12. 破壊獣、降臨
竜はびりっ、と震えた。
ふんふん、と機嫌の悪い大型犬のように首を揺らしている。
女性魔術士の支配に、おそらく抗っているのだ。蛇人間になった時のベイトリーシュと違い、竜の仕草はすでに獣のそれっぽい。お姫様の優美なおっとりしぐさは、どこにも見当たらなくなっていた。やがて低く唸るような鳴き声が、洞窟内に轟き始める。うう、うううう、ううう――。これもベイトリーシュの声じゃない、たまに町内放送で使われる非常時のサイレンみたいだ。避難してください!
「我が意志を――!!」
ぱあーんっっ!
その時、竜の長い尻尾が鞭のようにしなって、洞窟の壁に当たる。
がらららん! 石柱が砕けて、飛び散った瞬間に魔術師の詠唱がぴたりと止んだ。
「ああああ、ミス・キンセラぁーっ!?」
下方を見ると、紫色の光をまとった女性魔術士が倒れている。しゅうん、と紫の光が弱まって、近くに駆け寄る騎士たちと見分けがつかなくなった。
「いかん! 今の衝撃で飛んできた石片が、ミス・キンセラの頭にぶつかったんだッ」
「衛生官ーッ」
地面に投げ出された魔術士の杖から、紫の光が消えるのをわたしは見た。と同時に、竜がふるふると頭を大きく振る。鼻先にくっついていた光のくびきが取れて、せいせいとしたと言う感じで。
「ミス・キンセラー! あなたがいなければ、誰が竜を制御するんだぁッ」
下の現場では、騎士達が恐慌しているもよう。竜はもう一度、首をぐるーんと回した。そしてげっぷをするように、喉をぼこっと膨らませ。
きあーっっっ!!
鈍く紫に光る炎の濁流を、天井部分に向かって吐き散らした!
どおおおおおおん!
轟音。咄嗟の判断で竜の背後に回り込んでいたわたしにも、強烈な衝撃波が覆いかぶさって来る。しかしそれは、一瞬のことだった。エアナのフロントガラス越しに竜の島みたいな背中が、その先に夜空が見える。
竜は吐き出した紫の炎流で、洞窟に穴を開けてしまったらしい。わたしを乗せたエアナは、空中一時停止で竜の背に貼りつくような所にいた。そのわたしの左右で、ふあーっと巨大な翼が持ち上がる。ばふうううん!
「うええっ」
今度こそ、エアナは竜の背中、筋になって浮き出ているぎざぎざにくっつく。わたしはそのまま、ぐうんと上へ持ち上げられた。竜が飛翔した!
「カクルス侯、竜が! 竜が、逃げますッ」
「全弾、投擲ーッッ」
がうん! がっ、ががーん!
ずっと下の方、たぶん竜のお腹辺りに向けて、弾丸が発射されていた。
ぱつ、ぱつっ。幅広い皮膜のような竜の羽にも当たっているみたいだけれど、竜は痛がるそぶりも見せない。星空の下でぐうん、と一回転した後に、竜はまた頭をのけぞらせ、喉を膨らませる。
「ちょっと、ベイトリーシュ! あかん、やめてんかッ」
わたしは叫んだ。けれど竜は真下に向かって炎流を吐く。ごううう……!
下で何が起こったのか、わたしにはわからない。湧き上がってきた粉塵の煙が、もあもあと竜の体の下側に見えただけ。しかしながら状況はつかめた。竜は、しゃらくさい騎士どもをしばいたのだ!
つまり、竜は……。新たに召喚された竜は、呼び出し主の命令なんか聞きゃしない、ただの大怪獣。暴れて人を滅ぼすだけの、災禍!
「ベイトリーシュ! わたしの声、聞こえるかー! ベイトリーシュっ」
わっさわっさと翼をはためかせながら、竜はゆっくり旋回している。わたしはエアナのシートベルトを外して身を乗り出し、機体右側に突き出ているぎざぎざ背山をぺちん、とはたいた。
「ベイトリーシュ! しっかりしよしッ、わたしのことわかるか!」
信じられない状況ではあるけれど、わたしはまだ落ち着いてもいた。
あの魔術士はベイトリーシュを竜に変え、自分の思い通りに操るつもりでいた。たまたまなのか必然なのかは、わからない。けれど魔術士は失敗して、ベイトリーシュは支配されないままでいる。
つまりベイトリーシュ自身の心が今もそのまんま、大きく変身してしまった竜の体の中にあるのなら、彼女自身として行動できるのではないか。
六十年前はたぶん、どうしようもないあほう権力者にいいように操られて、全てを破壊してしまったに違いない。ベイトリーシュが竜の体を自分の意思で動かして、国の破壊をしでかしたとは到底思えなかった。あの、やさしい子が。
「ベイトリーシュ! 落ち着いて、……おとなしくしよ? また小さくなれへんかー??」
ぺちぺちぺち、ぎざぎざした背中の山をはたきながら、わたしは竜の後ろ頭に向かって呼びかけ続けた。
くるり! 蛇のような……いや、もっとずっと恐ろしい、怪物の頭がこちらを振り返る。
顔の左半分がまともにわたしと向き合って、その真ん中にある割合小さな竜の目と、わたしの目が合った。竜の目じりは濡れて、そこから涙がこぼれ出している。
紫色の光がわたしの周囲に浮いた、と思った瞬間……。夢のように、わたしは知らない世界を頭の中に見始めた。




