11. 竜の出現
「や……やめ、やめてえええ」
見えない力に引っ張られているかのように、ベイトリーシュはひょいと立った。その身体が、上向きに伸び上がって妙に引き攣れる。何だこれ……これも魔術のなせる業なのだろうか?
「ちょっとぉ、そういう拷問! 人間としてどうなん? やめてんかー!」
ベイトリーシュと女性魔術士を囲む騎士達に向かって、わたしは地べたにうずくまったまま咆えた。
「んあ、ああああ……やぁぁだああああ……」
いまや全身を紫色に光らせているベイトリーシュは、さも苦しそうに身体をよじらせ、よたつきながらその場でぐるぐる回り始めた。わたしが耳を塞ぎたくなるような、悲しい叫びを喉から漏らして。
「ベイトリーシュを、放さんかぁ!」
「ほんとにほんとに、もうう……やめ、やめてええええええ げぶッ」
悲痛な絶叫の終わりに、何かが破れた。汚いような破裂音。
騎士達が、びくりと引いた……わたしは低い所から、目を見張る。ベイトリーシュのふかふかカーディガンの背中に、何か黒いものが二本刺さっているのが見える。えっ、と思った時彼女はゆらりと大きくよろめいた。
ぴし、べり・めりッッ。
カーディガンの袖が、優美に長いおスカートとその下の長いのが、どんどん無残にやぶけてゆく。やわらかい衣類を突き破って出てきたのは、ごつごつした黒っぽいもの……。ベイトリーシュの身体が、黒くみにくく膨張してゆく!
「あ、が、ぐががが あぐ うぁ」
わたしと騎士一同は見つめていた。人の好さそうな丸顔の女の子、大容量金髪をふわふわおさげにした大柄な女の子が……。その内側から生えたとかげみたいな生き物に浸食され、どんどん元の姿を失ってゆくのを。
ばちぃーん!
大きな音を立てて、二枚の翼がベイトリーシュの背中から突き出た。ぐるぐるぐる……膨らんだ顔は、もう人間じゃない。きりん並みに首が長く伸びて、その先についているのは蛇みたいな代物。金髪はどこにも見えなくなり、ベイトリーシュが着ていたものは大小のきれぎれになって、敷かれた銀布の上に小山を作っている。
それは人間大の、蛇だった……。いいや、ひと型の蛇、とでも言おうか。
「カレン・フッス。第一段階、変身完了」
女性魔術士は、全く動揺していないらしい。
「さあベイトリーシュ姫、意思をお放しなさい。これから先わたしの意思が、あなたに代わってあなたの身体を支配します」
ぶるぶるぶる……。黒い蛇人間が震える。その瞬間、わたしには見えた。蛇になりかけている、でもあれはベイトリーシュなのだ。そして彼女は、ガラス玉みたいな大きな目に……涙をためている!
「ベイトリーシュ!」
何もできないくせに、わたしは思わず叫んでいた。蛇人間が、くるっと首を回してわたしを見る。ひゅいっ!
「あっ」「うぬッ」
ひらりと跳び上がるようにして騎士達の間をすり抜け、蛇のお姫様はわたしのすぐそばへ寄った。
ほんの一瞬だった……わたしに覆いかぶさり、かぎ爪みたいになった鱗ばりの手で、ぷつっ! 手足を拘束していた簡易手錠を切ってしまう。すごい力だ!
その爪先に引っ掛かっていた、あの封印の腕環をわたしの胸に押しつけながら、ベイトリーシュは人間でのものでなくなった頭を、わたしの頬辺りにくっつけた。そして確かに、囁いた。
「いますぐ逃げて、ウーニャさん」
「勝手な行動をするな。化け物」
恐ろしく低く冷たく、どす黒い怒気をはらんだ声がとどろく。ぎりりりっ! ベイトリーシュは大きくのけぞった。あの紫色の光が再び、ベイトリーシュの身体を包む。
「アンゲルグルスワ アンゲルグルスワ ゲルオルスイレメン モルル!」
黒い波のようなものが、わたしの視界にあふれかける。わたしに腰を抜かしている暇はなかった。ベイトリーシュが作ってくれた一瞬の機会にまぎれ、わたしは砂地を蹴る。背後のエアナに飛びついて操縦席へ、エンジンを起動――キーが回った! 排気、一挙に上空へ!
節度正しき六角石柱の取り囲む、広間のような洞窟内空間。そこに暗闇と紫の光が、ぐるぐるに入り乱れ混ざりあっていた。
エアナの垂直浮上で、石の広間の天井近くまで逃げたわたしは、そこにとどまって何が起きたのかを見ようとした。
濁流のようにごちゃごちゃとしていた暗闇と紫の光が、やがて形をとってゆく。そうしてすぐに、絶対的な質量を持つものが見えてきた。
初めそれは、雲みたいに見えた。夜空に湧き上がって星を飲みつくそうとする、あの暗雲。けれどそこかしこにちらつく無数の光球、紫いろの光のおかげで、それが凄まじい大きさの一個の生きものなのだと、わたしは知って息を飲む。
巨大な生き物は、他に例えようがない。大雑把に見たって十五メートルはある胴体、四つ足巨躯に長い首、長い尻尾。とかげではない、象のような蛇……。蛇のような大怪獣、けれど四肢に加えて翼を持っている。ベイトリーシュの背に生えていた、一対の黒いつばさ……ああ。
――あの子、なんや……!
ベイトリーシュが、竜だった。
カーディガンの下、背中にあったのは、魔術媒体となった時の印か何かだったのだろうか。
ゆらゆら、ふるふる、巨大な身体を細かに震わせて、竜はそこに佇んでいる。さらに下の方からは、女性魔術士の詠唱が聞こえていた。
「アンゲルグルスワ アンゲルグルスワ ゲルオルスイレメン モルル!」
女性魔術士とその杖の辺りから、一筋の紫の光が竜の鼻づらに向かって真っすぐに伸びていた。
「我が意志を、汝が意志とせよ――」




