってしまうと、もう視線を外せなくなると言いますか、……」
……うん。まあ、そうかもしれないね……。
「でもってウーニャさん! これは女の子なのでしょう? 殿方ひつじは、どこに……」
「はーい、みなさーん! ここにいるのが、アルパカちゃんでーす」
きゃー!! わー!!
問いかけたベイトリーシュのずっと後ろで、きゃっきゃと黄色い声が上がった。二人してそちらを見ると、七・八人の小さな子ども達に囲まれた保育士さんが、隣の柵の前にいる。
「もこもこでかわいいけど、絶対に叩いちゃいけませーん。お口の周りも、さわっちゃだめよー」
はーい、はーい!!
「首のあたりを、やさしーくなでましょうねー」
人なつこそうな灰色毛並みのアルパカが三頭、柵の上に首をのばして、子ども達のぺたぺた撫でを受け入れている。ふれあい牧場の看板なのだろうか、よく人間に慣れている子たちなのだろう。
「おお~う、あれが殿方ひつじ! もっこもこ、ですわ。ご立派!」
「えっと、ね……」
そそそそ~! 忍び足のつもりなのか。お姫様は珍しく敏捷な動きを見せて、喜ぶ園児集団の脇へと回り込む。灰色アルパカと少し離れてもさもさ草を食んでいた栗色アルパカに向かい、ベイトリーシュは柵の上に乗り出した。
「ちちち! おいでなさいまし~!」
朗らか軽やかに呼びかけると、その栗色アルパカはふいっと頭を上げた。が……機嫌が悪かったのか。ぷーッッ!
「ぶ、ひぃーッッ!?」
「あ、あああ! ベイトリーシュっ」
「せんせーい。となりのお姉ちゃんが、つばかけられたー」
「アルパカそげきだー」
例の臭いつばを顔面に食らってしまって、ベイトリーシュは立ちすくみ……我を失った様子で愕然と口を開けている。
「な、ななな何が起こったんですの……って、くっさぁーい!!」
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牧場カフェの手洗いでよく顔を洗って、ようやくベイトリーシュは復活した。
「……ほんとに、ごめん。初めにちゃんと、説明しいひんかったわたしが悪い」
「いいんですのウーニャさん! こんな体験はじめてですもの、楽しいですわ。あれが≪あるぱか≫なる別の生きものだったとは、全く知りませんでした」
「リリリカには、いなかったんよね?」
「ええ、そうなんですの!」
保育園児たちが引き上げて静かになった牧場、そこのカフェテラスでわたし達はアイスを食べている。ここの目玉、牛乳を通り越して濃いクリームの味がするアイスに、ゆるい苺ジャムがかけてあった。宝石みたいにきれいな赤色。生でも煮ても、いちごはどうしたって綺麗でしかない。地の恵み、大地の精髄とかって別名がついている地方があると言うことに、わたしは食べるたびいちいちうなづきたくなる。
「本当においしいですわね、アイスなクリーム。いちごって最高です」
全部ここの牧場でとれたものらしい。牛の区画はどこだったかな、とわたしはテラス席から辺りを見回した。木々のぽつぽつ生え混じる、緑色のなだらかな丘陵。からから、からん……。
わたし達の外にお客はいなくて、テラス入口にかけられた木製モビールが風に揺られて温かい音を立てている。それ以外は静かだった。
「お外でこんな素敵なおやつをいただけるだなんて……。わたくし、本当に起きてよかった!」
演技やふりではなく、ベイトリーシュは心底楽しそうに見えた。
「ユーリ様がね。≪目覚めた後に、精いっぱい生きろ≫って仰ったこと……こういうことだったのかしら、って思うんですの。知らないこと、素敵なものが、どっさりあって……。それを知ることはとてつもなく楽しいです」
きれいにクリームを平らげた後、ハンカチで口元を優美に拭いて、ベイトリーシュはそう言った。ほのぼのとした微笑を浮かべている。
「……じっちゃんとは、いっぱい話したん?」
「えっ?」
「ほら。……わたしは孫なんやし、当然やけどおじいさんとしてのじっちゃんとしか、話してないんよ。若い頃のこととか、あんまり聞いてないから。どういう感じだった? わたしのじっちゃん」
わたしを見るベイトリーシュの青い目が、みるみるみるっとさらに大きく、円くなるようだった。
「ウーニャさんっ。ユーリ様は、ねえ! もう~それはそれはそれは、りーっぱな騎士でしたわッ」
騎士でなくって魔術士だったのでは、……と訂正しかけてわたしはとどまった。リオネス帝国においては、魔術士は特殊戦闘要員。つまりは公式に騎士とみなされるんだっけ、と思い出したのである。その人の出自はあんまり関係ないのだろう。外国人傭兵だったとしても、だ。
その線で行くなら、若き日の祖父はベイトリーシュの目に≪騎士≫として映ったはず。……まあ、そこにもう少し幻想的な意味ものせられるかもしれないけれど。
「あの巻き戻しの魔術を使って、わたくしを救って下すった時。ユーリ様は一人きりでした……。後から同じようなお召し物の方々をいっぱい見かけましたから、たぶん隊で行動していたのだと思いますけれど」
竜から人間に戻ったベイトリーシュに祖父は軍用毛布をかぶせ、何やら目くらましの魔術を使って、二人ともに≪負傷者≫のふりをした。そうしてベイトリーシュをリリリカ国境外へ、あの大シオルタ湖に浮かぶ六角石柱の洞窟へと運んだのだ。
一体どうやったのだろう……。ジープかトラックか、軍用の輸送車両でも使ったのか。わたしとしては純粋に興味のある部分だけど、今は口を挟むべきじゃない。脇道にそれてしまったら、問わずじまいになりかねない。今、ベイトリーシュに一番聞いておきたいことは、別にあるのだから。
「ですからね、一緒にいたのは……。時間にしてみたら、たぶん一日にも満たなかったと思いますの。でもその間、わたくしにかけて下すったユーリ様の言葉は、……ぜんぶ優しくて力強かったです」
ベイトリーシュは嬉しそうに、熱っぽく話した。白い頬に赤みが濃くさして、ちょうど今食べたアイスの苺ジャムみたいに見える。これはやっぱりそうだったのかな、……わたしはほぼ確信した。あんまり深刻にならないようにして、ずっと聞けなかった質問を解き放つ。
「ベイトリーシュは。わたしのじっちゃんのこと、好きだったん?」




