22. 角ぶたちゃんのシチュウ
わたしも伯母も、食事の支度にあまり時間をかけない。
伯母はその気になれば本格派の色々も作るが、たいていは手軽なもので済ませることが多かった。本日もそれに倣うことにする。
ぶきっちょですの、と言う割にベイトリーシュはするするとじゃが芋の皮を剥いていった。それを鍋で茹でる間に、片付けとお膳立てを同時進行していく。
「前も、料理とかしてたん?」
「ええ。母に言われて、弟の食事を用意していましたの」
竜になったベイトリーシュに見せられた過去の風景を、わたしは思い返した。薄暗い部屋、殺風景にがらんとした地下室みたいな場所に赤ん坊を抱えた母親と向かい合っていた、小さなベイトリーシュ。
「わたくしの母は、正妃じゃありませんでしたので。王宮の外れの小さなおうちに、母と弟と三人で暮らしていましたの。ばあやがとっても器用な人だったんですけど、しだいに眼を悪くしてしまって。九つくらいの時からは、指図されてわたくしが色々つくったのですわ」
「へえ、そうだったん」
蛇口をきゅっと閉めて、わたしは背後を振り返る。台所の食卓の上には、深皿とフォーク、ナイフがぴっちり等間隔で並んでいた。
「スプーンも出しましょうか?」
「うん、せやね」
小粒のじゃが芋に火が通る。ここに≪シチューのもと≫大瓶の中身を、ごそりと入れた。
「おおおう! じゅれッとしたそれは一体、なにものですの? ウーニャさん」
六十年前のリリリカ王国には、凝固食材はなかったらしい。お肉と香味野菜を長時間煮たのを濃い汁ごと、真空保存したものだ。
「好きな野菜とか穀類の中に、最後に入れて温めるだけで簡単に仕上がるんよ」
そう、熟練料理人の手による、じっくり煮込み鍋とかが!
「えっ。お肉を長い間、置いておけるようになったのですか? すごいわ……!」
技術自体はそんなに新しいものではない。けれど六十年前のリリリカは、当時すでに≪後退国≫だった。没落の一途をたどる中で市民の生活水準は低く、過疎地の農民は栄養失調に陥っていた。ベイトリーシュが暮らしていた王宮内と言うのは、そういった外の世界とは遮断された場所だったのだろうけど、当時のリオネスやクランドルハ、他国の最新技術がふんだんに流入していたとも思えなかった。子ども向けの絵本や物語の中にあるような、昔むかしあるところに……そのままの生活様式だったのかな、とわたしは想像している。
「ベイトリーシュは、どういうの作ってたん?」
そういう物語の時代から、時間を飛び越してやってきたベイトリーシュの過去の暮らしに、わたしは単純な好奇心をいだいた。何気なく問うと、ベイトリーシュはぷひッと笑って小首を傾げる。懐かしい記憶を探るような、そんな思案顔になった。
「おじゃがは、弟が好きでしたので毎日ゆでましたわ。一時間くらい煮て、どろどろになったのにお塩をかけました」
「……うん?」
「かぶやにんじんも、お鍋でぐずぐずに煮たのをさらにつぶしていましたね。お肉を一緒にゆでるのですけど、硬くなってしまうのでほぐすのが一苦労でしたわ」
茹でてつぶす専門だったのだろうか。離乳食ってやつがそれに近いとは知っているけど、……弟だってそんなに長く赤ちゃんやってたわけではないと思うが?
「弟もね、大きくなって王室の祝日会食など経験いたしましたら。どうしていつもこういうおいしいの食べられないの、って母にだだをこねまして~」
……だよね? わたしも聞きたいよ?
「でも母は、そとの食べものには何が入っているか知れない、と。うちに持ち込まれる食材にも毒が仕込まれてる可能性があるのだから、必ず長く火を通してから食べなければいけないのだ、と言い聞かせていましたっけ」
「……」
木杓子で鍋をかき混ぜながら、わたしは目を見張った。隣に立つベイトリーシュは、わたしの手元を見つめて静かに微笑んでいる。
「王宮には、わたくしを含めて十七人の王女がいました。でも男の子は三人だけで、母さま方どうしの諍いがひどかったんです。わたくしの母は一番出自が低かったので、どうにかして弟を守らなければと必死でした」
……ベイトリーシュの記憶の中で見た、あの美しい女性の姿を思い出す。その人は、自分の息子を次期リリリカ王にすることを望んでいた……。そのために、娘のベイトリーシュに竜の魔法をかけたのだ。
「おっと」
木杓子を回す手に力が入ってしまって、汁が外に飛んでまう。
「あらら、ふきんふきん……は、その付近にありましたわ」
こぼれたものを拭き取りながら、わたしは言いようのない不快感を脇にやろうとした。こんな風に王子王子と目のくらんだような生き方をして。ベイトリーシュにとんでもないものを背負わせた彼女の母親に、わたしは腹をたてている。
「……それでベイトリーシュは、どういうごはんが好きなん?」
わざとらしいだろうか。なんとか取り繕って明るく聞いたわたしを、のっぽなお姫様はきょとーんと見下ろす。
「わたくし、なんでもおいしいんですの~! むしろ、ひと様の仰る≪まずい≫っていう感覚が、いまいちよくわかりません」
ぶふっ! 素丸出しの返答に、わたしは思わず吹き出してしまう。
「……それやったら。これからは、張り切って好きなもん見つけよし」
「ええ?」
「ここの国クランドルハ、今の時代にも、おいしいもんはようけあるよ。色々食べてみて、ベイトリーシュのお気にを見つけたらええやん」
廊下の方からがたがた音がして、伯母が台所に入ってくる。両手に二つずつ、空の特大マグカップを重ねて持っていた。
「ほが~。今日もようけ、書いたわぁぁ。うおっ、えらいおいしそうな匂いするや~ん?」
「おばちゃん、お疲れ!」
・ ・ ・
これまで伯母と二人の食事が味気なかったとか、そういうことではない。けれどベイトリーシュの加わった食卓は明るくて、楽しくて、ついでにシチューはやたらおいしかった。いつも通りの≪シチューのもと≫で、いつも通りに作っただけなのに。
おいしい、おいひいと連発しながら、ベイトリーシュは夢中になって食べているみたいだった。食べ方飲み方はとっても優美なのに、見ているこっちが気持ちよくなるようなスピードで、豚肉とじゃが芋が減ってゆく。
「ベイたん。遠慮せずに、お代わりするんやで~?」
「はい、おばさま!」
「せや。残しておいても仕方ないし」
「はい、ウーニャさん!」
鍋は空になった。本来ならわたしと伯母の食事二回分になる量なのだけど……健啖なお姫様だ。しかも食べ終わった口元をおナプキンで拭いて、しれっとしている。出動しているところを数年ぶりに見た、伯母のナプキン。
「ふッ、さっそく好きなものができてしまいましたわ。角ぶたちゃんのシチウ、とろけるように美味でわたくし大感激です」
伯母の淹れた安眠菊茶の湯飲みを両手で持って、のどかに言うベイトリーシュのふかふかおかっぱ髪が、電灯にも輝いていた。陽の下でもどこでも、温かく照りかえる色。
ゆうべ六十年の眠りからさめて、竜になってから戻った女の子……。わたしと出会って一日くらいしか経っていないのに、びっくりするほどなじんでいる。わたしの口からあくびが出た。午前中仮眠をとったけど、封印島への往復と大冒険の疲れはもちろん蓄積されている。
ベイトリーシュは現代トイレやシャワーの使い方もすぐに理解したようだし、今日はもうこれにて活動を終了しよう、とわたしは思った。ゆっくり立ち上がる。
「そしたら、また明日ね。おやすみおばちゃん、おやすみベイトリーシュ」
「グッナイ、ウーにゃん」
「お休みなさーい!」
返ってくる声まで、温かい気がした。不思議なお姫様だ、ベイトリーシュ。




